<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ロン・ハワード監督「スターウォーズ ハン・ソロ」はネットで飛び交う前評判が芳しくないので、どこに問題があるのか大いに興味を抱いていた。
5つ星満点で2つ星なんてのをつけている人もいるので「ロン・ハワードのような大物が監督しているのになんで詰まらないんだろう?」と思っていたのだ。

ということで早速公開日に近所の映画館に足を運んで見てきたのだ。

これはあくまでも私の感想だが、スター・ウォーズも公開から40年が経過して他のシリーズ物と同じ現象が発生していることがよーくわかった。
スター・ウォーズにジェームズ・ボンド映画と同じ試練が訪れているのだった。

「ボンドと言えばショーン・コネリー。これは絶対だ」
という人もおれば、
「いやいやボンドにぴったりなのは本物の女王陛下をエスコートしたことのあるダニエル・クレイグ。これも絶対」
「でも私を愛したスパイのロジャー・ムーアがコミカルでいいわ」
という人もいる。
つまり人気キャラクターを様々な役者が演じることにより見る人のイメージが大きく異なってしまうというものだ。

ショーン・コネリーのボンドで慣れている人にはロジャー・ムーアは頼りなく、かといって筋肉隆々のダニエル・クレイグに慣れてしまうとショーン・コネリーはおじいさん。
出ている人で映画の評価も分かれるというものだ。

同様の現象は日本でもある。
水戸黄門、銭形平次、長谷川平蔵、大石内蔵助、などなど。
西郷隆盛が今年の旬だが、私は鈴木亮平は西郷隆盛にちっとも見えない役者と思えてしまってどうしようもない。

このちっとも見えない、というのは多くのコアなファンが存在するシリーズほど重症になる。

そういう意味でスター・ウォーズ最新作ではオールデン・エアエンライクの演じるキャラクターをハン・ソロと認められるかどうかというのがこの映画を楽しめるかどうかというポイントになっているように思われる。
なぜなら、映画はそれなりに面白いからだ。
だからハン・ソロはハリソン・フォードでなければ、という人は楽しめないかもわからない。
私はハリソン・フォードその人が多くのキャラクターを演じているので、あまり気にならない。
したがってリバー・フェニックスやショーン・パトリック・フラナリーがインディージョーンズを演じても気にならなし、ジック・ライアンをハリソン以外が演じてもそれはそれと思えるのだ。

ということで、「オールデン・エアエンライク」のハン・ソロも悪くないと私は思っているのだが、頑固な人はいかがか?



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「えーみなさん、大切なお知らせがあります。歌丸はまだ生きております」

と高座の枕で話だし笑いを取ったのは三遊亭円楽。
昨年8月に大阪岸和田の浪切ホールで開催された歌丸・円楽二人会での一コマなのだ。

「もしかすると歌丸さんを見れなくなるかもしれないね」

と言ってチケットを買ってカミさんと出かけたのがこの落語会。
予想以上に面白く、江戸落語が若干苦手な私も大いに楽しめたひと時なのであった。

この時、桂歌丸は舞台の袖から歩いてくるのが困難だったのか、幕が開くとすでに高座に座っていて、噺が終わると幕が閉じるという演出だった。
鼻にはチューブが付けられていて、

「お見苦しいものを付けて申し訳ありません」

などと言いながら噺を始めたのだが、客から見て、

「あ、無理してやってるな」

という雰囲気は微塵も感じさせない、これぞプロの噺家といった語りを聞かせてもらって楽しんだのであった。

あれから1年。
今はあちらで三遊亭小圓遊と再会して、
「あら、歌丸さん、遅かったね」
なんて言われて罵り合いを始めているかも知れないと想像したら、悲しいこともちっとはマシになる。
そういうところが噺家さんのトクなところかもわかならいな、と思った。

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