近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

和歌山市の音浦遺跡とは!

2009年05月29日 | 歴史
約1750年前に登場した前方後円墳は、形や埋葬施設に地域を越えた共通性がある。古墳の形は、前方後円墳のほかに、前方後方墳、円墳、方墳などがある。

古墳の形と規模の差は階層性のあらわれで、その頂点にあるのが前方後円墳。

和歌山県で最初の前方後円墳は、紀ノ川下流の微高地上に造られた古墳時代前期の秋月1号墳。この古墳に近い音浦遺跡で弥生時代末の大規模な用水路が発見されている。

この時期は、開墾道具や農具の鉄器化が進み、大規模な水田開発が行われた。秋月1号墳に葬られた人物は、大規模水田開発の指導者であった!らしい。





写真は、音浦遺跡から出土した韓式系土器及び須恵器と陶質土器。

韓式系土器とは、朝鮮半島から陶質土器やカマドと一緒に伝わった、赤い軟質の土器。主に煮炊き用でカマドとセットで使用された。

韓式系土器は、土師器に大きな影響を与え、結果的に土師器の種類が増えたが、把手の付いた鍋や甑などは、その代表である。

須恵器は、古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器で、青灰色で硬い。

同時期の土師器とは色と質で明瞭に区別でき、5世紀に朝鮮半島南部から伝わったが、土師器より高級な品として扱われた。陶質土器は長時間に、強火度で焼締められた製品。