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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



今日はバレンタインデーだ。
朝からカミさんと娘から共同で「はい、お父さん」と手渡されたのはスターバックスの紙袋。
中を開けてみるとココナツ+シュガーのふりかけのようなものだったので、
「ん? なにこれ?」
と一瞬戸惑ったのであった。
バレンタイデーのチョコレートにしてはかなり変形で、
「これ、ご飯に掛けて食べるん?」
と訊いたところ、
「食べられるもんやったら食べてみ〜」
とカミさん。
「コーヒーとかミルクに入れて飲むんやで」
と娘。
ありがたく頂戴したのであった。

ところで、バレンタインデーが近づいてくるとラジオから頻繁に流れてくるのが国生さゆりとおニャン子クラブの「バレンタイデーキッス」。
もう30年も前の歌なのだが、バレンタインデーになると毎年のように聴くことになる歌になっている。

「おニャン子クラブって何?」

と云うのは高校生の娘。

「昔のAKBや」

との説明に、

「ふーん」

と関心なさそうなそぶり。

ま、いずれにせよ「バレンタインデー・キッス」はクリスマスにおける山下達郎の「クリスマスイブ」の役割を達成しつつあるようだ。
と、いうようなことを聞くと山下達郎ファンは怒るかもしれない。

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京阪神の新年最初のイベントは十日戎。

「えべっさん」と親しまれるこの祭は商売繁盛を占う結構大切な祭でなのだ。
とりわけ商業の街大阪ではえべっさんは天神祭と並ぶ大きなイベントでもある。
難波エリアの今宮戎か西宮の西宮戎が有名だが、えべっさんは各地で祀られ、ここにえべっさんの祭を開催しているのだ。

私は堺で生まれ育ったので、子供の頃は自営業を営んでいた父を中心にして堺戎神社にお参りをした。
堺戎神社は南海電車堺駅と堺東駅のちょうど真ん中。
チンチン電車の阪堺線が走る大道筋近くの開口神社の境内にある。
えべっさんの時は周囲に露天が立ち並び多くの人で賑わっていたものだ。

今は往時の賑わいから比べると随分と静かになってしまい、「えべっさん」の祭文化も少し変わりつつあるのではないか、と少し寂しく感じているところだ。

今年、私も久しぶりに「えべっさん」にお参りしてきた。
仕事が変わることもあり、願掛けに出かけたのだ。
参拝してきたのは岸和田駅前の天神戎神社。
境内には飴売り、焼きとうもろこし、回転焼きなどの何軒かの露天が並びそこそこの人出で賑わっていた。
スピーカーからは地元の歌手が歌う「商売繁盛で笹もってこい!」の歌声が響き少々騒々しいのだが、それはそれ。
商売繁盛の神様だけに静かなよりは良いのかもしれないと思った。

翌日。
同じ岸和田市内の兵主神社での「えべっさん」にも立ち寄った。
この兵主神社は地域でも最も古い神社の一つなんだそうだが、境内では松の大木が森をつくり、木漏れ日が本殿を照らし出し、ひと味違ったえべっさんを演出していた。
春木川に沿った参道では早くも梅が咲いていた。

温かいえべっさん。
商売は季節通りの気候がいいのだが、果たして今年は吉と出るのか。
ホノボノとした関西の春の始まりなのであった。



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今年はGWもお盆休みも旅行ができない。
できる旅行は出張のみ。
「え?いろんなところへ行けてええやないですか。」
と言うなかれ。
出張は仕事なのでどこへ行っても任務がついて回るので面白くないことこの上ない。
このブログも仙台のホテルで書いているのだが昨晩は牛タンも三陸の海の幸も食べること無くクタクタになってコンビニ弁当と缶ビールで済ませてしまったのであった。
かなりの後悔ではある。

なぜこうなってしまうかというと娘が受験生だからだ。
従ってこの我慢、運がよければ来年3月で終了することになる。
それまで旅立ちの欲求はひたすら抑え、娘の旅立ちを応援しなければならないのだ。

