<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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今年は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」公開から30年。
PART2では未来へ行くというストーリーが30年後の未来ということで、今年が1985年から30年の2015年。
それを記念していくつかのテレビの特別番組や雑誌の特集特集も組まれているようだ。

「映画の中で登場した未来のハイテクはどれほど実現できたのか」

と言った具合に。

空中に浮かぶスケートボード。
空飛ぶ自動車。
マルチビジョン型家庭用通信設備。
インターネット。
ロボット店員。

実現できているものもあるし、できていないものもある。
インターネットなんかは映画公開が終了して数年後に一般化。
今では映画で登場したよりスマートな運用がなされているように思えるのだ。

同じようなことが21世紀になったときに鉄腕アトムでも騒がれた。
その時も同じだったが、たかだか30年の時間の推移ではあまり大きな動きは実現出来ていないのも、また夢の無い現実でもある。

映画か公開された1985年は大きな出来事があった。
まず、私は大学を卒業した。
就職も決めずに卒業したものだから家族の顰蹙を買った。
暫くバイト勤めで頑張ったが当時も今もフリーターという自遊人は非難の対称となるのでずいぶんと嫌な思いもした。
かといって、このフリーター時代がないと今の企画マンとしての地位もないだろうから若いうちはアホをするのも重要なものなのかもしれないと思った。

そして8月12日には日航ジャンボ機が御巣鷹山へ墜落した。
前日の11日に大阪で大きなイベントを企画して開催していたので、
「まさか、東京からきた人に事故に巻き込まれた人はいないか」
と一瞬心配したが、考えてみれば逆方向なので事なきを得たが世間は暫くこの参事から目をそらすことができなかった。

御巣鷹山の事故の悲劇がまだまだ冷めやらぬ時。
我が阪神タイガースが21年ぶりの優勝をした。
甲子園だけではなく大阪じゅう、いや全国を熱狂の渦に巻き込んでついには西武ライオンズを倒して日本一に輝いた。
日航機事故で亡くなった球団社長への追悼という意味でも大きく報道されたのであった。
なお、この時に活躍したランディ・バース選手にみたてられたKFC道頓堀店のカーネルサンダースの人形が道頓堀川に胴上げの後投げ込まれ行方不明になる事件が発生。
長らく「カーネルサンダースの呪い」として優勝から遠ざかっていたタイガースは18年後に優勝。
その数年後。
橋下徹市長指揮のもと改修工事をされていた道頓堀川の川底から汚れたカーネルサンダースが発見された時は関西の新聞では大きく取り上げられたものであった。

1985年というのはそういう年であり、かつ、テレビドラマ「ファミリータイズ」を見たことのなかった私にとってはマイケル・J・フォックスを初めて見る機会になった年なのであった。

つづく


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