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地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

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著作200冊

2010年09月18日 | 展覧会・講演会
 


「立石憲利著作200冊記念祝賀会」、多彩な方々の参加で賑わった

 「私のような者にでも講演のお話しがあった場合には、絶対に断らないことにしている。それはご縁だから。そして、一度断ると、私のようにものにはもう二度と依頼はなくなるから」。

 この言葉は、200冊もの著作のある立石憲利元岡山民俗学会理事長の言葉だ。とても誠実で謙虚な方である。全てにおいて、こうした姿勢を貫かれている。

 私も尊敬する立石さんに学んで、公民館時代は「それこそ私のようなものにでもお話しがあったら、全て断らないでお引き受けをする」という姿勢を貫いた。そうは言っても私の場合には年に1~2件程度であったが。立石さんの場合は、講演だけで年間100件を超えて引き受けられていた。

 今日はそんな立石さんの「立石憲利著作200冊記念祝賀会」が開催された。祝賀会と言っても、交流・懇親だけでなく、しっかりと学びの場を提供しようとの立石さん及び呼びかけ人の思いで、第一部は「著作200冊記念講演会」とし、第二部は「著作200冊記念祝賀会」の二部構成での開催である。

 


 私はこの呼びかけ人の一人に名を連ねさせていただき、今日は第一部の進行役を仰せつかった。光栄なことである。

 第一部の主催者挨拶は、中国学園大学・中国短期大学の松畑熙一学長である。また来賓には、立石さんがお住まいの総社市の片岡総一市長などが駆けつけていただき、お言葉をいただいた。

 そして、メインは立石さんの「聞き、調べ、語る -民話とともに70年」と題しての講演である。母親が子どもに語る「昔話」を題材に、民話の魅力を語り、「聞き、調べ、語る」ことの大切さを語られた。

 私が心したフレーズは、「まずは思うこと、それに向かって少しずつでも努力していくこと、そして思い続けていくこと」と語られた。

 立石さんはお正月にいつも「その年に出す本」の計画を立て、年末にその達成を確認するのを常とされており、だいたいは20%程度の達成率だそうだ。それでも、思うことナシにはできないとのことだ。

 それにしても、民俗学関係者のみでなく、多彩に多様にとても多くの人で賑わった祝賀会であった。会場には立石さんの著書200冊の一部が並べられていたが、それだけでも壮観であった。その中には、立石さん17際の時の民族調査報告書をベースとした201冊目の『55年前は泣き女がいた』(吉備人出版刊)も並べられていた。

 民話を全国で7,000話を採録し、100話以上の語り手13人を発掘する。そして、著書が200冊を超える。まさに、偉大なる業績だ。まだまだ健康で、たくさんの本を出版されるのを始め、各分野で大活躍をしていただきたいと願う。

 
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朝礼

2010年09月18日 | 読書
 


吉行和子『ひとり語り』を読み、小学生の頃朝礼で倒れていたことを思い出した

 朝夕はめっきり涼しくなった。もう網戸を開けてはとても寒くて眠られない。それでも日中は相変わらず暑く、まだ背広を着る勇気がでない。もう9月も半ばを過ぎたのに。

 ところで少し以前に読んだ本の一冊に、吉行和子著『ひとり語り』がある。この本を読んで知ったのだが、吉行さんは「体が弱く、学校もろくに行けなかった」そうで、「将来の夢などなかった」そうだ。

 そうした中で、ある時に偶然出会った劇団民藝の舞台を観て、「劇団の中で、私のできる仕事を探そう」と思ったそうだが、「役者になることは全く考えていなかった」とのことだ。そして「衣装係」を目指したそうだ。

 かくして、劇団民藝の研究所に入所して、新人公演の舞台稽古が終わり、初日の前日に演出家の「ダメだし」の紙が一人一人に配られたそうだ。千代役をいただいていた吉行さんには、「千代、下手すぎる」と書いてあったそうだ。

 その紙をもらって「貧血を起こして鏡台の前にうずくまった」そうだ。「ヘタなのは自分でも承知だが、何もそこまで言わなくてもと思ったり」、「冷たすぎるのではないか」と思いがぐるぐる回り、頭が白くなったそうだ。

 指摘の内容としては、「下手」は「ヘタ」と読むのではなく、「下手(しもて)」と読むのだったそうだ。この本で私の印象に残っているエピソードの一つだ。

 少し前置きが長くなったが、私が書きたかったのは、この『ひとり語り』を読んで、吉行和子さんは小学生の頃から「喘息」に苦しみ、かつ「朝礼で倒れていた」ことを知った。

 私も小学生の頃から「メニエル氏病」で苦しむとともに、吉行さんと同じように「朝礼で繰り返し貧血を起こしていた」ことを、この本を読んで思い出した。吉行さんのように「後ろにばったり倒れる」と言うことはなかったが、貧血で顔面蒼白、冷や汗が出て気分が悪くなり、いつも朝礼などの途中で座り込んだり、保健室へ行くのが常であった。

 もう50年も以上前の記憶だ。「朝礼の悪しき記憶」とともに、小学校の保健室の先生の笑顔も思い出した。
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