<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



久しぶりに夕方のスターフライヤーで羽田空港から関西空港へ移動。
窓から、これまた久しぶりに夕日に照らされた美しい富士山を臨むことができた。

めでたし、めでたし。

空から富士山を眺めると、いつも思い出すのが空か見る富士山のあまりの美しさに観光気分で近づいていった旅客機が富士山特有の猛烈な突風に煽られ墜落した事件。
柳田邦男著「マッハの恐怖」にも紹介されているイギリス海外航空のB707空中分解事故だ。
私自身にはまったく記憶にないのだが、両親の証言によると、当時、物心のつく直前の私は将来の仕事は「パイロット」と主張していたらしい。ところがテレビでこの事故のニュースを見た途端、「パイロットにはなれへんねん」と簡単に宗旨替えしたとのこと。
そのエピソードをたびたび聞かされてきたものだから、未だに富士山イコール航空機事故の印象が頭を張り付いて離れない。

しかし、飛行機から眺める富士山が、どれほど美しいものであるのかは1978年、初めてアメリカに行った帰りに今は亡きパンアメリカン航空のB747から眺めた富士山が今も記憶に焼き付いている。
完成してまもない成田空港を飛び立ったパンナム機は大阪伊丹空港に向って飛行。
長旅の疲れもそこそこに機内アナウンスがあり、
「富士山が奇麗でっせ」
というようなことが英語で解説さえれていたように記憶する。
(但し当時私は英語はちっともわからず、推測でしかないので注意が必要だ)

ガラガラのパンナム機内では数人の乗客が向って右手の窓際に集まり富士山を眺めた。
夕日に照らされた富士山は衝撃をうけるくらい美しかった。
しかも、その富士山はわたしにとって生まれて始めて見る生の富士山なのであった。

以来、富士山は地上から眺めるのも良いが、夕刻、飛行機から眺めるのが一番美しいとのイメージが焼き付いた。

最近はなかなか太陽が明るいうちに飛行機に乗ることが少なく、真っ暗闇の中を飛行するのでかなり詰まらない。
街の明かりも捨てがたいが夕日の富士山に勝るものはない、と私は今も考えている。

ということで、ほんと久々の夕方便で、しかも右窓側の座席で、しかもしかも、翼に隠れない席が確保できたのでわざわざデジカメを構えて待機していたが、こんな富士山にお目にかかれるとは。

ホント、富士はニッポンいちの山だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




4日から東京都立写真美術館で始まった「黒沢明生誕100年記念絵コンテ展」を訪れてきた。

黒沢明というと、私の卒業した大学ではその昔、いつも「影武者」の話が登場したものだ。
当時、大学の教授陣の中に映画キャメラマンとして活躍されていた宮川一夫先生がいらっしゃって、たまに開かれる貴重な講義では、サントリーのトリスのコマーシャルの撮影や、新作「瀬戸内少年野球団」の話と共に、黒沢先生のエピソードが時々飛び出したものだった。

「羅生門」の撮影秘話なども飛び出したが、中でも「影武者」のエピソードでは、
「あの映画の中では、戦闘シーンの無数の武者役を個々のここの大学の学生を使って撮影する予定になっていたんですよ。でもね、私が病気しちゃって立ち消えになって、残念なことになってしまいました」
という話を宮川先生からも、他の先生からも聞かされたものだった。

「影武者」はちょっとまえに公開されたジョージ・ルーカスやスピルバーグが製作陣に加わっている話題の作品だった。
話題という意味では、撮影に入る前に主役を演じる役者が交代してしまったことだ。
信玄の影武者を勝新太郎が演じるはずが、ちょっとしたことで黒沢監督とケンカになって降板。急きょ仲代達矢が代役に立ったのも話題をさらった。

今回、黒沢明直筆の絵コンテが多数展示されているが、この中でも影武者の絵コンテに描かれている信玄の影武者が勝新太郎であることに、改めてあの映画の主役交代のエピソードを思い出した。
そしてまた、会場で上映されているルーカスなどの証言ビデオでも語れていたように、もし勝新太郎が影武者を演じていたら、この映画は別のものになっていた可能性があるとも感じた。
私の感想では「退屈なもの」にならなかったかも知れないとも思えたのだ。

映画監督というのは、オーケストラの指揮者が楽譜に手を加えるのと同じように、自らコンテを描いてスタッフや出演者達にイメージを伝える。
黒沢明の描いた絵コンテは、コンテ、というよりも1枚の絵画のような迫力があり、しかも色彩が豊かなのであった。

もともと「そんなに見るものはないのではないか」と思って出かけた展示会だったが、その筆遣い、決して派手ではないが、非常に色彩が豊かでバランスの取れた構成は、やはり、日本映画界の誇る巨匠であったことを改めて認識させてくれる力強さと引力を備えていたのだった。

