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東京写真美術館で開催されている「写真家 堀野正雄の世界 幻のモダニスト」を鑑賞してきた。

私は出張中のアポイント間の時間つぶしは美術館での作品鑑賞がお気に入り。
とりわけこの美術館はいつもある程度空いていて、かつ展示品が写真なので短時間で鑑賞できるのでなかなかいい。
それに私の大学時代の専門は映像だったから、これまた嗜好に合っているのだ。

今回の展示会は私の知らなかった写真家「堀野正雄」の作品展。
この人、1990年代までご存命だったようだが、写真家として活躍したのは第二次大戦終了頃まで。
しかし残した作品は、今に影響を与える力強いものが数多い。

特長は昭和初期の日本の姿を現代の視線で捕らえたような絵作り。
実に新鮮で、違和感がない。

最も印象を受けたのは、まだ自由があった昭和のはじめ頃の作品。
雑誌に掲載された実験的な写真が数多く展示されていたが、その中でも、いく枚かの写真をコラージュした作品が、新鮮で、とても現代的であることに驚いた。
当時としては実験的な作品だったそうだが、鉄のリベットのボコボコを上手く利用してモノクロ写真の陰影を使い、独特の無機的世界を表現したり、顔と廃墟にちかいバラックを多重露出で組み合わせたような作品は、当時の社会問題とそこに生きる人々の、匂い、反社会性を感じさせ、実に興味深く堪能することができたのであった。

この写真家が、なぜ表世界から姿を消したのか、という理由も、推測ながら興味を惹かれるところだった。

展示のキャプションにも書かれていたが、堀野は戦争の激化とともに、プロパガンダ的作品を手がけるようになり、それが終戦後、負の遺産となってしまったためにプロとしての活動を止めざるを得なくなったのだという。
これがもし、ホントなら、戦後の写真の世界は戦争協力者のレッテルを用意して、表現の自由を奪うという、あまり感心しない環境になってしまったことを思わせる。
あふれる放送禁止用語、タブーに翻弄されて言論の自由を失ってしまっているような現代社会の姿があることも、写真家堀野の戦後を思うと納得していしまうというものだ。

ところで、写真展もいいけれど、ここ都写真美術館1階では原節子のデビュー作ともいえる日独合作映画「新しき土」が上映されている。
私はこの映画の1シーンを見たことがあり、当時16歳の原節子の美しさと可愛らしさと、日本人女性が持っていた凛々しさを感じ、スクリーン(この時の場合はブラウン管)のスターに一目惚れたことがある。
私は残念ながら映画をゆっくりと鑑賞する時間は持ちあわせていない。
夜の上映があれば、仕事の後見ることもできなくはないが、最終上映時間が15:00開始。
ちょっと無理なのが悲しいところ。

写真展も見応え充分だが、多分、今この美術館の最大の見るべきものは、その映画なのかもしれない。

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