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宇宙エンタメ前哨基地

<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム

洪水体験メモ

2010-08-09 23:14:49 | 旅_アジア
世界中で洪水が発生して大きな被害を出している。
中国では鉄砲水で街が土砂に埋まって大変だ。

「二階、三階まで汚泥に埋まって....」

とラジオのニュースが伝えていたけれども、二階三階まで土砂が来るのはどんな災害なんだろう。
現地では数千人の住民が行方不明になっているといい、人民解放軍が救助作業に当たっている。

洪水で大変なのはヨーロッパも同じだそうで、ドイツやオーストリアではかなりの人々が洪水で亡くなっているのだという。

「三峡ダムのせいじゃ」

と、私の父は酒を飲みながら呟いた。
なんでも、三峡ダムの巨大開発が地球規模の環境異変を引き起こし、世界中で異常気象を発生させているのだという。

さすがに、私の住む大阪府南部で洪水の話はめったにない。
ましてや生まれ育った堺市では洪水騒ぎは待ったに起きない。
親類の住んでいた門真市や守口市というところは台風が来るたびに床下浸水していたものだが、
「なんで、そうなるの?」
と子供のわたしはコント55号の欽ちゃんの物まねでよく、そう言ったものだ。

したがって、私は長い間、洪水、というものを体験したことがなかった。

洪水を初めて体験したのは、初めてミャンマーの首都(当時)ヤンゴンを訪れた時であった。
滞在最終日前日、次の日の夕方便でバンコクに帰る予定の私は、ガイドさんがコーヒーをご馳走してくれるからということで、市内中心地のJドーナッツを訪れた。
Jドーナッツはヤンゴン市内にある数少ないファーストフード店のひとつで、早い話がミスタードーナツのコピー店なのであった。
店内の作りはミスタードーナツと同じ。
メニューもフレンチクルーラーなど定番の製品が揃っていて、これもミスタードーナツと同じ。
聞くところによると、JドーナッツのJはJapanのJであるとのことで、日本のドーナッツ、ミャンマー版「ミスタードーナツ」なのであった。
ちなみに、このような模倣店はミャンマーには多く、ミスドの他に「マックバーガー」(マクドナルドのコピー)、「Tokyo Frid chicken」(ケンタッキーのコピー)などが存在している。
お隣のタイには全部オリジナルが存在することを思えば、米英の経済制裁恐るべしである。

で、そのJドーナッツでガイドさんと話をしている僅か数分の間に、雨が降り出し、気がついて約15分後外に出てみたら、通りは辺り一面水没していたのであった。

「えらいこっちゃ」

と思う私を尻目に、ガイドさんが、

「排水溝をちゃんと掃除しないから、こうなっちゃんですよね。ゴミもあちこち捨てるし」

と説明してくれた。
その説明が妙にリアルで思わず笑ってしまったのであった。
水はなかなか引かずどうしようかと思っていたら、タクシーがまるで川の中を進む船のように水煙をあげながら走ってきたので、それに飛び乗り、水の無いところまで移動したのであった。

以来、ミャンマーを訪れるたび、とりわけそれが6月なんかだったりすると洪水に遭遇することになっている。

なかなか雨でマトモに参拝できなかったゴールデンロックへの三度目のチャンジの時も、雨なのであった。
しかも豪雨。
ヤンゴンからゴールデンロックへ向う途中の街バゴーもまた、かなりのところが水没していたのであった。

洪水はテレビで見ただけではただの災害だが、近寄ってみると非常に汚い災害であることがわかり、たまらない。
「洪水になったら泳いで移動したらええねん」
と小学生ぐらいの知恵の人は言うかも知れないが、とんでもない話だ。
泳いで移動する、なんて論外で、下手をすると誰のものやらわからないウ○コと道連れになってしまう可能性もある。
洪水は病気の原因も運び込んでくるから恐ろしい。

ということで、世界中が洪水続きで大変だ。

ハゲは入国禁止

2010-06-16 08:31:34 | 旅_アジア
朝日新聞WEB版の記事

中国はなんてけったいな国なんだろう。
「髪の毛の薄い人にはビザを出さない」
ですと。

このニュース、台湾メディアが伝えるニュースなので半分くらいは「ジョーク」かな、と思っていた。
それに掲載されているのが記事捏造では数多くの実績のある朝日新聞社。
まさか、と思ったのだ。

それにしてもハゲは「変装がしやすい」というのは理由になるのだろうか。
ハゲだとズラがかぶりやすいというのは確かかもしれないが、カツラというのは髪の毛があろうが無かろうが適度にフィットして不自然さを感じさせないくらいには誰でも装着できるものだと思っている。
テレビの時代劇に登場する役者さんは丁髷姿や日本髪を結っている人がほとんどだが、彼ら彼女らが「ハゲ」にカツラをかぶっているわけでは決してない。

暴れん坊将軍の松平健がハゲだと聞いたことがあるのか?
水戸黄門の里見浩太朗がハゲだと聞いたことがあるのか?
決してないのである。

とどのつまり、オノが自由にならない属国だと勘違いしている台湾という国が、経済や言論や表現の自由で繁栄していることに対する嫌がらせなのかもわからない。

髪の薄い人は台湾人以外にも沢山いるのだから。

灼熱のミャンマー体験談

2010-06-06 19:16:58 | 旅_アジア
インターネットのニュースサイトによると、ミャンマーが記録的猛暑で多くの犠牲者を出しているのだという。
旧首都ヤンゴンでは毎日数十人の主に老人が熱気のために命を落としているのだという。 これはただごとではない。

数年前、ヨーロッパを熱波が襲い大勢の人たち、これも主に老人が熱気のために亡くなったが、そこは欧州。 普段は気温が30度を超えることなどめったになく、住んでいる人も多くが汗腺の少ない白人の土地柄。 異常な暑さで人が亡くなっても驚くことはあるまい。

しかし、ミャンマーである。 シャン州など高原の土地は別として年柄年中蒸し暑いお国柄のミャンマーで熱波にやられて多くの人が亡くなるなど、驚異なのだ。

三年前に私はモンユウという街を訪れた。 ここはミャンマーでも屈指の暑さを誇っている地域で、その暑さは尋常ではなかった。 モンユウは旧都マンダレー(ミャンマーは旧都だらけだ)から自動車で4時間ほど北に進んだところにある内陸の街だ。 街としても小さくなく、大きなマーケットや寺院が点在し、活気がある。
この街が観光地として開けてきたのはつい最近だと思うのだが、付近には見ごたえのある様々な仏教聖地がある。 とりわけ郊外にある高さ100メートル以上はあろうかというお釈迦様の立像は必見で、その高さは奈良の大仏さんが見たらビックリして立ち上がるぐらい迫力がある。
たまたま上京したらスカイツリーの高さに目を奪われた、なんていうのは比べものにならないくらいダイナミックなのだ。

このお釈迦様の立像とは別に、モンユウから2時間近く車でさらに北東へ移動すると、ポーウィン山洞窟寺院というのがある。

実はここがめちゃくちゃ暑いのだ。 どのくらい暑いかというと、自動車を降りて10m先の寺院の入り口に歩くまでの間に喉がカラカラに乾き、脱水症状になってしまうぐらい暑い。
気温は優に40度を超えていたと、私は思っている。
下手にジュースなんぞを買ったりすると、冷えていない生ぬるいファンタなんかを飲むハメになり、脱水症状は加速されることになってしまう。
驚いたことに、この寺院でも地元のガキどもが走り回っていることで、私は、
「ああ、ミャンマーの子どもたちは超人だ、普通の人間ではない」
と思ったことも記憶している。 そのミャンマーで、暑さで無くなる人がいるのだから大変だ。

これは一度お世話になった人たちをお見舞いに行かねばならないが、そんなことを理由にひとり海外旅行を許してもらえそうな雰囲気はない。 それが一番辛いところだ。

モンユウの大仏さまについては以下のブログを御覧下さい。
モンユウの大仏様

バンコク騒乱

2010-05-14 19:04:00 | 旅_アジア
大阪や東京の旅行代理店の前を通るとバンコクへのパックツアーの販売が続けられており、ある意味、騒乱なんてどこ吹く風。

聞くところによるとバンコクの中心部にある百貨店の伊勢丹はずっと臨時休業したままだそうだから、普通の状態でないことはまちがいない。
普通ではない新たな証拠がまたひとつ。
ついに日本大使館の前にあるルンピニー公園横のラーマ4世通りでタクシン派の軍人が射殺された。
おかげで日本大使館は臨時休館しているのだという。

正直、これはバンコクツアーなどやっている場合じゃないように思う。

ラーマ4世通りの下には地下鉄が走っていて、私も何回か利用したことがある。
シーロム駅でMTSと乗り換えができるし、終点はバンコク中央駅なのでとっても便利な路線なのだ。
最寄りのルンビニー駅で下車して地上に出るとルンビニーナイトバザールが毎夜開かれていてパッポンのようないかがわしさの無い中で、安心して買い物ができたりなんかした。
バザール内にあるフードコート兼ライブ会場では音楽を楽しみながら、ガイヤン齧ってビールが飲める。

そんな平和な場所の近くで狙撃事件。

日本大使館の休館は「邦人旅行者のごたごたに付き合いたくない」というのが理由じゃないことは、間違いない。

お調子者の旅行者さん「赤や黄色のシャツを着ないでください」ね

2010-04-27 08:22:58 | 旅_アジア
「今バンコクへ旅行に行ったら赤とか黄色とかのシャツ着て歩いたらええんちゃいますの」

と笑いながら私に話したのは先週末フランスから無事戻ってきたK君。
「よくもぬけぬけと普通に帰ってきたな」という私の冗談に対する反撃だ。

ともかく、K君の指摘を受けなくともお調子者旅行者でタイを旅する者たちの中には、もしかするとバンコク都内で黄色や赤色のシャツをわざわざ購入してオチョクル日本人の若者が現れる可能性がある。
とりわけ関西人はこの手のイチビリが大好きなだけに注意が必要だ。

赤いシャツを着ていると黄色シャツの軍団から、黄色シャツを着ていると赤シャツを着ている軍団から攻撃を受ける危険性がある。
それもドツカレルというような軽いものではなく、手りゅう弾を投げ込まれる、砲撃される、狙撃される、といったしゃれにならないやつばかりだ。

私は王家の色である黄色のシャツを着ていると大丈夫なんじゃないかと思っていたのだが、それも間違いだったようだ。

そもそも1995年だったかの軍と警察の衝突によるクーデター騒ぎは王様の一喝で収束したのに、今回はどうしていつまでも対立しているのだろうと思っていたのだが、なんとプミポン国王は入院なさっているという。
親父さんが入院していることをいいことに、我儘な兄弟がけんかをしてシャレにならない事態、というのが現在のタイの実情か。

青シャツだったら大丈夫かも。

でも、赤シャツ、黄シャツに、それに勝手に青シャツ。
これって昔の米国製SFテレビの制服を彷彿させて、もしかしたらタイ人はトレッキーなのか。

「バンコクへの渡航の是非を検討してください」の真相

2010-04-25 16:12:19 | 旅_アジア
このGW。
タイ旅行をご計画されていたみなさん、お気の毒様です。
外務省がついに「バンコクへの渡航の是非を検討してください」という、事実上「行くな宣言」をしてしまいJTBと日本旅行はツアー中止。
HISと近畿日本ツーリストはツアーを継続するそうですが、家族が反対したり、旅行する人自身が「なんとなく怖い」というのであれば中止やむなし、ということろでしょうか。

実のところ、私もGWは2年ぶりぐらいにバンコクへ行きたかったのですが諸事情が許さず、四国讃岐へのうどん食いと金比羅さん参りで我慢です。(金比羅さんに失礼かな)

「バンコクへの渡航」だから、チェンマイやプーケット、サムイは大丈夫と思ったら大間違い。
普通、これらの街やリゾート地に行くには日本からはバンコク経由での乗り入れになるから、行くこと自体が難しくなります。

そもそも日本人が10万人住んでいるというタイ。
そのうちの半分以上がバンコク都内やその周辺に居住しており、進出している日本企業は2万社を越えると言われています。
そんなタイのバンコクに「渡航の是非を」なんて言われても、「米軍移設反対のデモがありますから沖縄県には行かないでください」くらいに近い馬鹿げた雰囲気があるのも事実。

以前、シーロムの居酒屋に置いていた現地日本語のミニコミ誌に書かれていた記事に「タイ人の婚約者を日本の実家に連れて帰ろうと日本領事部へ行ったら、めちゃくちゃ無愛想でめちゃくちゃツッケンドンで、超面倒くさそうに応対されました」というような在バンコク日本大使館領事部での役人対応の体験談が載っていました。

バンコクの日本大使館は統計によると在外公館で最も邦人の「助けてくれロー」が多いところだそうで、きっと大使館の職員の皆さんも面倒くさい、といったところなのでしょう。

そこへ今度の政治騒動。

「デモに巻き込まれてケガをしました」
とか、
「大学生の子供と連絡が取れません。探してください」
とか
「飛行機が飛ばない。東京に帰れない。どうしましょう?」

なんていう依頼に応えるのがメチャクチャ面倒なので、外務省は現地の職員のことを考慮して予め「渡航の是非を検討してください」を喚起したのかも知れません。

私なんか、万博目当てで上海へ行く方がよっぽど危ないような気がするんですけど。

旅の足止めは..........いと楽し!

2010-01-27 12:30:35 | 旅_アジア
旅行中に足止めされるということは不安な反面、面白かったりするので一度経験すると、
「なにか起きないかな」
と期待していしまい、普通に旅が終了したりすると
「なんだ、つまんない旅だったな」
となることがある。

南米ペルーのマチュピチュで豪雨のために二千人にも及ぶ観光客が足止めを食っていて、帰って来れなくなっているのだという。
この中には50人ほどの日本人観光客も含まれているということで、あちらに滞在している人たちや家族はさぞかし心配していることだろう。

で、「足止め」の経験は私もいくつか持っている。

最初の足止めは高校一年生の時に大阪から兵庫県の網野というところに海水浴に行った帰り。
集中豪雨のために国鉄播但線が止まってしまい2時間ほど足止め。
夕方に大阪駅に着くはずが、かなり遅い時間になってしまったのを覚えている。

名も知らぬ駅に停車中、何もすることがないので、
「トランプでもするか」
とボロボロのカードを取り出し友人4人とポーカーを始めたのだが、これが盛り上がった。
高校生だからお金は掛けなかったが、確か食べ物を掛けて戦ったと思う。
いつ動き出すのかわからない列車の中で、後にも先にもこれほど面白かったポーカーは未だ経験したことはない。
多分、足止めの雰囲気に魅了されていたのだろう。

でも、経験した足止めの最大のものはミャンマーでの経験だ。

その時、私は鉄道でヤンゴンからマンダレーに向かっていたが、途中「タッコン」という街で12時間も足止めをくったことがある。
これも集中豪雨による足止めだったが、その原因を聞いたときは流石にびっくりしたものだった。

「この先の鉄橋が大雨で流されました」

日本語はもちろん英語も通じない田舎町。
食べ物も持ち合わせが無かったので完全にその土地のものを食べることになったし、外国人慣れしていない子どもたちは面白がって寄ってくるわで、非常に和やかな経験をしたのであった。

幸いなことに通訳兼ガイドさんがいたので事なきを得たものの、もし完全一人旅だったら、と今、考えると、不安を思い出すこともない。
しかし、「足止めをくった」からこそ体験できたことが少なくなかったので、その面白かったという経験の方が記憶の中で先にたつ。

ということで、マチュピチュで足止めされている観光客の皆様。
江戸時代、大雨で足止め食っていた大井川の川渡りでも想像して「足止め」の楽しさを満喫してください。
な~に、会社なんて気にしない。
それくらいでクビにされるようなら、その程度の会社と諦めることです。
なぜなら外国で「足止めくった」という土産話はお客さんへの強力な販促ツールになること、間違いなし!

ベトナム大冒険(4)

2009-11-03 17:33:01 | 旅_アジア
ベトナム航空のA330関西空港発ホーチミン市行きは離陸時にいつも利用しているバンコク行きのB777と比べて多少長めに滑走したような感覚を受けた。
走っているうちに「これはまともに離陸できるのか。まるで太平洋を越える北米路線のようになかなか離陸しないではないか」という疑問を超えた不安感が漂ったことを除けば、いたって快適な飛行だった。

お昼前の出発だったので水平飛行に入ると機内ではランチタイムが始まった。
ベトナム航空の食事はどのようなものなのか。
まず、この旅最初の楽しみはこのベトナム航空の機内食なのであった。

ベトナム料理はここ最近日本でもかなりポピュラーになっている。
同じ東南アジアの料理でも他の国の料理と比較して最も取っつきやすいのがベトナム料理なのではないかと私も思っている。
味はあぶらぎっておらず淡泊だし、中華料理に似た要素が多分にあり親しみやすい。
とりわけフォーや生春巻きなんて言う定番料理は日本人の舌にすこぶるマッチしているといえるだろう。
その料理の本国、ベトナムのフラッグキャリアなのだから、きっと素晴らしい料理を提供してくれるだろう、と私は希望に胸を膨らませていたのだった。

ベトナム航空も他のエアライン同様まずは飲み物サービスから始まった。
飲み物サービスといえば私のチョイスはもちろんビールだ。
前回のベトナム訪問で私はベトナムのビールはサイゴンビールと333(バーバーバー)ビールを楽しんだ。
両者ともとっても美味に感じたのを覚えていた。
多くの乗客はアサヒスーパードライの缶ビールを所望していたが、私はもちろんベトナムのビールが飲みたい。
「サイゴンビールちょうだい」
と英語でリクエストしたら、
「すいません、333しかないんです」
と流ちょうな日本語で返された。
私たちのエリアを受け持つ客室乗務員は日本人なのであった。

配られたメーニューを眺めてみる。
そこには日本からベトナムへ向かう便のメニューとベトナムから日本へ向かう便のメニューが記されていた。
内容は英語とベトナム語と日本語で記されている。
ベトナム航空もなかなかやるではないか。
先ほどからB777を飛ばしていると褒めているタイ国際航空なんぞはエコノミーな客個々へ配るメニューなどはじめからない。
メニューは餃子の王将に置かれているようなパウチしたペラペラA4サイズのメニューなのだ。
そのA4サイズのメニューを客室乗務員が手に持ってワゴンを押しながら、
「サカナ?.....ブタ?」
などと訊きながら料理を配っている。
それが「エコノミークラスだぞ」という感じなのだ。
それと比較するとベトナム航空はまるでシンガポール航空の様にリッチな気分が味わえるエアラインなのであった。
機種がA330であるにも関わらずに。

つづく

ベトナム大冒険(3)

2009-10-18 10:17:43 | 旅_アジア
ホーチミン市。
漢字で書くと胡志明。
ベトナム民主共和国建国の父であるホーチミンの名前をそのまま街に付けてしまった、いわばベトナム版レニングラード。
ホーチミンその人はベトナム戦争終結を待たずに他界。まさか自分の名前が南ベトナムの首都に付けられるとは想像だにしなかっただろう。
尤も、赤い本家のレニングラードはソ連崩壊後まもなくサンクトペテルブルグという、かつてロシア皇帝ニコライが君臨した古都の名前に戻されてしまった。
今や世界の人々には「サンクトペテルブルグ」が通り名。20代以下の若い人たちに「レニングラード」といっても「新しいケーキ屋さん?」って程度でどこのことやら分からないかも知れない。

一方、レニングラードが無くなってもホーチミン市は健在だ。
ただしこっちの困ったことは市民の方が「ホーチミン市」なんて名前を認めていないらしく、今も地元では「サイゴン」と呼んでいる。

当たり前だが関西空港の出発ロビーの表示板の行き先表示は「サイゴン」ではなくて「ホーチミン、胡志明」。
ベトナム航空機は関西空港の北ウィングからの出発だ。
シャトルを降りてベトナム航空の出発ゲートに足を向けるとエメラルドグリーン色したA330の機体がボーディングブリッジに接続されていた。

「わー、きれいなヒコーキや。」

と娘のホニョ。
初のベトナム旅行に胸をときめかせニコニコ顔ではしゃぎまくり。

「A330はこの前、海の上で行方不明になったフランスの飛行機と同じ機種だよ」

と言えないのが辛いところだ。

最近のベトナムブームを反映してか、出発ロビーは人で溢れていた。
とりわけ乗客には若い人が多く、雰囲気はまるでプーケットやバリ、ハワイへ向う便を待つロビーのよう。
ベトナムはすでにリゾート地なのかもしれない。
チェックインカウンターでも満席の案内をしていたから、きっと関空ホーチミン線は黒字路線に違いない。
便数も増えるわけだ。
だた乗る人が多いからといってA330に乗るという不安感は払拭されない。
JALとのコードシェア便なんだからJALの機材を使っていただきたいものだ。

搭乗が開始されて機内に入ると、エアコンの吹きだし口から水蒸気が濛々と吹き出されていた。
外と中の湿度と温度違いで空気の中の水分が結露して吹き出されているんだろう、なんてことはわからないでもないけれども、乗っているのがA330。

「あの煙、なに~。」

と訊ねるホニョに、

「あ、あれは水蒸気やから心配ないで。」

と言っている私にもなんとなく煙に見えていたのは黙っていた。

つづく

ベトナム大冒険(2)

2009-10-10 22:07:44 | 旅_アジア
前回5年前のベトナムへの旅ではタイ国際航空を利用した。
バンコク経由でホーチミンシティことサイゴンへ飛んだのだ。
当時、関西空港からサイゴンまではすでに直行便が飛んでおり、なにもわざわざタイ国際航空を選ぶ必要はなかった。
しかし私は帰りにバンコクに寄り道ができるタイ国際航空を選んだのだった。
もちろんバンコクに寄り道をするからといっていかがわしいフーゾク店巡りをするためではない。
チャトチャックのウィークエンドマーケットで買い物をしたり、タイ東急百貨店と棟続きになっているマーブンクロンショッピングセンターでお気に入りのタイポップスのCDを買ったりしようかと考えてのことだった。
そしてなによりもスターアライアンスメンバーであるタイ国際航空を利用することにより全日空のマイレージポイントを貯めようという思惑が最も大きかったのは言うまでもない。
なんていっても国際線のマイレージポイントは魅力的だ。

バンコクのドンムアン国際空港を経由したフライトは少しばかり時間のかかることを除いたら、いたって快適なものだった。
でもそれは一人旅だったから可能な旅だったのかも分からない。
今回は家族連れ。
さすがに嫁さんや娘を連れて観光客で賑わう巨大ショッピングモールのようなスワンナプーム国際空港の中をウロウロするのはかなり疲れる。
それに、
「タイを経由したらなんにもならへんやん。空港閉鎖されたら同じやん」
という嫁さんの指摘も考慮しなければならなかった。
確かにバンコクの空港が市民の政治的デモンストレーションで閉鎖されたらかなわないという理由でタイ旅行を回避しベトナムを選んだのにバンコク経由だったらなんにもならない。
だから今回の旅は関空からサイゴンへの直行便、つまりベトナム航空を利用することになったのであった。

初めてのエアラインを利用する時はいつも緊張が伴う。
「大丈夫なのか、その会社」
という緊張感だ。
とりわけアジアのチープなエアラインを利用することの多い私は搭乗数日前からいい知れぬ不安感とと緊張感が増してくることが少なくない。
機種は古いし、万一事故に遭遇するようなことがあっても家族に残る保証金は驚くほど少ない。
ベトナム航空にしても同じだった。
5年前、IMFから最貧国というお世辞にも名誉とは言えないレッテルが剥がされたばかりの発展途上国だったベトナムのエアラインはまさにそういう類いの不安感を私に与えていた。
だから東南アジアの先進国であるタイのフラッグキャリアを利用したという側面もあった。
またベトナムはアメリカと国交が回復して日が浅く、ベトナム航空の飛行機は私が不安視するエアバス社かベトナム戦争時代からの支援国家ソ連改めロシアのイリューシン社が設計製造している機種が主流だった。
エアバスは「あの」フランス人が設計している飛行機だし、イリューシンに至っては「あの」ロシア人が設計している飛行機である。
とりわけ後者は飛んでいること自体不思議な存在だ。
「落っこちたり、着陸に失敗したらどうするんだ。」
という不安にさいなまれていたことは言うまでもない。

ということで、あれから5年。

関空からの直行便を利用することになった私はとりあえずベトナム航空がどんな機種を使って飛ばしているのか。
インターネットで調べてみた。
すると成田便と関空便では随分と扱いが異なり差がつけられていることを発見したのである。
つまり、成田とホーチミンを結ぶ便はB777であり、関空とホーチミンを結ぶ便はA330なのであった。

ご存知の人も多いだろうがボーイングB777は航空史上最も安全な旅客機で就航以来十余年、深刻な人身事故を発生させたことがほとんどない。
一方エアバスA330はといえば私たちがベトナムへ飛び立つ僅か一月前、ブラジルを飛び立ってフランスのパリに向う途中、大西洋上で謎の消息を絶ったエールフランス機と同じ機種なのであった。
ともかく南シナ海の藻くずとなって消え去ることのないように祈るばかりであった。
もちろん心配性の嫁さんにはA330という飛行機がどのような飛行機であるのかは内緒にしておくことにした。

つづく