<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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北京オリンピックの男子フィギュアが終わった。
そして何があっても諦めない。
最後まで全力でやりきる姿を見せえくれた羽生結弦に勇気をもらった日本人はきっと多いことだろう。

それにしてもこんな時代が来るとは誰も思わなかったに違いない。
男子フギュアといえば、つい20年前までは日本選手にはメダルは夢の世界なのであった。
それが終わってみれば金こそ逃したものの銀以下4位まで日本人選手が独占。
金メダルをもぎ取った米国人のネイサン・チェンも中国カラーの衣装の別としてすごく素敵な若者だけに悔しさはあるものの不快感は皆無だ。

前半の演技で羽生結弦が最初のジャンプが飛べなかったその瞬間、一緒にテレビを見ていたカミさんは、一瞬の沈黙を置いて、
「....なんで〜〜〜〜〜、うそや〜〜〜」
と小さく叫んでいた。
私もびっくりした。
しかしその後の演技は完ぺきで、目はそのままリンクに釘付けになった。
まさかの8位での後半戦になったわけだが、最後まで諦めず完ぺきの上を目指したであろう彼の演技はもはや点数ではない、なにかを感じさせるものがあった。

平昌では少々生意気な感じのあった宇野昌磨もトップアスリートにふさわしい柔らかさが生まれ、新鋭鍵山優真には時代の代わりを感じさせる寂しいけれども強い希望を感じさせるものがあった。
そしてなによりも最後のその瞬間まで果敢にチャレンジし続ける羽生結弦のその姿が、心に強烈に焼き付いた北京冬季五輪男子フィギュアスケートなのだった。


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