受験生の娘を抱えていると、色々な大学からパンフレとやらなんやらかんやらと送られてくるので、それらがなかなか興味深い。
関西の大学は当然のことながら関東や中京圏の大学も、どこで調べたのか娘の名前で、
「◯◯大学のキャンパスライフ」
とか、
「各界で活躍する卒業生」
といった「うちの大学は凄いでしょ」みたいなパンフレットが送られてくる。
パンフレットは厚手の紙に印刷され、デザイン事務所が精魂込めてレイアウトし、プロのライターが作文した文章、プロのカメラマンによる表情豊かな写真が散りばめられている。
まるで高級リゾートクラブのパンフみたいな学校もある。

郵送で送られてくるパンフがそんな塩梅なのでオープンキャンパスや説明会となるともっと凄いようだ。
しかも私学だけではなく国公立大学もオープンキャンパスを実施して色々なセミナーやアトラクションを用意して自分の大学がいかに素晴らしいかをPRしている。
それも地方の国公立大学ではない。
京大や阪大がオープンキャンパスを開催しているのだ。
こういうところは放っておいても志願者が集中しそうな気がするのだが、独立法人になってからは「うちは旧帝大です、えっへん!」みたいなところがなくなって来ているのかもしれない。
国公立がそんなのだから私学は苛烈だ。
現役の学生や卒業生などを招いて「当学の入学試験受験対策セミナー」といったものを2ヶ月に1回程度の割合で実施。
本来なら予備校や塾がやっていたことを専門に行っているのだ。
より優秀でやる気のある生徒の獲得を目指している大学と、より多くの学生の獲得だけを目指している大学では趣旨が違うのかもしれないが、大いに興味をもってしまうところである。

関東の大学の関西の高校生へのアプローチは奨学金をちらつかせるところも少なくない。
まるで地方行政の企業誘致みたいだが、昨今、慶応や早稲田といった関東のトップ私学とて関西をはじめとする首都圏以外からの学生の獲得には苦戦をしているようだ。
なんでもここ数年、バブル崩壊以来時間が経過するとともに、親の負担を考えてか地方から早稲田や慶応を目指す学生が激減。
これら大学は首都圏限定の地方大学になりそうな雲域なのだという。
そこで地方からの学生には寮を提供し、親の負担の軽減を図る援助制度を用意。
是非とも東京へ。
という政策に汗水を垂らしているというわけだ。

さて、肝心の我が娘だが建築家になりたいということなので心に決めている大学がありそうなのだ。
未来の隈研吾、安藤忠雄はたまたフランク・ゲーリーに成れるか否か。
高校3年生の短くも過酷な夏を頑張っている姿は、私には最大の励みになるのだ。


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ラジオを聞いていると米国共和党大会でのトランプ候補の相も変わらぬ下品なニュースが飛び込んできた。
で、一緒に聞いていたカミさんが一言。

「映画のエアフォース・ワンでもハリソン・フォードが大統領役やったからカッコ良かったんよ。トランプのエアフォース・ワンなんか考えられへん」

なるほど、我がカミさん。
なかなかな目の付け所だと思った。
もしドナルド・トランプがエアフォース・ワンに乗ったら、それは映画「エアフォース・ワン」の世界ではなく映画「フライングハイ」の世界ではないかと思った私の想像力に誤りはないと思う。

そんな一瞬なのであった。


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百科事典ビジネスというのがあって、
「全集揃えて知的に行こう」
というのかどうかは知らないが、我が家にも平凡社大百科事典があってすっかり骨董品の領域である。
私が子供の頃に両親が無理をして月賦で購入したと思われる全36巻プラス索引と地図という構成で、しかも1976年ごろまでだろうか年鑑も毎年1冊の割合で発行していた。
かなりの体積をとる書籍で、印象は重厚である。
正直今では1年に一度使うかどうかわからない辞典になっているし、今時何かを調べるというとインターネットを使うので場所だけをとるかなりの厄介者でもある。
しかし親が若い時に将来を託す気持ちで息子のためをと思って購入してくれた百科事典はそう簡単に捨てるわけにもいかず保管されている。
幸いなことに書棚が丈夫だったので21年前の阪神大震災でも多くの書籍が雪崩をうって外へ飛び出したのに対し、百科事典はどんと構えていて私の家に君臨しているのだ。