マーティン・スコセッシが初めて貸し出したという「ゴッホ」の絵も見事。

黒沢明だから混み合っているだろうという予想も外れ、黒沢明の世界をダイナミックな絵画で楽しめた素晴らしい展示会なのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日中国交正常化。
私が小学生の時の出来事で、それがどれだけ重要な政治的イベントであったのかは,当時、まったく理解することはできなかった。

大阪の万国博覧会会場後で「大中国展」という博覧会が実施されたことが一番の思い出。
記憶に残るのは蛇の入った焼酎が数多く得られていたことだった。

当時の中国の顔は毛沢東と周恩来。
テレビに流れる中国のニュースではこの二人が頻繁にテレビに現れていたように記憶している。

とりわけ周恩来首相の容貌は穏やかで優しそうで、毛沢東主席とは対照的なその雰囲気が強く印象に残っている。
もちろんその表情の裏には毎日の苦悩が含まれていることなど知る由もなかった。

高文謙著「周恩来秘録」(文春文庫)は中華人民共和国建国後、とりわけ大躍進後から文化大革命にかけての周恩来と,権力の悪魔ともよぶべき毛沢東の人間関係にスポットライトが当てられているノンフィクションだ。
以前読んだことのある、毛沢東に関する主治医の手記をまとめた「毛沢東の私生活」(文春文庫)とはついになる一冊だ。

竹のカーテンに覆われた国、というようなことを教わっていた当時、中国国内で何が起こっていたのか。
それを知る日本人は少なかったのだと思う。
本書や毛沢東に関係する本を読むと、中国の共産主義はナチスドイツにも勝とも劣らない,恐怖の国家であった事がよくわかる。
とりわけ毛沢東の周恩来に対する態度や行動は、国民に向けられて行使された、様々な残酷な方針や決定と共通するものがある。
中国は礼節の国、と呼ぶ人もいるのだが、本書を読む限りそれは「共産中国」とは別の国の話であることが理解できる。

考えて見れば中国に関する情報は今もそうだが、正しいものがちゃんと伝わっているのかどうかわからない。
本書も著者が米国に亡命している中国人だからこそ書けたわけだし、だからこそ誇張がないとも言えないわけだ。

いずれにしろ、竹のカーテンに囲まれた凶気溢れる中国の実態を知り、やがて訪れる鄧小平時代との繋がりを知ることができる緊張感にあふれた歴史ノンフィクションだった。

なお、周恩来はその穏やかな表情とは裏腹に、日本の悪口,陰口を言うのを常としていたという。それもおそらく、東京の大学を目指し日本へ留学したものの語学の力不足で明治大学などで少しばかり勉強することができなかった、劣等感によるものではないかという印象を持った。
これって、今の中国人留学生の何人かが持つ、自ら招いた日本への悪印象と共通するものがあると感じ、驚いたのだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




民主党の党首選挙は菅直人総理と小沢一郎元幹事長との一騎打ち。
どちらも国民の空気を読めないことでは共通していて、「やっぱり民主党もアカンかった」と思わせる失望感を日本列島全域に及ぼしている。

結局は菅首相も市民運動家出身のアマチュア政治家の域を出ていなかったわけだし、叩かれても嫌われても復活しようと画策する小沢代議士も妖怪以外のなにものでもなく、日本の政界は「お化け屋敷」か、と思わせる失望感で溢れている。

失望感といえば私のお気に入りの外国ミャンマーも似たようなもので、ここは総選挙が迫っている関係で、今日から11月まで観光客の入国を原則制限。
私が時々使っていた現地ビザは発給させなくなるのだという。

現地観光業者のみなさんにはハリケーン以来の打撃だろう。

ミャンマーは旧西側の国々から「軍事政権のトンデモ国家」扱いされていることは御存知の通り。
但し、同じ西側諸国から経済発展の象徴のように讃えられている同じく軍事政権のトンデモ国家である中華人民共和国との違いは、ミャンマーは総選挙を実施した経験があるということ。

実際、国民投票の「こ」の字も考えない中国よりははるかにまともな国に思えるのだが、そこは人口たったの7000万人。
市場性とこの国のイギリス嫌いが災いして意地悪されているのが気の毒でもある。

で、前回の総選挙もこの国の人の良さがでているというかなんというか、馬鹿正直にちゃんと選挙をしたらスーチー女史率いる政党が多数得票を得てしまったために、軍政が慌てて無効にしたのが、いけなかった。

今回の総選挙、どうなることやら,ビルメロ(ミャンマーを大好き日本人のこと)な私としては見守りたいと思っているところだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »