近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

養父市の大薮古墳群とは!そのⅡ

2009年05月13日 | 歴史
養父市の大薮古墳群の詳細を続けます。

禁裡塚古墳は昭和61年に、塚山古墳・西の岡古墳・こうもり塚古墳は、昭和63年に兵庫県文化財に指定された。これらの古墳は但馬を代表する大型横穴式石室をそなえた古墳であり、北近畿地域でも最大規模の石室を持つ古墳として注目されている。









写真は、上2枚が塚山古墳及び下がこうもり塚古墳。

塚山古墳は、南に伸びる尾根の先端に築かれており、南北約30m・東西約24mの円墳。高さは谷側で8m、両袖式の横穴石室で、全長約11m・玄室の長さ約4.8m・幅は奥で2.5m・高さは奥で現高3.6mあり、奥壁は三段積み。

一方こうもり塚古墳は、片袖式の横穴石室で南東に開口している。



写真は、こうもり塚古墳の石室内部。
全長12.4m・玄室の長さ7.1m・幅は奥で1.8m・高さも1.8mの規模。

古墳の盛土が削り取られ、盛土で周溝が埋められて畑になっているため、墳丘の形状がはっきりしないが、一辺が30mほどの方墳と見られるらしい。

考古学や歴史ファンの間では「大薮の古墳は飛鳥古墳と同じくらいすごい!」と言われている。







写真は、禁裡塚古墳の墳形、石室入口及び石室内部。

本古墳は、大薮古墳群の中心にある古墳で、墳丘は南北約35m・東西約32m・高さ9mほどの円墳。

石室の全長は約14m弱・玄室は長さ5.9m・奥壁幅3m・高さ3.6mほど。
玄室には、ベンガラ成分を持つ赤色顔料が塗られていた。

墳丘の周囲にめぐらす周溝は、水田に利用するために、現在は埋められている。

大薮古墳群の中にある、特に大きな4基の古墳は、大型石室とか巨石古墳と呼ばれ、これら古墳は兵庫県の中でも1・2位の石室規模を誇り、特に大きな横穴式石室をもつトップクラスの大型古墳。

大薮古墳群では6~7世紀にかけて禁裡塚古墳を契機として、塚山古墳・西ノ岡古墳・こうもり塚古墳といった順番で次々と造られた。

こうもり塚古墳は方墳と見られることから、ヤマト政権圏内の7世紀大型古墳は、円墳から方墳に形態が変化しており、ヤマトの中央政権から送られた律令官人で、但馬の政治に大きな影響を示した人物の古墳と見られていると云う。

一方5世紀に朝来市和田山町で池田古墳や茶スリ山古墳を造った地域には、大薮古墳群クラスの横穴式石室を持つ古墳はない。

禁裡塚古墳などの大型石室は、奈良県の飛鳥地域にあっても並々ならぬ規模を誇る大型の石室で、但馬らしい田園空間に、今も良好な状態で残る大薮古墳群は、名実ともに兵庫県を代表する古墳群と言える。

養父神社を奉じる但馬全域に及ぶ政治権力集団の首長墳と見られ、朝来市和田山地域から移ってきたと見られている。