<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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元旦早々、能登半島で大震災が発生した。
10日経った現在でもその全容は不明だ。
ほとんどの道路は寸断されインフラの回復の見込みもたたない。

災害で最も厳しいのは「いつ終わるのかわからない」こと。
30年前の阪神大震災のときも、
「悪い夢を見ているみたい」
「いつ元に戻るんやろ」
というようなことを考えていた。
阪神高速道路は通れない。
一般道は大渋滞。
芦屋や灘区、東灘、長田区は景色が一変。
大阪から神戸までは移動するのに6時間から8時間もかかった。
震災後初めて訪れたのが三宮の得意先。
棚やデスクがひっくり返ったその事務所で一人で片付けをしていた得意先の社長の感情を失った表情は今も記憶に焼き付いている。
地震の前と後では、当事者にとって世界が違うことを生で知ることになった。
それだけに4月になって大阪駅で「姫路行」の新快速電車が走り始めたのを見た時はなんとも言えない感慨が巡ってきて泣きそうになった。
大阪に住んでいて直接被害を受けたわけではないものの、神戸や西宮、芦屋のあの惨状を目の当たりにした感覚は今も消えることはない。

能登半島が実際どうなっているのか、テレビのニュースはどれもこれも同じ地域の同じ箇所をレポートし、似たようなことしか言えていないので、参考にならない。
交通が遮断されているけれども、政府が自治体が、どのような支援や復旧活動をしていて、全国民にどのような協力が必要なのか。
相変わらずきちっと伝えることができていないように見えるのは私だけなのか。

阪神大震災でさえオウム事件以降はあまり伝えられることもなく、関西地方の地域の問題になってしまっていたが、北陸の情勢はマスメディアにとってはもっと地方の出来事なのだろう。


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