<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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私の父は岡山県の出身である。
従って私も結婚するまでは本籍地を岡山県としていて、

「大阪生まれの大阪育ちやのに、なんで岡山やねん。」

と思っていたものだ。
間違いないのは私も半分は岡山県人の血が流れているということだ。

小学校へ上がるまでは春と秋の農繁期は母に連れられ父の実家の農作業を手伝うというのが決まりごと。
母が田へ出ている時は一緒に田んぼについていって田植えや稲刈りの真似事をしたり、そういうことをしていないときは従兄弟のお兄ちゃん連中に遊んでもらったりしたものだった。
だから大阪生まれ、大阪育ちのいわゆる都会っ子であった私は、都会っ子にも関わらず農作業の真似事を通じて農家の暮らしいうものに子供の時に触れていたということになる。

父の故郷は市町村合併する以前は岡山県都窪郡山手村といい、近くに岡山を代表する景観の地〜備中国分寺があり、父の実家の裏からは田んぼの向こうに五重の塔を臨むことができたものだった。

その岡山が大変だ。
いや、岡山だけではなく広島や愛媛、兵庫、京都に我が大阪も北部は結構大変なことになっている。
先週末の記録的大雨は想像を絶する大洪水、土砂崩れを発生させ、今も断水24万戸、行方不明者の数の正確な把握もできていない状態がつづいている。

とりわけ岡山にフォーカスするのは私のルーツの1つだからでもあるが、実は今回の災害の中心になっている倉敷市真備町には付き合いはほとんどないとはいえ親類がいる。
祖母が亡くなった平成元年に1度だけ遊びに行ったことがあるが、紛れもなく水没したあの地域なのであった。
真備町と高梁川を挟んで対岸の旧清音村、そして今回被災している総社市、岡山市には親類が多数住んでいるので他人事ではない。

この高梁川を中心とする平野部はもともと肥沃の田園地帯で米どころでもある。
倉敷をはじめ多くの地域が江戸時代は天領・つまり幕府の直轄地だった。
ただ、大和朝廷に対抗する吉備の国の時代から人口は多いし水利が優れている分、天井川などもあり洪水には決して強いところではなかった。
豊臣秀吉の水攻めで有名な高松城は今回の災害地からもたった十数キロのところでもある。
治水には太古から十分に取り組んできたところだけに、またも大自然の驚異をまざまざと見せつけられたことになるのだろう。

ところで岡山と言う土地は関西と広島圏に挟まれた、どっちかというと地味なところである。
多分、全国的に、

「岡山で思い出すものはなんですか?」

と質問をしたら

「桃太郎」

になってしまうだろう。
それほど即思い出すものは少ないはずだ。
ところが実際の個性は広島どころではなく、関西も驚くほど独特の濃さを持っている。

例えば、
仁徳天皇との一大ロマンス伝説を黒姫。
涙で描いたネズミが動き出したという伝説を持つ雪舟。
幕末維新の多くの指導者を生み出した適々斎塾の創設者・緒方洪庵。
明治、大正、昭和と政治を引っ張り5.15事件で斃れた犬養毅。
かわったところでは、ライト兄弟に先立つこと100年以上も前に独自にグライダーを開発して空を飛んだと言われている岡山県玉島市出身の浮田幸吉。
文春のユーモアエッセイでお馴染みの土屋賢二お茶大名誉教授。
中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天ゴールデンイーグルスという3つのプロ野球球団を優勝に導いた闘将・星野仙一。
岡山出身の人々である。

強い個性と何糞根性の岡山県人。
その強烈なエネルギーで必ずこの災害を乗り越えていくに違いない。

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