「立石憲利著作200冊記念祝賀会」、多彩な方々の参加で賑わった
「私のような者にでも講演のお話しがあった場合には、絶対に断らないことにしている。それはご縁だから。そして、一度断ると、私のようにものにはもう二度と依頼はなくなるから」。
この言葉は、200冊もの著作のある立石憲利元岡山民俗学会理事長の言葉だ。とても誠実で謙虚な方である。全てにおいて、こうした姿勢を貫かれている。
私も尊敬する立石さんに学んで、公民館時代は「それこそ私のようなものにでもお話しがあったら、全て断らないでお引き受けをする」という姿勢を貫いた。そうは言っても私の場合には年に1~2件程度であったが。立石さんの場合は、講演だけで年間100件を超えて引き受けられていた。
今日はそんな立石さんの「立石憲利著作200冊記念祝賀会」が開催された。祝賀会と言っても、交流・懇親だけでなく、しっかりと学びの場を提供しようとの立石さん及び呼びかけ人の思いで、第一部は「著作200冊記念講演会」とし、第二部は「著作200冊記念祝賀会」の二部構成での開催である。
私はこの呼びかけ人の一人に名を連ねさせていただき、今日は第一部の進行役を仰せつかった。光栄なことである。
第一部の主催者挨拶は、中国学園大学・中国短期大学の松畑熙一学長である。また来賓には、立石さんがお住まいの総社市の片岡総一市長などが駆けつけていただき、お言葉をいただいた。
そして、メインは立石さんの「聞き、調べ、語る -民話とともに70年」と題しての講演である。母親が子どもに語る「昔話」を題材に、民話の魅力を語り、「聞き、調べ、語る」ことの大切さを語られた。
私が心したフレーズは、「まずは思うこと、それに向かって少しずつでも努力していくこと、そして思い続けていくこと」と語られた。
立石さんはお正月にいつも「その年に出す本」の計画を立て、年末にその達成を確認するのを常とされており、だいたいは20%程度の達成率だそうだ。それでも、思うことナシにはできないとのことだ。
それにしても、民俗学関係者のみでなく、多彩に多様にとても多くの人で賑わった祝賀会であった。会場には立石さんの著書200冊の一部が並べられていたが、それだけでも壮観であった。その中には、立石さん17際の時の民族調査報告書をベースとした201冊目の『55年前は泣き女がいた』(吉備人出版刊)も並べられていた。
民話を全国で7,000話を採録し、100話以上の語り手13人を発掘する。そして、著書が200冊を超える。まさに、偉大なる業績だ。まだまだ健康で、たくさんの本を出版されるのを始め、各分野で大活躍をしていただきたいと願う。