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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

公家・武将の北畠家ファミリー物語 北畠親房著「神皇正統記」とは!

2006年12月10日 | 歴史
「神皇正統記」は、現在でも、「神道」の古典とされて、神主になる人の必読書と云われている。これまでの歴代天皇の継承・事跡を述べた上で、「南朝が正統な朝廷である」と主張している。



写真は、三重県津市美杉町のふるさと資料館に展示された、北畠親房著「神皇正統記」の写本。
公家・武士はすべてそれぞれの分において南朝の天皇を補佐すべきであり、それによってのみ、政治は正しい秩序を得て、あるべき姿が実現されると説く。
そのために天皇は皇族のなかで真に君徳を備えている人がなるものであり、君徳のない天皇は批判されねばならないと主張。

「君徳」については、“正直・慈悲・知恵”の三つの徳を必要条件として、当時形成されつつあった「神道説」を援用して、天皇のあり方に厳しい条件を突きつけている。

又天皇は、政務の遂行にあたっては、天皇を補佐する制度に順じて、補佐の臣を通じて組織的に進め、補佐官の任用・臣下に対する賞罰は公平を期し、天皇による独断・独裁は認められないと、院政の否定や後醍醐天皇に対する批判を如実に物語っていると思われる。
天皇を補佐する公家の立場が大きく揺らぎ始めた鎌倉時代の後半にあって、強い危機感を持って、公家擁護を主眼としていたと云える。

上記のような親房の主義・主張は、顕家・顕信・顕能の三兄弟に受け継がれ、北畠家の信条として、守られたと考えられる。

武士は朝廷・公家に仕えるべきもの、という平安以来の公家的思想に依存しているが、「神皇正統記」の背景には、東国・鎌倉の武士たちに南朝の正統性を訴え、味方につくように懇請した意図が見える。東国・奥州の武士たちの保身・打算的行動に警鐘を鳴らしたかったかもしれない。

反対に東国・奥州の武士たちには、親房の「勤皇の大義」の押し付けは、一方的であり、迷惑ですらあると映り、返って反発を招いたと云える。


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