百科事典は場所を食う。
高い。
でも、書店にとっては大きなビジネスになったようで他にもタイムライフの図鑑関係が我が家にはまだある。
尤も、このうちタイムライフのライフ写真年間は子供の頃はそう凄いものという感覚がまったくなかったのだが、長じて歳を重ねるごとにライフ誌の写真に度肝を抜かれ「時代を切り抜くことの大切さ」をひしひしと感じているのだ。
フォトジャーナリズムに興味を持ってから眺めるライフ写真年間は重要なコレクションになっている。

この辞典ビジネスを今も続けるのがディアゴスティーニ。
毎月1回か2回、シリーズの冊子や付録を出版する会社で毎回興味深い企画を打ち出してくる。
あるときは恐竜。
またあるときはスタートレック。
そしてまたあるときは自動車の模型。
と言った具合にそれこそ沢山の企画を打ち出しては最初だけ話題をさらっているのだ。

このディアゴスティー二の企画はだいたい最初の「創刊号」なるものは980円で売られている。
皆に興味をもってもらうために特別価格で販売している。
そしてこの特別価格の意味はもう一つあり、このシリーズが通しで毎回1000円程度で購入できるものと思い込ませることだ。
シリーズはだいたい50回ぐらいは続くわけで、
「あ、だいたい全部揃えると5万円ってとこか」
と油断をすると、2巻目からは1冊1980円とか2980円になってしまうので、完成させるには10万円以上の貧乏学生、貧乏サラリーマンには膨大な金額になる。
気がついた時は途方も無いビジネスに乗せられている自分に気がついて愕然とすることになるのだ。

そもそも私はこのディアゴスティーニのシリーズを全巻揃えたり、模型を完成させた人に会ったことは1度しか無い。
それは私の実の伯父で、何かの挨拶の時に伯父宅を訪れると、
「ええもん見せてやるけん、待ちおれおよ」
とニヤニヤもったいぶって話す。
ちなみに伯父は岡山県出身で大阪生活が長いにも関わらず身内が揃うと大阪生まれ大阪育ちの私にまで岡山弁で話をするのだ。
で、待つこと30秒。
伯父が敬々しく持ってきたのは真っ赤なランボルギーニの模型なのであった。
「も~、10万円以上かかったんよ。あほや~いうとるのに」
というのは伯母のコメントなのであった。
伯母は大分育ちで大阪生活が長いのだが、伯父と夫婦になってしまったために関西弁と岡山弁と大分弁が綯交ぜになる独特のイントネーションで話してくれるのであった。
そのランボルギーニ。
よくよく見ると細かいところまで再現されており、ドアは開くわ、ライトは点くわで凄い模型なのであった。
でも、これって十数万円すると思ったらタミヤかどこかの模型を買って自分で電飾や改造を施したほうがいいものができそうな気もして複雑な気持ちになってしまったのであった。
定年退職してフリーの身の上だからこそできる技なのであった。

最近サンダーバード2号のシリーズがディアゴスティーニからリリースされてそのランボルギーニを思い出した。
このサンダーバード2号を完成させるにはそれこそ20万円近くのお金がかかりそうで、いくら今井のサンダーバード2号が大好きな私でも、これには手をだすことはなかなか難しい。
そんなこんなで大きな疑問が復活した。

ディアゴスティーニの完成率は何%なのだろうかと。

そういう統計があったら見てみたいものだ。

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5年ほど前。
神戸市内のとある化学薬品メーカーさんから、

「3年前に購入した実験台の引出しが全部落ちてしまっているんです。他社製ですけど修理できるかどうか見てもらえますか?」

との問い合わせが販売店から入ってきた。
修理できるかどうか不明だが、なぜ購入したメーカーではなくて別の会社、つまり私の会社にコンタクトがあったのか大いに謎なのであった。
で、JR神戸線の某駅にほど近いその化学薬品メーカーさんの研究施設に行ってみると、なるほど引出しという引出しが全部壊れて落ちている。
引出しのレールが木ビス1本でしか止まっていないのだ。
引出しに物を入れるとその重みで抜けてしまい、引き出しごとドカッとキャビネットの中で落ちているというのが、状況なのであった。

「買ったメーカーに言わなかったんですが?」
「言っても来ないんですよ。営業も修理も。」
「安かったんですか?」
「価格で決めてしまいましてね?」

外見が新品同様なのに、引出しだけが下にガタガタ落ちていたのだ。
で、メーカー名を見ていると筑波に本社を置く、業界ではちょっと有名な企業なのであった。

「あ、やっぱり」

という感じだ。
仮にこの会社の名前をファーイースト技研と呼ぶことにしよう。

同じファーイースト技研が設置した神奈川県下の大手製薬会社の研究所。
仮にこの会社の名前を信玄製薬と呼ぶとする。
信玄製薬は新研究所を設置するにさいして研究設備を逆オークションで購入。
安い所に発注する仕組みだ。
で、数社が競争して信じられない安価で受注したのがファーイースト技研。
納品したらスチールパネルはベコベコだし、カタカタ音は鳴るしで、こちらも大クレーム。
しかし、営業担当者もメンテナンスも一旦納品してお金をもらったら絶対来ない。
ある意味肝の座ったメーカーなのだ。

実はファーイースト技研はこんなこと当たり前のメーカーで、あちらこちらで同様のアコギを繰り返している。
先の信玄製薬も大阪にある研究所で数年前に同様の憂き目にあい、出入り禁止にしていたメーカーなのだが、大手企業の悲しさで数年経てば担当者も変わり、以前のキズは忘れ去られてしまっていた、というわけだ。

このファーイースト技研が先週、大阪南港にある国際展示施設で大きな展示会を開催した。
理科学系の展示会に合わせて、自社だけのパビリオンを形成した、というところだ。
同業他社はお断り。
さすがにユーザーは被害者が多いのか、招待客は1ヶ月かけて集めた販売店さん中心。
大きな会場には入り口に大きなレストランが有り、来場客にはフルコース並みの食事を提供。
周囲にはバイオ、ケミカル、動物飼育施設などの実機が並び中央には茨城の板金屋で作ったのか、新製品が並んでいた。
説明員は社員ではなく、メーカー派遣の社員たち。
こうなると家電量販店とあまり変わらないのが滑稽だ。

さらに同時開催のセミナーがすごく、各界の有名人を4人招いて特別講習。
私が行った最終日は著名な建築家、仮に名前をボクサー忠雄とすると、そのボクサーさんが講演を披露。
まさか自分を呼んだこのメーカーがインチキ納品で有名な企業と調べもしなかったのであろう。

ちなみにこのメーカー。
数年前には東京有楽町の某国際会議場で同じようなパフォーマンスをやったそうな。

STAP時代の理科学メーカー。
インチキメーカーの派手なパフォーマンスに騙されるユーザーや販売店はどれほどいるのか。
「入札から締め出してやりたい」
と言った某国立大学の先生の言葉がすべてを表していると言えるだろう。

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今年のお正月は喪中のため、自宅でおとなしくしていようとしていたのだが、気がついてみると神社仏閣にお参りしない以外は、例年の正月の過ごし方と全く同じなのであった。
まず、元日は堺市内にある私の実家へ行きお雑煮をいただいた。
私の家は家内側の要因で喪中であったため、実家では喪中ではなく普通にお正月。
お屠蘇もいただいた。
それもたっぷりなのであった。
朝からお屠蘇という酒を頂戴できるのは、子供の頃からありがたい日本の風習だと思っている。

私は初めてお正月でお酒を飲んだのは記憶にあるのは幼稚園の時で、父の酒坏に3分の1ぐらいの量をもらって、
「美味しい」
と言った。
大人たちは驚いたが、私は正直美味しいと思ったのであった。
ちなみにビールは小学生の時に少しなめさせてもらったが、
「苦い~~~~~~~」
となって、ちっとも美味しいとは思わなかった。
私は日本酒党の子供なのであった。

