<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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政治評論家の屋山太郎がそのエッセイに、

「私は学生時代、自信満々で勉強なんか軽いもんだと思っていました。だから京大受験なんてわけはないと。でも落っこちました。だから東北大学の出身なんです」

という意味合いのことを書いていて、

「今になって思うのは、そのまま京大を受かっていたら、今の自分はない。きっともの凄く嫌なやつになっていたんだろうねって。」

なるほど、人っていうのは挫折があるからしっかりとした意見を持って素晴らしい人生を築けるんだ。それが無いやつはダメなんだ。
これを読んだ時、私はつくづく感じたのであった。

私も大学受験では第一志望に落っこちて、第二志望の大学に入学。
就職はもっと悲惨で最後まで決まらずに、腹をくくってアルバイター、いまでいうフリーターからスタートした。
そういうハチャメチャな体験がなければ私のような生意気なやつはきっと嫌なヤツで終わっていたかもしれない。
でも、色んなことを経験したおかげで今は企画の仕事にアイデアは尽きないわけで、運命の過酷さに感謝している次第なのだ。
尤も、もっと簡単にここにたどり着けなかったのか、というのも運命にいささか不満なのも正直なところだ。

そこで、こういうケースの最も有名で歴史にも残ってしまいそうなのがスティーブ・ジョブス追放事件。

1985年。
当時、時代の寵児であった若き実業家スティーブ・ジョブスが本人の雇った社長ジョン・スカリーに解任を申し渡されきぐるみ剥がされて追放された事件だ。
先週末の日経にこの事件の主役であるジョン・スカリーの今の心境が掲載されていた。
それを読んで私はこの人の決断があったからこそ後のジョブス伝説があって、アップルのサクセスストーリーが成立するのだと思った。
それもネガティブな意味はなく、ポジティブな意見として。

ジョブズが亡くなってもうすぐ2年が経過するが、今、ジョン・スカリーはジョブス解任のことを次のように語っていた。

「そのころの私には、ビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏のような、一つの産業を作り上げる人物がどれだけ特異なリーダーシップをもっているのかを、真の意味で評価するだけの経験の幅が欠けていた。」

自分には彼ら若きイノベーターたちのことを理解できるだけの千里眼がなかったことを正直に認めていたのだった。
当時のアップルの経営状態がどのようであったかは多くの書物に書かれており、広く知られているところだ。
だから当時のジョン・スカリーのとった判断を非難できる人はいないだろうし、実際当時のパソコン雑誌などでもジョブス解任は1つの経済事件にすぎず、当たり前のように報道されていた。
しかし、それがIT業界のその後の10年にどれだけの悪影響を与え、さらにその後の15年間に様々なビジネス上の奇跡を起こすことは誰にも予測できなかったことなのだ。

今、この時にスカリーが当時の判断に対して77歳というまだ若い年齢で正直に告白する姿には感銘さえ受けるのであった。

一方、もしジョブスが1985年のあの時にアップルを追放されなければ、先の屋山太郎の事例ではないが、もしかするとiPadもiPhoneも、もしかするとiMacさえ誕生しなかったかもしれない。
肝心のアップルさえ存在し得なかったのかもしれないと思えるのだ。

ジョン・スカリーが当時の企業人の常識としてジョブスを解雇したおかげで、彼が大きな挫折を味わい、瀕死のアップルに復帰するまでの10年間にある意味修行僧の如く数多くの出来事やビジネスを経験した。
その結果、IT世界の流れだけではなく、人々のライフスタイルまでを変えてしまう数多くの斬新な製品や芸術作品を生み出すことになった。

ジョン・スカリーが1985年の事件を正直に語る姿勢は今だから言えることに違いない。
かといって卑怯とかそういうものではなく、内容が正直だけにスカリーの人柄が窺える貴重なインタビュー記事なのであった。
彼はリンゴを摘んで、大きくした一人なのかもわからない。

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