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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



公開前、テレビで何度もCMが流れていたので、
「見に行こうよ」
とカミさんが言うものだから、仕方がなく見に行った映画「ハウス・オブ・グッチ」。
なかなか面白い映画なのであった。

あのブランド。
「GUCCHI」一族の物語だ。

注目点はいくつもあるが要約するとブランドが持つ富と名声。
それに群がる人々。
一族の栄枯盛衰にみる人間の醜さ。
であろう。

この映画の最大の特徴はGOCCHI一族の恥ずかしい部分を臆面もなくさらけ出しているところだ。

一族のバカさ加減。
お金と性への執着。
ブランドの守り方を知らない三代目のボンボン気質。

「よーこんな映画作れたな」
と思っていたら現在のGUCCHIにはグッチ一族は一人もいないという。
そのこと一つとっても事業の一族経営の難しさと、一族で富を操作することの嫌らしさを感じずにはおけないのであった。

「ハウスオブグッチ」

レディガガの演技も見応えがあるが、アル・パチーノをアル・パチーノと気づかなかったその姿にも見応えがあった。
役者の演技に目を瞠る映画でもあったのだ。


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毎週必ず聴くラジオ番組の一つに土曜朝NHK-FMで放送の「サタデーミュージックサンシャイン」がある。

先月の初め頃。
この番組を聴いているとDJのピーター・バラカン氏が映画「リスペクト」の話を始めた。
「リスペクト?なんじゃそりゃ」
最近仕事の追われて映画なんぞノーチェックで来ていたのでさっぱり知らなかった。
で、知って驚いた。
何でもアレサ・フランクリンの評伝映画だという。
それも主演をジェニファー・ハドソンが演じているのだともいう。
映画としては非常に面白い作品だ、というようなことが語られていた。

アレサ・フランクリン?
ジェニファー・ハドソン?

私は瞬時に「そりゃいい映画に決まっている!」と叫んでいた。
自宅の中ではなくて自動車の中で叫んでいたのだ。
自宅で叫んでいたらカミさんに、
「なんやなんや!びっくりさせんといてえや、アホ!」
と叱られていただろう。

アレサ・フランクリン。
私はこの素晴らしいシンガーを知ったのは高校生の時に見た映画だった。
「ブルースブラザーズ」
若くして亡くなったジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが主演を務め数々のビッグネームがゲストとして出演している今もなお楽しめる伝説の映画。
テレビコメディ「Saturday Night Live」のスピンオフ的作品だったこの映画の中、ダイナーの女性オーナーを演じているのがアレサフランクリンだった。
この中で歌う「Think」はアップテンポのリズムといいバックで踊る街の人々といいこの映画でもミュージカルシーンとして最大の見せ場の一つだった。
そして最も印象に残ったのはアレサ・フランクリンの歌声なのであった。

ニューミュージックでやっと音楽に目覚めた高校生にはかなり刺激が強かった。
以来、この人の歌はラジオで流れてくるごとに「すごい」の一言が漏れるとともに聞き惚れてしまうのであった。

一方、今回主役を務めたジェニファー・ハドソンは10年少し前の映画「ドリームガールズ」にビヨンセ等と出演し、映画そのものをその歌唱力で飲み込んでしまった想像を絶する新人なのであった。
ジェニファー・ハドソンの歌を聞いた時に最初に感じたのが、
「ああ、アレサ・フランクリンに匹敵するぐらい、すごい」
ということだった。

そのジェニファーがアレサを演じた映画「リスペクト」。
実際に鑑賞しても度肝を抜かれる仕上がりで、前編素晴らしい歌と感動に包まれていたのだった。
上映時間2時間半はあっという間なのであった。

クリーンの「ボヘミアンラブソティ」以来、多くのシンガーの伝記が映画化されたが「ボヘミアン」が凄すぎたためにどうしてもそれを意識してしまい、つまらないものに感じることが少なくなった。
しかし「リスペクト」はそういう以前の別作品の余韻を一掃してしまう力強さがあった。

なお、上映は終了しているので観たい人はビデオになったら是非に!


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アマゾンがMGMを買収した。
これっていいのか悪いのか。
それとも時代の流れなのか。

それにしても映画の名門MGMがGAFAの財力に身を委ねることになるとは思わなかった。
これで往年のハリウッドのミュージカル作品の数々はアマゾン・ドット・コムの傘下になってしまう。
それだけではない。
あの007シリーズもアマゾンということになってしまう。

そこで思いついたのだが、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスを悪役に新作を作ってはいかがだろうか。
彼の風貌は007シリーズ「007は二度死ぬ」に登場したドナルド・プレザンス演じる悪の組織スペクターの首領にそっくりだ。
そう、あの「オースティン・パワーズ」のドクターイービルのモデルなのだ。
ヘアスタイル(ツルッパゲ)。
雰囲気。
冷たそう。
どれをとってもぴったりではないか。

もしかすると彼もそれを意識しているのではないか。
なんてことは無いだろうが、コロナに引きづられてまたまた映画界に激震が走った。

ソニーに吸収されて稼げる映画会社になったコロンビア・ピクチャーズのようになることを祈る!


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今年はじめての映画館での映画鑑賞はアニメ「えんとつ街のプペル」。
こんな映画があることなどつい最近までちっとも知らなかったのだが、先日名古屋に行った時、あまり時間で寄った名古屋城の公園にあるカフェのガラス窓に貼られたポスターを見て知ったのであった。

「ん〜〜、なんとなく絵が面白そう」

たったそれだけがきっかけで出かけた映画だったが結論から言うと「ごった煮映画、でもそこそこ面白い」という作品なのであった。

どれぐらいごった煮かと言うと以下の映画作品のエッセンスが判りすぎるぐらい連続的に入っている。

ブレードランナー
トイ・ストーリー2
インディ・ジョーンズ魔宮の伝説
千と千尋の神隠し
ハウルの動く城
天空の城ラピュタ
カールじいさんの空飛ぶ家
ウォーリー
などなどなど。

「え〜〜〜、これってパクリやん」と思ってしまうと興ざめすることになるのだが、これはこれでオリジナル。
各映画のエッセンスが詰め込まれているね、と寛大な気持ちで鑑賞すると結構楽しめる映画なのであった。

見た映画館ではやはり子供連れが複数だったが一人で見に来ているオッサンもおれば夫婦で来ている私のようなものもいるので、鑑賞対象年齢は千差万別。
子供の映画だと思って見に来たら本格的なアニメーションなので、
「これ、金かかってるな〜」
とも感じて質的にはかなり満足のものなのであった。

気軽に見ることのできるアニメがコロナ禍に生き生きとしている理由がなんとなくわかる作品でもあった。


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映画「ダウンタウン物語」は出演者全員が子供のギャング映画。
子供が大人の格好をしてマフィアの抗争を演じているのだ。
そもそもミュージカル構成になっていることに加えて出演者が全て子供なので、マシンガンの銃弾はパイ、ギャングの乗っている自動車は足漕ぎ式という具合にディフォルメされて歌のシーンは吹き替えだった。
この1976年の映画。
公開された時は私も子供というか中学生だったので劇場で見ることはなく初めて見たのはテレビの洋画劇場だった。
その感想は面白いのなんのって。
センスのいい音楽と見事な子供の演技に魅了され、今でも好きな映画の1本になっている。
音楽担当はポール・ウィリアムズ。
カーペンターズのヒット曲の作詞やトランザム7000などでは俳優としても活躍していた鬼才だ。
子役ばかりだったので著名な出演者は少ない。
でもたった一人すごい少女がいた。
彼女は非常に美人で私の記憶にもきっちりと刻まれた。
その少女の名前はジョディ・フォスター。
この映画ですでに大女優の片鱗を見せつけていたわけだ。

この「ダウンタウン物語」を監督したアラン・パーカーが先月末に死去していた。
享年76歳。
些か若い年齢だったので昨日このニュースを耳にした時ビックリしたのであった。

アラン・パーカーの映画では他に見たのは「ミシシッピー・バーニング」。
人種差別を扱った社会派映画で主演のジーン・ハックマンとウィリアム・デフォーが印象的であった。

この映画は別のことでも記憶に残っている。
公開された1988年は二度目の海外旅行でLAを訪れていて、丁度その時この映画が現地で封切られていて「見てみるか?」と親戚のおじさんに薦められたのだ。
おじさんは日系二世で私の父の高校時代の同級生でもあり、親戚でもあった。
私は現地の映画館の雰囲気も味わいたく見たいと思ったのだが、よくよく考えてみると字幕スーパーも付いていなければ日本語吹き替えでもない。
画面だけ見てその当時の聞き取り力で理解できたかどうか。
結局、時間がなくて映画館には足を運ばなかったのだが現地で見ていたら「これはわからん」と日本で見た時に思わずつぶやいたことが別の意味で印象に残っている映画だ。

それにしてもアラン・パーカーはダウンタウン物語のようなミュージカルやミシシッピー・バーニングのような社会派ドラマ、私は見ていないがピンク・フロイドの「ザ・ウォール」のようなミュージック映画なども監督していた。
作品数は少ないながらも異なるジャンルで素晴らしい才能を発揮したすごい人だったのだ。

素敵なハリウッド映画を作った映画人がまた一人星になってしまった。


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カラー映画草創期の大作「風と共に去りぬ」。
私はこの映画を一度だけリバイバル上映の映画館で鑑賞したことがある。
もう二度と製作できないであろう巨費を投じた映画ということで期待に胸を弾ませてでかけたのだ。
しかし当日は疲れていたのか、結局は古い映画でついていくのが難しかったのか、よく寝たことを思い出した。
主演のクラーク・ゲーブルは嫌いな俳優ではなく例えば風と共に去りぬと同じぐらい古い映画「或る夜の出来事」は大好きな作品の一つでもある。
ビビアン・リーは他の作品を全く知らないのでこの映画でしか見たことがないので有名な女優さんだがあまり知らないのだ。

新聞報道によると「風と共に去りぬ」に出演していた主要な俳優の唯一の存命者であった女優オリビ・デ・ハビランドが亡くなったのだという。
享年104歳。
大往生なのだ。
この人、なんと日本生まれなのだという。
妹も同じく日本生まれ。
子供の時に米国へ移住したというのだからイギリス人であるご両親はどんな職業についていたのだろう。
一説では父親が東京帝大の講師であったという。
なんといっても大正時代なので今のように日本に住む外国人もそんなに多くなかったに違いないのだから。

ビビアン・リー同様にこの女優さんも名前は知っていても実際の映画は「風と共に去りぬ」以外に見たことがないのではないかと調べてみたら、ありました。

「エアポート77」

「エアポート77」は今はなき天王寺ステーションシネマで鑑賞料500円で見た映画なのであった。
ハイジャックされたB747が海に墜落。
機体は壊れないまま海に沈んでしまい、乗客はいかに脱出するのかというのがストーリーの流れであったと記憶する。
所謂「大空港」シリーズなのだが、私が覚えているのは「飛行機が海に沈んで、そこから乗客が助け出される映画」というだけで、他は殆ど覚えていない映画なのだ。
ちなみにこの映画で寝ることはなかった。

このパニック映画にオリビア・デ・ハビラントが出演していた。
もちろん私は記憶にないのだが、多分見たら思い出すであろう。

晩年は2009年にドキュメンタリー映画のナレーションを務めたようで、それが事実上の遺作となったらしい。

「銀幕時代のスター」時代がまた一つ遠くなった。


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「風の谷のナウシカ」に引き続き緊急リバイバル公開中のジブリ映画「もののけ姫」を見てきた。

この「もののけ姫」。
ロードショー公開のときは期待に胸膨らませて劇場へ足を運んだのだが、日頃の激務の関係なのか睡魔が襲いかかり映画の三分の一は居眠りをかましていた映画なのだ。
起きている時に「祟り神」や美輪明宏が声優を務める狼だとかのシーンになっていて、
「ンンン......おもろない映画」
という記憶になってしまっていたのだ。

なお、同様の居眠り映画にスタローンの「クリフハンガー」と「ハリーポッター」がある。

今回は娘がまだ見たことがないということで気分転換を兼ねて家族で観に行ったのだった。
前回「つまんない映画」という印象があるだけにちっとも期待していない。
だいたい寝ていたとはいえストーリーはだいたい覚えている。
だから今回は寝ないようにだけはしておけばいい、ぐらいに考えていたのだ。

ところが改めて見てみると、これが結構面白い。
さすが宮崎駿の作品である。
「ポニョ」
よりは遥かに大人の作品に仕上がっていて魅せるのだ。

日本を舞台にしていて東の国の人がやってきて西の国で繰り広げられている自然破壊から守るという、なんとなく左巻き的思想に取り憑かれている作品ではないか、と思ったりしたが最後に至ってそんな作品ではなく見るものによって捉え方の異なるであろう哲学的な作品であると思った。
つまり前回と異なり楽しんでいたのだ。

それにしてもナウシカに比べると遥かに技術が上がっていた。
背景画の芸術性も素晴らしい。
ところどこCGも駆使されていて技術の新しさも感じる。

もう一度見てもいいかな、と思うようになっていたのだ。

それはともかく、なぜタイトルは「もののけ姫」なんだろうか?
もののけ姫は脇役ではないか。
と。
「アシタカ」では客が入らないという結論だったのだろうか。


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宮崎駿の「風の谷のナウシカ」を劇場で見てきた。
これまでビデオやテレビで何度か見ていて初観ではないのだが劇場で見ることになったのは今回が初めて。
で、同じく初めて知ることになったのが映画は音声がモノラルサウンドだったということなのであった。
正直かなりびっくりした。
あの宮崎駿の作品であっても、このころはまだステレオサウンドにするだけの予算がなかったのか、それともモノラルで良いと判断されたのか。
なにかこう、ものすごく物足りない感覚に陥ってしまったのだった。

「風の谷のナウシカ」は私が大学生の時に公開された作品だ。
当時の私は宮崎駿だからといってとりわけ見に行きたい、と思うことはなかった。
というよりも当時の私は日本映画はアニメであろうがドラマであろうが見たい、などと思うことは決してなかった。
「な〜に?日本映画〜〜〜........見たくない。お金、捨てたくない」
という感覚なのであった。
大学ではかの依田義賢先生、宮川一夫先生、森田富士郎先生方の指導を受けていたにも関わらずだ。
いかにアホな学生であったかは理解できよう。
実にワンオブゼム的な学生なのであった。

でも、これには大きな理由がある。

私は高校時代から日本映画を見に行っては連続的に期待を裏切られるということを経験していた。
高校に進学した1978年はSF映画ブームだった。
このブームは前年に米国で大ヒットした「スターウォーズ」に始まる世界的な潮流だったのだが、このブームに乗っかって日本でもSF映画が作られた。
それが最低なのであった。
記憶に残る恐ろしい映画は2本。
現千葉県知事の森田健作が主演していた「惑星大戦争」。
志穂美悦子がウェディングドレスをまとってアクションしていた「宇宙からのメッセージ」。
当時どちらもCMが盛んだったので期待して見に行ったのだが「バカにしてんのか!」と言いたくなるような作品だった。
惑星大戦争はいたるところスターウォーズの焼き直しシーンがありどっちらけ。
宇宙からのメッセージは一箇所だけ見せる特撮があるものの、その他は学芸会。
ほんとにひどいものなのであった。
この年に楽しめた映画は「柳生一族の陰謀」と「赤穂城断絶」ぐらいだった。
その後、日本映画には足を運んだのだが、どれもこれもつまらない。
究極は1983年の「南極物語」。
健さん主演の映画ということで期待して見に行ったにも関わらず、その映画は単なる動物映画を下回る品質の犬の芸オンパレードだった。
もう「犬がそんなことするかい!」というようなシーン満載なのだった。
「なんで高倉健がこんな映画にでるねんな」
と毒ついたのは言うまでもない。

「風の谷のナウシカ」は丁度このころ公開された。
見るわけがないのである。

よってポスターはよく目にしていたにも関わらず見たいということにはならなかった。

この映画を見たのは社会人になってから。
テレビの映画劇場で放送されているのを見て「風の谷のナウシカ」がただものではないことを知ったのであった。

今回コロナウィルス禍による映画館の苦境を救うべく、ジブリやディズニーの過去の作品が緊急リバイバル上映されていて、この中に「風の谷のナウシカ」が含まれていたのだ。
劇場の大画面と立体音響で同作品を楽しめるめったに無いチャンスだと思った。
料金も大人1100円で安いではないか。

ということでいざ劇場へ入って見てみて驚いたのは大画面だが立体音響でなかった、ということだ。
画面もなにやらワイドスクリーンにしては幅が狭い。
テレビを意識したサイズであることを知った。
絵も少々雑な部分があり、
「予算かな」
と思わせるものがあった。
翌々日に「千と千尋の神隠し」を見に行ったので、その差を歴然と体験することにもなった。

それにしても劇場でのリバイバル公開というものは、なにか新しい発見があるものだ。


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シネコンが出現し始めたころ、これらの従来型映画館は次第に姿を消し始めた。
ちょうど時代が昭和から平成へ変わった頃のことだ。
中でも梅田シネラマOS劇場の閉館は映画ファンのわたしとしてはかなりショッキングで、あのバカでかい画面で二度と映画を見られなくなるかと思うと「なんでやねん!」という憤りさえ感じたのであった。
お別れ上映では「2001年宇宙の旅」「トップガン」を見に行ったが、どれもプリントから時間が経過したフィルムを使用した上映だったらしく少し色があせていたのが印象に残っているし、悲しくもあった。


平成になると私の社会人として脂が乗ってきたところであったし、就いた仕事が猛烈に忙しい建築業界であったことも災いして映画を見る機会を失っていた。
映画だけではない。
音楽を聴くこともテレビ番組を見ることも激減した。
友人連中もだいたい同じような状況で浮世離れした仕事人間に変わっていたのだった。
大阪府庁に入庁したT君などは、
「TRFって、トリフって言うと思ってたら役所の女の子に嗤われた」
と言っていたくらい症状は深刻であった。
私もTRFだとか、米米CLUBといえば米つながりで桂米丸、小室といえば小室等しか思い浮かばず、時間はニューミュージックで止まったままになっていたのだった。


その間、ビデオからDVDになる頃に名画座は次々に閉館。
シネコンがあちこちに出来始めた。


久しぶりにの休み。
映画を見に行くのに映画館を探していたらアポロシネマ8というシネコンがあべの橋にできていることを発見。
あべのには近映という近鉄系の映画館があったのだが、そこへはあまり行ったことがなかった。
近鉄百貨店の建て替えで消滅した近映に代わってアポロシネマ8が誕生したわけで、私はそこで初めてシネコンというものを体験することになった。
ちなみにこの時建て替えられた近鉄百貨店本店はあべのハルカスに建て替えられる前に建てられた商業施設で、設計はかの有名な村野藤吾なのであった。
著名な建築家に設計してもらったにもかかわらずわずか20年ほどでぶっ潰し、高さ300メートルの日本一のタワーを建てたいというセンスは私にはよくわからない。
なんとかと煙は高いところがお好き!というそれではないかと思っているのだが、それはまた別の機会に。


シネコンへ行って驚いたのは客席の傾斜角度だった。
これまで前の人の頭が絶対にじゃまにならない劇場は梅田シネラマOS劇場と千日前スバル座だけであった。
客席には頭が気にならない傾斜があり、スクリーンを存分に楽しめる。
そんな普通のことが旧来の映画館では難しかったのはいま考えると不思議でもある。


道頓堀松竹座で「80日間世界一周」のリバイバル上映を見に行った時のこと。
後ろに座っていた小学生に、
「頭をもう少し低くしてもらえませんか」
と頼まれたことがある。
正直ショックであった。
私の頭がスクリーンの邪魔になるほどデカかったというか、座高が高かったのは予想だにしなかった。
これも忘れられない思い出だ。
「頭を低く座ってください」なんて年上の見ず知らずの大学生のお兄さんに頼んできた小学生の勇気も大したものだが、それ以上深く腰を掛けることなんてできない松竹座の座席配置も考えものであった。
これをきっかけに先述のロビーで展開される宝石がらみのインチキ商売も相まって私は松竹座から足が遠のくことになった。
気がついたら松竹座は歌舞伎の劇場に建て代わっていたのだ。


シネコンのような中型、小型の劇場で映画を見るようになったのは、やはり観客が集まりにくくなっていたということもあるのかも知れない。


ジョン・ウエインの遺作になった「ラスト・シューティスト」をミナミの東宝敷島へ見に行った時、平日の昼間ということもあったのかも知れないが、もぎりのお姉さんから、
「今日は貸し切りですよ」
と言われた。
このことも強く印象に残っている思い出だ。
確かに劇場に入るとハリウッドの大スター「ジョン・ウエイン」の遺作にも関わらず、広い劇場に観客は私一人。
上映が終わってみると、もうひとり観客がいたものの、ほぼ貸切状態なのであった。
「ラスト・シューティスト」の記憶は共演にロン・ハワードがいたことと、貸切状態であったことが今も心に刻まれている。


消え去った映画館。
いずれの映画館も個性豊かだったことが今のシネコンとは大きく異る。
そんな思いをあれこれと想像するコロナ禍のGWなのであった。


おしまい



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ビデオが普及する前。
ロードショー公開が終わっている一昔前の映画を数本まとめて上映する「名画座」は映画好きの学生にとって貴重な存在であった。

難波道頓堀の戎橋劇場、キタ堂島の大毎地下劇場と大毎名画座は定番。
京都祇園会館は三本立てのボリュームで、まるまる一日映画三昧。
後に住んでいた地元で発見した堺国際劇場はほぼ貸し切り状態で2本立て。
名画座ではないが天王寺ステーションシネマでもちょっと遅れの映画を何本か鑑賞した。
いずれも忘れがたい映画館だ。
ついでに何度も繰り返しになるが、どの映画館も今はない。

私にとっての名画座映画館のメインは大毎地下劇場だった。

地下鉄四つ橋線の西梅田駅を下車。
駅と続いている堂島地下センターを歩いて南へ向かう。
途中、インディアンカレーで名物の酢キャベツでカレーライスを食べて腹ごしらえ。
目指す大毎地下劇場はそこからすぐで、時間があれば手前の旭屋書店で立ち読みをした。
ここの料金は確か前売りの学生価格が600円だっと記憶するが、この600円で数々の名画を知ることになった。

最も多い回数見た映画が「スティング」「明日に向かって撃て」「天国から来たチャンピオン」「大陸横断超特急」で、中でも「スティング」は何度見ても飽きない素晴らしい映画だと思っている。
初めて見たときはその結末の見事さにびっくり。
自分自身が映画の登場人物ロバート・ショー演じるシカゴの親分ロネガンみたいに何が起こったのか暫し呆然としたことを今も鮮明に思い出すことができる。
今でもたまにDVDで「スティング」を見るのだが結末を知っているのになぜかドキドキ楽しむことができる。
ポール・ニューマンの粋な感じ、ロバート・レッドフォードの若さ。
スコット・ジョプリンのラグタイム。
どれもこれも魅力的なのだ。

この大毎地下劇場のずっと上。
多分6階ぐらいだったと思うが、ここに大毎名画座があった。
ここはエレベータを降りたところがすぐ入り口。
驚くことに入り口のチケットも切りの場所が映写室になっていて客は映写機を見ながら客席に入る構造になっていた。
ここでは「俺たちに明日はない」「惑星ソラリス」なんかを見た記憶がある。

名画座の魅力をDVDやブルーレイ、オンデマンドなどで体験することはできない。
なぜなら劇場と自宅のテレビでは雰囲気が全く異なる上、音響設備も名画座とはいえ自宅のコンシュマー用音響システムに比べると上質だからだ。
数多くの作品を見ることができて、かつ劇場で、ということになると今やその選択肢はまったくないといってもいい。
私の中学、高校、大学時代は恵まれていたのかも知れないと最近つくづく感じることがある今日このごろなのだ。

つづく


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