養父市に箕谷古墳群について、更に続けます。
箕谷古墳群の出土遺物の中でも、全国2例目の年号入り鉄刀が出土したことで知られる。
写真は、圭頭系大刀の出土状況及び鉄刀の姿。
写真のように、出土した鉄刀は、刀身68.8cm・推定長さ77cm前後の圭頭系大刀(柄の先が山形の大刀)で、奈良国立文化財研究所においてエックス線検査したところ、刀身の柄寄りの部分に「戊辰年五月(中)」と刻まれた銅象嵌による銘文が発見された。
干支年号をもつ鉄刀の出土例としては、埼玉県の稲荷山古墳に続いて全国2例目。
出土直後は、写真の通り、刀身に土砂が鉄サビと共に密着していたと云う。
1年余りかけて研ぎ出しと保存処理をしたらしい。
「戊辰(つちのえたつ)」については、出土した須恵器の特徴から、608年(推古天皇16年)と推定されている。
この銘文から「戊辰年銘大刀」と呼ばれており、金具等から、飛鳥地方で製作されたものと推定されている。
戊辰年銘大刀は、古墳時代から奈良時代にかけての端境期の製作で、刀剣の製作史だけでなく、当時の社会全体の政治の流れを知る上で、貴重な資料と云われている。
箕谷古墳群の出土遺物の中でも、全国2例目の年号入り鉄刀が出土したことで知られる。
写真は、圭頭系大刀の出土状況及び鉄刀の姿。
写真のように、出土した鉄刀は、刀身68.8cm・推定長さ77cm前後の圭頭系大刀(柄の先が山形の大刀)で、奈良国立文化財研究所においてエックス線検査したところ、刀身の柄寄りの部分に「戊辰年五月(中)」と刻まれた銅象嵌による銘文が発見された。
干支年号をもつ鉄刀の出土例としては、埼玉県の稲荷山古墳に続いて全国2例目。
出土直後は、写真の通り、刀身に土砂が鉄サビと共に密着していたと云う。
1年余りかけて研ぎ出しと保存処理をしたらしい。
「戊辰(つちのえたつ)」については、出土した須恵器の特徴から、608年(推古天皇16年)と推定されている。
この銘文から「戊辰年銘大刀」と呼ばれており、金具等から、飛鳥地方で製作されたものと推定されている。
戊辰年銘大刀は、古墳時代から奈良時代にかけての端境期の製作で、刀剣の製作史だけでなく、当時の社会全体の政治の流れを知る上で、貴重な資料と云われている。