次第に我が生活の周辺は狭くなっていく、そんな中での「語らいの時」は嬉しい
私のような年齢になると、訃報がとても気になる。連絡が入る場合もあるが、「あの人、亡くなったんよ」と聞くことも多い。そんな時私の同年齢の方が鬼籍に入られたと聞くと、何だか辛くなる。昨日も親しくさせていただき、ご指導もしていただいた方の永遠の旅立ちを聞き、とても元気な方だったので激しく驚き落ち込んだ。
そして同時に定年退職を機に、次第に生活が狭くなっていることを、この頃常々実感している。ま、私の場合、幸か不幸か、まだ週一回とは言え働かせていただいており、かつ「歌舞伎・観る会」を始めとしていくつかの活動にも参加させていただいているので、まだ少しは世界の拡がりはある。それでも、次第に狭くなっていることも実感する。
それ故に、私とは異なるとの語らいの時は嬉しい。他の様々なステージでご活躍なさっている方はとても魅力的だし、言葉がとても心を打つ。そうした「語らいの時」が持てるのは、とても嬉しい。昨日は、広榮堂を語らいの場所とした。
これからも、可能な限り、ウィングを拡げて生きていければと思うのが、それはとても難しい。だからこそ大切な友を、まさに大切にして生きていこうと思う。
美味しい柿を食べさせてもらったお礼肥を散布した、柿山での最後の作業だ
沢田の柿山で、柿を栽培させていただいてもう4年の歳月が流れた。そして、昨日、昨年美味しい柿を食べさせてもらったお礼肥を散布した。これが柿育ての最後の作業となった。諸般の事情で「沢田の柿育て隊」から抜けさせていただくこととなった。寂しいし、美味しい沢田の柿が食べられなくなるのは何とも悔しい。
そしてまた、沢田の柿山から見る光景はとてもステキで、いつも私の心を癒やしてくれた。昨日はその光景ともさようならをした。柿づくりに割いてきた時間を、これからは野菜づくりに費やそうと思う。それでもなお、やはり寂しい。