近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

古代の神聖な色「赤」とは!

2012年04月06日 | 歴史
関西地方の古墳をはじめ、史跡トピックスを続けます。

赤い色は神聖な色として、旧石器時代・縄文時代から土器や木製品の表面に塗られたり、人を墓に埋葬するときに上から振りかけたりして使われてきた。

これらの赤色顔料にはベンガラと辰砂(水銀朱)の二種類があり、鉛丹(えんたん)は奈良時代になるまで使われなかった。

西日本では弥生時代の終わり頃から、赤色の顔料として辰砂が多く使われるようになり、古墳時代はじめには、辰砂が古墳の石室に多く振りまかれるようになった。





写真は、天理市の大和天神山古墳発掘当初の朱塗りされた石室内部光景と出土した銅鏡及び水銀朱塗りされた木櫃。

大和天神山古墳の竪穴式石室の中には41kgの辰砂が使われていたと云う。古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、赤く染まった人骨は甕棺などから出土した弥生時代のものが多く知られているが、徳島市の鶴島山2号墳からは辰砂で顔面が朱に染まった人骨が出土した。

辰砂の採掘は縄文時代から行われており、なかでも伊勢水銀として古くから知られている三重県勢和(せいわ)村丹生(にう)付近では、縄文時代後期の度会(わたらい)町森添(もりぞえ)、嬉野町天白(てんぱく)の両遺跡から、辰砂の付着した石皿・磨石や朱容器と考えられる土器が数多く出土しており、このころから辰砂の精製が行われていたことがわかる。

徳島市国府町の矢野遺跡においても縄文時代後期から辰砂の精製が行われていたらしい。

弥生時代以降の辰砂の採掘では徳島県阿南市の若杉山遺跡が有名で、弥生時代終末期~古墳時代初頭の一大産地であったと思われる。

弥生・古墳時代の辰砂を精製するための石臼・石杵は、採掘遺跡、住居跡、古墳から発見されている。

辰砂採掘の遺跡がなかなか発見されず、最初は古墳の副葬品としての石臼・石杵が注目されていた。


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