<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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CMが詰まらない。
なぜこんなに詰まらないCMばかり作られるんだろう。

これにはきっと作る側としての「安全策」が悪影響をして「冒険」ができない製作環境になっているのだと推測される。
とりわけ安全や医療などに関係する分野や、不正競争防止法とか独禁法に抵触する可能性のあるものについては神経質になって、よけいに冒険ができないのだろう。

「こんなCMできました」
「そんなの放送するのは危険すぎるでしょ」
「薬事法に抵触しない?」
「他者を貶める内容になってない?」
「セクハラって受け取られない」
「このタレント、不祥事大丈夫?」
なんて具合に。

広告代理店はスポンサーに気を使うあまり、極めて詰まらないCMを生み出しているに違いない。
その反動として、広告代理店や制作側は「安全優先」「気に入られ優先」になってしまい、結果、ごますりCMが出現する。
どういうものかというと、第三者が見ても詰まらないが、内輪で見たらウケるというもの。
ちょうど、お笑い番組で未熟な芸人を見ていてスタジオ内で笑い声が聞こえるが見ている方は「?」という現象ににている。

で、その代表が「スポンサーの社員が出演している」と思しきCMだ。

ある天気予報番組ではスポンサーの不動産業者の店舗が映り、「いらっしゃいませ」のポーズや「どうしまたか?」というようなポーズをとっている。
それがやたら白々しい。
しかも社員には厳つい容貌の男も少なくない、5人ほどの社員が一斉に「いらっしゃませ」をすると、不動産屋ではなく〇〇組の人たちではないかとさえ思えるのだ。

またある大手建築会社のCMでは社員と思しき数十人から百人を越える人たちが現場の作業着やスーツ姿で音楽に合わせて腕を振っている。

ただそれだけ。

作り手側はミュージカルかなにかをイメージしての画面作りなのだろうが、素人にタップダンスやレビューは無理なので音楽に合わせて腕をふるだけ。
見ているだけで疲れてくる。

こういうCMは他にも多数あり、広告といいながら内輪に向けたメッセージ感が一杯で、それら会社とは関係のない視聴者としては「こういう会社の社員にはなりたくない」というその会社の世界に対する違和感がにじみ出てきて正直チャンネルを変えたくさえなるのだ。
でも社員がテレビの画面に出ているので経営側としては「お前たちテレビに出られていいだろう」みたいな空気も漂っているうえに「これで社員の一体感が得られる」なんて自己満足に陥っているのではないかと思えてならない。
なぜなら見えいる方は完全に白けているから。

社内に向けてはいい顔できるのかも知れないが、社員が出てきてそれが何なのが、受け手側の感覚になるのになぜ気づかないのだろう。
これが今のメディアの一角のクオリティだと思うと.........な気分になってしまう。


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