近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン “陥し穴”と罠猟方法とは!

2007年08月23日 | 歴史
狩猟といえば、弓矢が主流だが、“陥し穴”も縄文時代の狩猟事情をうかがう上で、重要である。地域によっては、蛋白源の必要性から、弓矢だけでは不十分で、より大量の捕獲が可能な”陥し穴”猟法が求められたと思われる。

陥し穴は、弓矢と違って間接的に獲物をしとめる仕掛け装置で、この利用法は縄文草創期にまで遡るほどで、少なくとも早期以降は全国各地で行われていたと考えられている。





写真は上から、宮崎県新富町の東畦原遺跡から出土した、“陥し穴”及びつくば市中内西ノ妻遺跡から出土した、直線で結ぶ“陥し穴”の配置状況。

陥し穴の平面形は、円形・長方形・溝状などの変形があり、深さもまちまちで、穴の底面から棒などを垂直に立てて、嵌り込んだ獲物に致命傷を負わせ、跳躍して脱出する姿勢をとらせない構造など工夫が凝らされている。

陥し穴は獣の道などに沿って、単独或いは複数が設けられか、或いは動物が集まるような特定の地点を選んで、多数の陥し穴を配置し、時には誘導又は追い込んで捕獲するなど、縄文人の知恵が見て取れる。

最近の発掘調査によると、集落跡以外の斜面地など、様々な地点から陥し穴の存在が確認されており、縄文時代において、極めて重要な狩猟手段であったことが明らかになっている。

陥し穴の活用は、予め計画的に設置しておけば、いちいち現場に出かけなくても複数の地点で、獲物を捕獲できる余裕があり、縄文人の知恵が窺い知れる。

罠猟についても、具体的な事例は発見されていないが、“エリ”と呼ばれる常設の漁獲施設の実例から、陸上でも追い込み用の仕掛けなどの工夫がなされていたと考えられる。

弓矢など手持ちの武器で、直接対決で獲物を捕獲する場合の危険度を考えると、陥し穴・罠猟はそうした欠点を補って余りある有効な手段として、頻繁に使われていたのかもしれない。

但し、陥し穴法では、幼獣や再生産を担う雌は見逃して、図体の大きな成獣や老獣、或いは雄だけに狙いを集中する選択ができないことを考えると、食糧資源の永続性をモットーにしていた縄文人のこと、“弓矢狩猟法”との併用により、ベターな組み合わせに辿り着いていたかもしれない。

又狩猟にはリスクが伴うために、狩猟の成功を確信するための儀礼・呪術が行われていたと考えられ、イヌ・オオカミなど動物の下顎骨・犬歯に穿孔した特殊製品などは、単に身を飾る装飾品と云うより、狩猟呪術にかかわる、神頼みの呪術品であったと見られる。


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1 コメント

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んんんんんん (\\\\\\\\\\\\\\\\)
2013-05-06 11:12:20
すごい
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