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タイが再び大変なことになりつつある。
デモが拡大し、バンコク都内では一昨々年と同じような対立による大きな混乱が起こりそうな気配だ。

新聞報道によると9日の日本人学校はおやすみ。
バンコクの日本人学校と言えば、今時国内でも滅多に見かけないマンモス校で、ここに通う生徒は1500人を超える。
「わーい、学校休みや」
と喜んでも、都内は危険ということになっているので、どこにも出かけられない児童が不憫だ。

今回の騒動では、前回と同様タクシン派と反タクシン派の対立でデモが発生しており、武力を伴った対立に発展しそうな雲行きなのだ。
タイと言えば日本と同じ立憲君主国。しかし、王様への国民による絶対的信望は極めて篤く、王様のひとことが国全体を動かしてしまう。
そんな力を持っているのだ。
ところが、前回も、今回も、王様が「やめなさい」と言っても対立を止めない。
これはいったいどうしたわけなのか。
理由は王様の権力が低下したからではなく、この対立が単なるタイ人同士の国内問題でもないからなのだ。

タクシン派は「華僑が操っている集団」という感覚がきっとあり、それに対して反タクシン派は「華僑はつぶさねば国が危ない」と思っている。つまり王様もあぶない、となっているのだと私は確信している。
というのも、日本ではなかなか報道されないが、国家追放されているタクシン元首相は華僑で、己が権力を利用して稼いだ莫大なお金を外国であるシンガポールに蓄財し、税金逃れに資産隠し、と好き放題なことをしていた。
そのために各方面からやり玉に当てられ、国にいることが出来なくなり、クーデターをきっかけにタイ国外に脱出したのであった。

このタクシン元首相の蓄財については強引な政策を伴っていて、各方面から非難が出ていた。
その非難は至極真っ当なもので、騒動が次第に大きくなっていったときに、プミポン国王自らがタクシンを呼び出し、

「国民の声に耳を傾け、自制しなさい」

と諭されたことは、当時日本の新聞にも掲載され、

「おー、国王がついに動かれたか」

とことの収束を期待したのだったが、タクシン首相は国王の苦言を無視する形で自分の政策を継続。
結局軍部に追い出される格好になってしまったのだった。

この2006年のクーデター。
久々のタイ名物クーデターの発生だったので、マスコミも大きく騒いだものだった。
都内の各大通りには戦車も出現し、びりびりした雰囲気に思えたが、その直後、実際にバンコクを訪れた私は大きな交差点で銃を構え、しかしノホホーンとした軍人と、いつものような大渋滞を見る煮付け、

「この国は変わっているけど大丈夫」

と思ったものであった。

このように、タクシン派と反タクシン派の対立の構図にはタイ中の対立がある。
東南アジアの国々はタイだけではなく、どこへ行っても華僑とその他の人々の対立は少なくない。
私のタイ語の先生は。
「中国人は、アホです」
と真顔で言ったものでった。

経済の多くを中国系が握っているため、生粋のタイ人はかなり不満がたまっている。
そこへ王様の言うことも耳を傾けないタクシンが私服を肥やして外国の、しかも華僑の国シンガポールに蓄財していたとなると、これはちょっとやそっとでは解決しない問題なのだ、
病院のドンから5000万円を受け取ってヤバいとおもって「すぐ返しました」と言っている、どこかの知事さんとはスケールが違うのであって、国民の怒りも宜かるなのであった。

で、何が言いたいかというと、中国人は、どこへ行ってもトラブルメーカーだということだ。
タイが日本と仲良しなのは、なにも日本企業が多いからでも、秋篠宮さまが公務でもプライベートでも訪泰し皇室王室といったハイレベルで仲が良からという理由でもないのだ。

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