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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



難民問題が深刻だ。

イラク北部からシリアを中心にイスラム過激派集団ISが展開する地域から多くの人びとが脱出し、ヨーロッパを目指している。
その人数、数百万人。
子供の頃に習ったゲルマン民族の大移動を彷彿させる雪崩のような数だ。
問題はその大量発生している難民にISの戦闘員が混じっていることで、彼らが起こすテロリズムの国際社会に与える負の影響はあまりに大きい。
また彼らの大部分はヨーロッパとは文化も宗教も価値観をも異にするイスラム教徒。
移民後に問題にならないはずはなく、それが国際パワーバランスの均衡を打ち破ってしまう可能性も秘めている。
この大量の難民をヨーロッパ先進国は受け入れるというが、私は個人的な意見として、そんな寛容な態度を示す必要があるのかどうか。
旧宗主国という立場に配慮しても十分に考える必要があるのではないかと思っている。

世間一般に流れているマスコミ報道や社会活動家たちの発言と異なり、私は難民は容易に受け入れる必要は無いと思っている。
というのも、難民の人たちは自分の生活のみを考えて自分の国を愛する気持ちが十分ではないのではないかと思えてしかたがないのだ。
「それはあんた、間違っているよ」
と言われる人も多いであろう。
しかし日本というガラパゴスな国家で生を受け、歴史を学んできたらどう考えても難民はおかしい。
なぜあらゆる手段を講じて自分の国を護ろうとしないのだろう、かと。

サミエル・ハンチントンは「文明の衝突」の中で日本を他の世界とは切り離された1つの文明圏と捉えていただが、あながちわかならないこともない。
なぜなら歴史的文化的に世界で常識的に存在したもので、日本では存在しなかったものがあるからだ。
例えば奴隷制。
日本史ではまったく習わないのが日本の奴隷制。
習わないのは当たり前で歴史上奴隷制は存在せず、人を奴隷扱いすると古の時代からそれを「犯罪」と呼んだ。
だから都から女を立ちしてにした大江山の酒天童子は成敗された。
文明開化の時に中国人奴隷を満載して横浜に入港したペルーの奴隷搬送船マリアルス号は日本の官憲により検挙され船に繋がれていた奴隷を解放。国際社会がビックリした。

難民も同じ。
日本では自然災害に巻き込まれて住まいを奪われ、そこが自然条件の変化により住めなくなることを除いて、そこを放棄することはまずない。
先の大戦でも明らかなように自分の国を捨てることは考えに無く、追いつめれた場合は戦うか自決するかのどちらかを選ぶ民族だ。

この感覚は島国で逃げるところが無いこともあるが、例えばベトナム人であればそういう日本人の感覚は理解できるのではないかと思っている。
ベトナム人は先の大戦以降、最後のアジアの戦いとなったベトナム戦争では時に一般市民までが戦闘員となり欧米からの独立と南北統一という目的に向かって邁進したわけで、戦争しているから国外脱出は多くの人が考えなかった。
「それは違うよ。ベトナム戦争が終わってからボートピープルとなって国外に脱出したベトナム人が多勢いたじゃない」
と反論するなかれ。
彼らのほとんどは華僑、つまり中国人だった。
だから「ボートピープルに救いの手を」とかなんとか人権団体等が声高々に叫んでいた頃、外務省はほとんどボートピープルの日本受け入れを認めなかった。
中国人と知っていたからだ。

話は逸れたが日本の物語にはISのような悪が出現するとそれを退治する人が出てくる話が少なくない。
桃太郎に一寸法師。
先にあげた大江山の鬼退治。
あの織田信長の叡山焼き討ちでさえ非難する人はあまりいない。強欲な坊主は鬼と同じだからだ。
映画だって農民が野武士をやっつける「七人の侍」がある。

難民問題は厳しいが、もしかするとかの地には雇えるサムライがいないか、またはその発想がないのかも知れない。

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