今では日本酒、ビールがメインでたまに他の酒を飲む。

当然お正月は両方の酒を朝から楽しむ特権がすべての日本人にあり、ここでほろ酔い加減で近くのお宮さんにお参りするのだが、そこは今年は叶わずであった。

高1の娘は喪中であっても御神籤だけは引きたいという願いを持っていたが、
「高校生なんやから、それくらい我慢しなさい」
と窘めた。
その窘められた娘の希望が叶ったのは2日。
グランフロント大阪を訪れた時であった。

グランフロントを訪れたのはナレッジキャピタルのイベントスペースで開催されていたチョコレート展を見たかったのと、若干の買い物をしたかったからだった。
私は雑踏が嫌いなので正月セールの人気ショッピングゾーンへ行くことは躊躇されるのだが、カミさんと娘に促されて出かける羽目に陥ったのであった。

チョコレート展は東京でヒットした展示会の大阪版で、チョコレートの歴史や製造工程などを学べる展示会。
チョコレートを山ほど食べられる展示会と思っていた娘はいささか失望の感が漂ったのであったが、最後にあるチョコレート販売のコーナーでお気に入りのチョコやグッズを購入して機嫌は多少持ち直したのであった。
そもそもチョコレート展へ行くとチョコレートぐらい食べさせてくれるだろう、と思っていたのは娘だけではなかった。
私も思っていたのだ。
しかし、真面目な見ることがメインの展示会であり、娘が失望する姿を見ながら、「いい加減にしなさい」と言っていた私も失望していたのであった。
カミさんが知ると笑われるところであった。

チョコレートの原料のカカオが昨年は非常に高騰し、かつ円安の煽りを受けてチョコの価格がみるみる値上がりしたのだったが、カカオが非常に作りにくい豆であることを今回初めて知った。
カカオはアメリカ大陸原産で、それをスペイン人がインディオから命と一緒にむしりとり、ヨーロッパに持ち帰りそれが世界に広まったのだという。
滋養によく、最初は薬代わり。
高級であることはもちろんのこと、チョコレートではなかったのだ。
カカオがチョコになったのは19世紀。
この件は他の本で読んで知っていたのだが、その時も高級な食べ物だった。

お正月ということで、「お年玉」としてチョコレートを一個頂いたのが、この展示会の最大の喜びだったかもしれない。
そんな地味な展示会だった。

で、娘の御神籤の夢が叶ったのは、そのあとでパナソニックスクエアに行った時であった。
凄い混雑の中、パナソニックスクエアのフードコートでお茶休憩しようとしたら、ショールームの中で巫女さんが無料の御神籤をしていたのであった。
娘は神社ないんやから、大丈夫とばかり御神籤を引くため列に並んだ。
で、引いてきた所、
「半吉」
中途半端なのであった。
パナソニックでのみくじなので、大吉「4Kテレビ」とか、中吉「DVDレコーダー」とか、超大吉「システムキッチン」とか当たるのではないかと思ったのだが、そんなことは絶対なく余興的な御神籤なのであった。

買い物は大混雑のなか、全商品50%のGAPでそこそこ買い込み、帰路についたのであった。

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中国では大音量の音楽と共にダンスを楽しんでいる集団と、その公園の前にある高層住宅の住民の対立が激化して、大変な事態に陥っていることがNHKニュースで報道されていた。
公園で大音量というのは、他の国でもたまに見かける光景だが、中国のそれは常軌を逸している。
深夜まで大音量で踊りまくるいい年こいたダンス軍団。
それを駆逐しようと400万円相当の音叉発生器を購入して攻撃する住民。

警察は何も言わんのか、あるいはそれを取り締まる法律が何も無いのか。
実に不思議な国なのである。

そもそも夜の11時過ぎに大音量でダンスなどされては眠ることも出来ず、平和な生活をその公園周辺の住民はできなくなるのは、踊る方も分かっているのではないか。
それでも踊り続けるのは他人に対する思いやりがまったくない、というこの国の特徴を如実に表している出来事といえる。

何年か前にアメリカNYのブルックリンの公園で中国人が同様に大音量で太極拳かなにかをやっていたら、当然のことながら警察がやってきて逮捕し、裁判の上、刑務所にぶち込んだという事件があったのだという。
アメリカは中国に似たところの多い国だが、圧倒的にまともと言えるだろう。

実はこの公園に似た場所が大阪にある。
天王寺公園の測道を占領し、カラオケに興ずるホームレスか、それに近しい人たちである。
最近、この辺りに出かけることがなくなったので、まだやっているのかどうか知らないが、かなり迷惑な光景だった。
市民系組織を支援する報道に長けている某新聞は、
「市民のふれあいの光景」
と表現。
アホかいなと思っていたら、それに輪をかけるように、大阪市がホームレス閉め出しのために天王寺公園を有料化すると、
「なんという無慈悲な行政」
みたいな報道をしていて私たちの顰蹙を買ったものだ。
その新聞は従軍慰安婦問題でいい加減な記事を書いたと非難され、最近は発行部数も激減しているという。
めでたしめでたし。

それにしても、このホームレスレベルの「自分さえ良ければ」という感覚は、他国のことなど眼中に無い中国の基本的体質を表しているようで、よくよく考えるとかなり恐ろしいものがあるのだ。

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先日、卒業式へ参列してきた。
といっても私の卒業式ではない。
私が最後に卒業したのは大阪芸術大学の卒業式で、もう30年以上も昔の話になる。
今回参列してきた卒業式はというと、まさか見ず知らずの子供の卒業式ではない。
私の娘の中学校卒業式に行ってきたのだ。
実に40年近くぶりの中学校の卒業式なのであった。

それにしても卒業式は清々しい。
いつの時代になっても感動を呼び起こすものがある。
しかもこれが自分の子どもの卒業式となると、こうも感無量になるとは思わなかった。
様々な思い出が、なぜか生徒でもなかった私の脳裏をかすめ、あんなこともあった、こんなこともあったと懐かしさと、二度と戻ってこない寂しさがないまぜになり、涙が滴り落ちそうになったのであった。
カミさんなどは花粉症なのか、感動しているか判別のつなない涙を流していたが、よくよく確認すると、やはり感動していたのであった。

一方、肝心の娘はというと終始ニコニコの体にて涙ひとつ流すこと無く、「やったー!」という感じで、自身の中学生活を締めくくったのであった。

それにしても不思議だったのは、女生徒が泣くのは分からなくはないが、男子生徒が大勢泣いているのには、かなりビックリした。
在学中、先生を悩まさせ続けた生徒ほど、涙を流していたのであった。
はじめ、泣きながら歩いてくる男子卒業生を見て、私は、

「お、殴られたんか」

と思った。
卒業式を契機に、ここぞとばかり、日頃恨まれている生徒が、ヤンキー生徒に囲まれて、一発ぶちかまされたのかと思ったのだ。
ところが、実際はまったく違った。
感極まって、ただ単に泣いているだけなのであった。

私の中学卒業で泣いていた友人は男子にはひとりもいなかった。
みんな迫り来る高校入試とその結果のことをわいわいがやがやと話していたものだ。

「お、お前の学生生活も終わりやの」

と言われて誂われていたT君は大阪府の職員となり、からかっていた方はM電機の技術者になっている。
そんなこんなで泣くことなどなく、冗談を言い合っていたのだが、今の男子中学生は、泣いていた。

驚いたことに、それにつられてかどうかわからないが、男の先生も泣いている人がいたのにも驚いた。
泣いていたのは体育祭で悪い素行の男子生徒グループを追いかけまわしては、

「こら~~~!」

とか怒っていた先生だ。
この先生は身長が低く、まだ若いので、私は最初、

「何組の子やねん、あいつ」

とカミさんに尋ねたところ、

「アホ、あの人は理科の先生や」

と教えられズッコケそうになった。
要は熱血漢の若き先生で、その追いかけていた先生と、追っかけられていた悪ガキが一緒になって泣いていたのであった。

卒業式の成せる技と言えよう。

ところで、君が代を歌い、在校生の歌を聞き、卒業生の蛍の光を聞き、娘の中学校の校歌を聞いていて、自分の中学と、高校の校歌を完璧に忘れていることに気がついて愕然としてしまった。
冒頭の歌詞さえ思い出すのが困難なのであった。
末尾の、「○○中学校~」は、だいたいどこの学校も同じなので思い出したうちに入らず、大いに困惑した。
小学校の校歌は思い出せるのに、なぜ、中高の校歌を思い出さないのか。

