近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

和歌山市の製塩遺跡とは!

2009年05月31日 | 歴史
海に面し長い海岸線を持つ和歌山県では、弥生時代の終わりから古墳時代にかけての製塩遺跡が複数発掘されており、古くから漁業や製塩が主要な産業になっていたと見られている。

和歌山市では、北西部海岸の西庄・本脇地区にある西庄遺跡から製塩炉・製塩土器が見つかり、5世紀を中心とした大規模な土器製塩が行われていたことが明らかになっている。紀伊の海岸部で広く製塩が行われ、白浜町瀬戸遺跡なども含めて製塩遺跡が見つかっている。

しかし海岸線のほとんどがリアス式海岸であり、広大な塩田には適さない地形であったため、“海水直煮法”以外の製塩法はあまり発展することはなかったのか、近世においては、瀬戸内海沿岸に製塩産業を譲った。

当時の塩作りは、石を敷き並べた上に塩作り用の土器を数十個ほど並べ、その中に海藻を用いて、海水を濃縮した塩水を入れて煮沸する方法を用いていた。

製塩遺跡からは、多量のコップ形をした土器・鉢形土器等が出土し、これらの土器は火にかけられた為にことごとく壊れている。



写真は、ことごとく壊された製塩用小型土器片類。

土器がいろいろな形をしているのは独創性の入り込む余地があったと思われる。

いくつもの炉が発見されていることから、乾燥した藻に海水をかけて濃縮し、それら藻を小さな製塩用土器に入れて煮沸し、結晶塩を取ったであろうと言われている。

時代が更に進み、文献等から奈良時代には“塩”が紀伊地方の特産物であったことが知られている。