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CNNネットによると、かのホーキング博士が「天国はおとぎ話に過ぎない」と言って波紋を呼んでいるという。

博士の発言に異議申し立てをしているのは宗教関係の方々だそうだが、さもありなん。
人は言ってもらいたくないことを指摘されると怒る傾向があるので、こういうことになって当然。

宗教を職業にする人たちにとって「天国」「や「地獄」の話はなくてはならない真実の世界だ。
そういう事に対して博士が科学の側面から「そんなのあってたまるかい」というニュアンスのことを言ったものだから当然のことながら話題になる。

私も中高校生の時に「死」というものを「単なる生命機能の停止。死んだ人自身にとって、後は無の世界になって何も感じなくなるだけ」という覚めたことを言っていたものだ。
これはテレビのSF番組の見過ぎと宗教嫌いが融合されて至った結論なのであった。
未だに真面目な顔をして、
「天国」の話をする人に出会うと、どんなにいい人でも病院に行って精神カウンセリングを受けたほうがいいんじゃないか、と思うことが少なくない。

一方、宗教嫌いの方は大の親友の一人が大学生の時に某キリスト教系新興宗教に入信してしまったために嫌いが大嫌いに発展したが、東南アジアを旅するようになってから仏教の基本的理念のようなものには、納得するようになった。
というか、仏教は宗教ではなく哲学だ、と思った時からかなり面白く感じるようになったのだ。
従って、今も仏教の、とりわけ上座部仏教の精神的な考え方には大いに共感することが多いのだが、やれお経をお唱えないとダメだとか、嘘を言ったら地獄に堕ちるだとか、お葬式屋と化している日本の仏教には大いに反発を感じるところもある。

ホーキング博士の「天国はお伽話だ」というのももっともな話で、丹波哲郎の死後の世界の話ではあるまいし、いつまでも想像だけでモノを言うことは考えたほうが良いのではにか、という博士の主張なのではないだろうか。

ちなみに宗教者の非科学的主張は後の科学で全否定されているようにも感じる。
宗教は哲学の道を歩むべき。
ガリレオ・ガリレイが「地球は回っている」と指摘した時と同様に「なんちゅうこと言うんや」と反発したくなるのもわからなくはないけれども、そろそろ宗教本来の道を模索してはいかがだろうか。

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