東京都でミイラ化した老人の遺体が発見されて以来、日本全国の高齢者が軒並み行方知れずになっていることが明らかになった。
「日本はデタラメ高齢者社会」
海外のとあるメディアから侮辱された。
どう見てもそっちの国のほうがデタラメちゃうんかい、と言いたくなるところのマスコミだけに、いささか情けないものがある。
これはいったい何を意味するのか。
まず、役所がきちんと調べていなかった、という事実がある。
つまりお役人様の怠慢だ。
だいたい人間が100年以上も生きるというのは稀なことだ。
「隣のおじいちゃん120歳なんだけど、元気で昨日から泊まりがけのゴルフに行ってるよ」
なんてことは絶対に耳にしないのである。
100歳以上生きている老人が本当に実在しているのかどうか、行政は実地に確認する義務があるように思う。
チェックしないと書類上は生きていても、現実にはミイラになっているか、冷凍されているか、土に還っているか、人間ではない、かのいずれかである可能性を疑ったほうが良い。
つぎに高齢者が増えすぎたことに加えて核家族の常態化で、増えているのに実際には老人と接する機会が少なく、老人に関心を払わなくなっているのではなかろうか。
書類上生きていれば年金や恩給などが受けられ、しかも生きてる「筈の」おじいちゃん、おばあちゃんが行方不明なら、そのお金は子供、孫の使い放題ということも考えられなくはないのだ。
つまり,行方不明の老人は、無責任で冷たい家族にはまたとない収入源となるわけだ。
つくづく、嫌な世の中。
それにしても、行方不明の老人たちはどこへ行ったのだろうか。
私はロン・ハワード監督の米国映画「コクーン」(1985年作)を思い出した。
老人たちは異星人の提供する繭のようなものに入って、今頃、宇宙のどこかで暮らしているのかもわからない。
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