<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



私は2004年に初めてベトナムを訪れた。
サイゴンのタンソンニャット国際空港に降り立った時は、どういうわけか「ついに来た」という感慨が胸いっぱいに溢れてバイクの排ガス充満する空気で深呼吸したのだった。
ベトナムは東南アジアではミャンマーの次に訪れてみたい国なのであった。
ベトナムといえば、私が子供の頃は「戦争」をしている国という印象が強く、それは大人も同じで、母などは、

「ベトナムへ行って戦争は大丈夫なんか?」

と30年も昔に終結したベトナム戦争を心配した。
母にとって昭和40年代はじめに見たベトナム戦争のニュース映像の残虐なシーンが頭から離れないらしく、旅立つ私を心配したのだった。

ベトナムに関心を持つようになったのは、東南アジアを旅するようになってからだ。
東南アジアといっても最初はタイとシンガポールとマレーシアしか知らなかった。
しかもほとんどはタイでの滞在で、バンコクの安宿に宿泊してはバンコク都内のお寺をウロウロしたり、船着場でぼんやりしたり、チャオプラヤーエキスプレスの安近短な船旅を楽しんだりという、一般的な海外旅行とは言いがたい旅をしていた。
遊びに行くことなんか富んでもないことで、少々日本式の赤ちょうちんの飲み屋に出かけるくらいが関の山であった。
なんといっても、私に旅は予算が限られていた。
今も、限られている。

そんな旅なので金はないが時間はいくらでもあった。
従って、4日から1週間という短い滞在でも本を読む時間は結構あったので、文庫本を数冊買い込んで空港や駅、船着場、バスの社内、などで読み漁った。
初期の頃の私の東南アジアの旅は読書の時間の旅でもあった。

この旅で出会った本は林望の「リンボウ先生」シリーズ、佐藤雅美の「大君の通貨」のような歴史ノベル、沢木耕太郎の「深夜特急」など色々であった。
とりわけ自分自身がバックパッカー的な旅をしていることに気がつかないまま、沢木耕太郎の「深夜特急」を呼んだ時の衝撃は大きかった。
自分より遥かにダイナミックに旅をした人がいた事と、その旅の過程の面白さ、自分の旅の要素との共通点に大いに感銘を受けたのであった。
以後、たくさんの沢木作品を読み漁ることになったのだが、その作品のなかに、沢木耕太郎と一緒に文藝賞を受賞した近藤紘一のことが書かれていて、これがベトナムに大きな興味を持つきっかけになった。

作家近藤紘一はサイゴン解放時に唯一そこにいた日本人記者、産経新聞の特派員なのであった。

「サイゴンから来た妻と娘」を皮切りに「サイゴンの一番長い日」などその著作を貪るように読んで、ますますベトナムへの好奇心がそそられた。
その好奇心は近藤作品ではなく、他のベトナム関係の書籍を読み漁るというところまで加熱して、ついに近代東南アジア史と日本史の複雑に絡み合った関係に面白さを見つけて、以後の旅行スタイルまで変えてしまうような衝撃を受けたのであった。

近藤紘一が同じ産経新聞の記者であった司馬遼太郎と交流があることは様々な書籍で聞き知ることになったし、近藤紘一の遺作とも言える作品集に弔文を載せたのが司馬遼太郎であったことからも、司馬遼太郎のベトナム史観というものを知る機会があれば知ってみたいと思っていた。
だが、知ってみたいと思っていてもわざわざ調べるところまでは至っていないところが、私の「好きだけど面倒くさい」ものぐさ癖の悪弊だったのかもわからない。

そんなこんなで随分時間的に経過してしまったつい先日、近所の書店で「人間の集団について ーベトナムから考えるー」(中公文庫)を見つけ、即買い求めてしまったのであった。

つづく

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )