槇野博史著『犬島の埋もれた歴史』を拝見し、犬島の今と昔を振り返った
その記事は山陽新聞に載った。その記事は岡山大学病院長の槇野博史さんが『犬島の埋もれた歴史』を発刊し、犬島の現在とともに、その歴史を紹介しているというものだった。その記事を読んだ時には、その本を是非とも読みたいと思っていた。
しかし、バタバタの日々であり、その記事を切り抜くのを忘れてしまった。それ故に、どのようにして入手すればいいのか、わからないままに時間が過ぎていった。
すると先日、私が働いていた職場で存じ上げていたFさん(その本の中にもお名前は登場していた)から、人づてに読みたいと念願していた『犬島の埋もれた歴史』を寄贈いただいた。
二つの意味で嬉しかった。一つは読みたい思っていた本が手元に入り、読めるという喜び。そしてもう一つは、ずいぶんと長くお会いをしていないのにFさんが、私のようなもののことを記憶していただいていたということ。むしろ、後者の方の喜びが大きかった。そのご本をいただいた夜に、古い職員録を探し出し、その住所にお礼を書いたことは言うまでもない。
そして、『犬島の埋もれた歴史』を読みつつ、私が文化行政を担当していた際に、岡山市芸術祭のメイン企画として、犬島で維新派公演「カンカラ」を上演した当時のことなども思い出した。さらにまた、その際に犬島を歩き回り、犬島の方々にお会いした。そうした中で、お聞かせいただいた犬島の昔と今なども思い返した。懐かしかったし、嬉しかった。
Fさんを始めとして、我が人生の様々の出会いに深く深く感謝した。
収集癖をそろそろ改めて、不要な品々を捨て去ることを考えなければと思う日々
松たか子ファンクラブ「club M」が、「松たか子がCF出演を行っている『パナホーム』の特製図書カードをプレゼント」してくれる、そんな企画が、過日「club M」のHPにアップされた。
私は外れたが前回も同様の企画があった。今回は第二弾だ。「当選者はわずか30名」なので、当たらないとは思うが、当然今回も応募した。いつものことたが、応募する際には当選することを願っている。
とは言いつつも、そろそろそうした収集をやめようとも思ったりもしている。たとえば本だが、このところ公民館経由で図書館の本を借りて読む場合がほとんどだ。購入するのは講演会などでの著者のサインセール、もしくは武井咲などのアイドル本だ。本を借りて読むことで、書棚があふれることもないし、何より読む(買うとどうしても「積読」となる)。加えて、貧しい身であり出費が抑えられて一石三鳥だ。
この収集では、苦いというか一つの思い出がある。「『郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる』の歌詞で知られる400年の歴史のある『郡上おどり』」に行く途中で、「日本土鈴館」(郡上市)に立ち寄った。その頃、私は土鈴の収集を趣味としていて、友人たちからは「奴隷商人」と揶揄されたものだ。
それ故に、「土鈴番付」などで、人気の土鈴なども収集していたが、「日本土鈴館」に一歩足を踏み入れて、土鈴の多種多様さに驚き、とてもではないが集めきれないと、その後は土鈴の収集はほどほどとした。
そういえば、その「郡上おどり」に行くのに、友人は浴衣を持参したが、ナント宿では浴衣を用意してくれていて、着付けもしてくれた。そんな思い出もある。
ともあれ、ずいぶんと話が逸れたが、松たか子に関する収集も、数限りなくあるその一粒を集めるのも、そろそろほどほどとしょうと考えている。たまに舞台や映画で松たか子に会える、そんな暮らしが自分の身の丈に合っているのだと、最近つくづく思う。
そうは言いつつも、松たか子の舞台などを観て、元気をもらっていることは確かであり、そのことを大切にして生きていきたいとも思ったりもする。