卒業式はまた新たな問題を掘り起こしたのであった。

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久しぶりに風邪をひいてしまった。

ここ数日、妙に寒いなーと思っていたら、秋を通り越して冬になっていたのだ。
ついこの間まで「暑いよ~、暑いよ~」と汗をダラダラ流していたのに、いきなり冬になったものだから、体のコンディションも、そのスピードについて行くことが出来なかったわけだ。
なぜなら、私はまだまだ暑い日々が続いていると思い込み、仕事が終わって自宅に戻ってきたら、風呂に入ったあとはランニングシャツにパンツ一丁という出で立ちでリビングでビール何ぞを飲んでいたのだ。
これで風邪をひかない方がどうかしている。
ある意味、風邪をひいたから正常な肉体であったということが言えるのかも知れない。

それにしても今年の風邪はまず、重度の肩こりと膝痛という現象からスタートした。
仕事では私は自動車をめったにつかわず歩くのだが、今回は歩いていると膝が怠くて痛くてどうしようもないくらい苦痛を感じたのであった。
しかも肩の上には何か乗っかっているのではないかというぐらいのズシリとした重量感を感じながらである。
「はてさて、何か霊にでも取り憑かれたのか」
と思いたくなるくらいの肩こりなのであった。

やがて鼻水が出てきて、次いで鼻がつまり、咳が出るに及んで、
「これは風邪だ」
と気づいた。
20代の頃は浅田飴だけで風邪を治してしまった私であったが、ここんところ風邪をひくと症状が長引くという、嫌な病状ががあるので、早めに風呂に入って寝ることにした。
ところが、その夜、寝ている時にいきなりのどにタンが詰まって呼吸が出来なくなるというアクシデントが発生。
ズバッと一気に目覚めて、
「ぜ~~~~は~~~~、ぜ~~~は~~~」
と死にそうな呼吸を繰り返すと、カミさんが驚いて、
「どうしたん!どうしたん!どうしたらええの!」
と必死の形相なのであった。
こっちとしては、
「タンが気管に入って息が出来ない。救急車読んだ方がいいかも」
と言いたいところだが、声に出るも何も、息をすることがほとんど出来ず、
「死ぬかも」
と思っていたら、やがて少しづつ息が出来るようになって、ことなきを得た。
救急車を読んでいたら、笑われているところであった。

そんなこんなで、これは普通ではないと思った私は翌朝、近所の内科医を訪れた。
「あそこなら、並ばずに見てもらえるよ」
という義母のアドバイスに則って訪れたのであった。

で、予想通り、患者の大半は年寄りで、それもほとんどが注射のみ。
私の診断の順番がすぐに回ってきて。先生に見てもらえることになった。

「どうしたんですか?」
と先生。
「風邪みたいなんです」
と私。
「風邪?」
「はい」
「いつからです?」
「おとといぐらいからおかしくなりまして」
「熱はあります?」
「いいえ」
「はい、舌出して。」
「あ~~~」
「薬出しときましょ。それ飲んどいてください」

ということで、1週間分処方されたのが写真の薬なのであった。
結局。2日経っても3日経っても症状は緩和されず、悪化をたどった。
5日に目におよんで、症状の主たるものが咳と鼻水鼻づまりなので耳鼻科を訪れると、バキュームみたいな機械で鼻水を吸引し、蓄膿でないかのレントゲンを撮って、薬を2種類処方されたら、それでだいたいの症状が治まってしまったのであった。

恐るべし耳鼻科。
もっと恐るべし、近所の内科。
なのであった。

ということで、体調は急ピッチで戻り始めているのだが、カミさんが、
「しんどい」
と言って寝てしまったので、明日は耳鼻科に行くように薦めてみるつもりだ。

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