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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県御所市の鴨都波遺跡・鴨都波神社とは!

2010年11月09日 | 歴史
宝塚市の長尾山古墳で見つかった、日本で最古・最大の粘土槨に関連して、同時代の古墳の粘土槨と共に、邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとされる、三角縁神獣鏡も見つかった、御所市の鴨都波遺跡と鴨都波神社を紹介する。

鴨都波神社は、葛城山麓から流れ出る柳田川と金剛山塊に源を発する葛城川の両河川の合流地点に鎮座する古社で、鴨都波遺跡は、二つの河川によって築かれた河岸段丘上に位置し、鴨都波神社を中心として南北約500m・東西約450mの広い範囲を占めている。









写真は上から、御所市葛城山麓の鴨都波神社と本殿、鴨都波1号墳の平成12年発掘現場と三角縁神獣鏡出土状況。

本遺跡は、現在はすっかり埋め戻されているが、すでに20数次をこえる発掘調査が実施され、数多くの成果を得ていると云う。

鴨都波遺跡は弥生時代における南葛城最大の拠点集落で、弥生時代前期から古墳時代後期にかけて長期間営まれ、南葛城地域の古墳時代前史を知る上で貴重な遺跡。

神社の南に位置する県立御所高校の敷地内の調査が多く、数年前には高校の敷地から、鋤とか鍬など多くの木製品が大きな井戸の中から出土したと云う。

特に、2000年の済生会御所病院の増設中に発見された古墳は注目に値する。

鴨都波1号墳と名付けられた方墳は、南北20m・東西16mほどを測り、墳丘の周り幅3~5mの周濠が巡らされ、墳丘の中には高野槙で作られた木棺が納められていた。

この埋葬設備は盗掘されておらず手つかずの状態にあり、三角縁神獣鏡4面をはじめとして、数々の副葬品が出土したと云う。

鴨都波1号墳の築造時期は、古墳前期の4世紀中頃と推定されているが、その後5世紀前半になると、南の室の地に200mを越す巨大な宮山古墳が突然出現している。そのため、両古墳の被葬者の関係に興味が持たれている。

本古墳は、一辺20mほどの方墳にもかかわらず、豊富な副葬品を有することが注目される。

この程度の規模の前期古墳で、棺の内外合わせて4面もの三角縁神獣鏡を副葬する例はほかには見当たらない。

また、前期の小型古墳で短甲を副葬する例は大和に限定されるので、これらは古墳時代前期における、他地域に対する大和の卓越性を示すものと考えられる。

一方で本墳の三角縁神獣鏡には特殊な意匠を持つものが多く、又大型碧玉製紡錘車形石製品と呼んだ出土品も他に例を見ない。

棺構造も異例で、こうした特殊性と鏡の特徴的な配列は、弥生時代以来、鴨都波遺跡周辺を中心とする南葛城に本拠を置いた、伝統勢力の一端を示していると云える。

また、靫や槍・剣の装具などの漆塗り製品、および被葬者の歯や棺材の遺存状態の良好さも注目され、今後の整理作業や鑑定が注目される。



写真は、葛城氏居館址の長柄遺跡現場。

副葬品の豊富さから、のちに一帯を支配した豪族、葛城氏につながる勢力の中心人物が埋葬されたとみられ、葛城氏の実態や葛城地域の勢力形成の推移を解明する貴重な資料として期待されている。



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