goo blog サービス終了のお知らせ 

地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

大工哲弘

2010年09月12日 | 音楽・コンサート
 


「大工哲弘コンサート」に行った、久しぶりに大工さんの歌声に魅了された

 今日は天神山文化プラザで開催された「おきなわの風を岡山へ 大工哲弘コンサート」に行った。
 私は過日のハードなスケジュールをこなしたツケが来たのか、少しだけバテバテだ。それに加えて抱えていた仕事の締め切りもあり、また映画「レオニー」の試写会へ向けた取り組みもありで、「毎日が日曜日」が一転して時間に追われた日々を余儀なくされている。
 そんな中での大工哲弘さんのコンサートを聞きに行ったのには訳がある。それはもうずいぶんと以前だが、つまり若い頃に大工さんに何度か岡山へ来て歌っていただいたことがあるので、そのお礼の意味で行った次第だ。
 大工哲広弘さんは、八重山民謡の第一人者であり、1998年に「沖縄県無形文化財保持者〈八重山古典民謡〉」に指定されている。
 そして、これまで岡山へ何度か来ていただいたご縁もあり、現在では「大工哲弘八重山うた会 岡山支部(=岡山八重山うた会)」が結成され、東山公民館を稽古場に、八重山民謡を学ばれておられる。今日も、大工さんの登場前に、素敵なパフォーマンスをご披露された。
 それにしても、大工哲広さんは以前と変わらない伸びのある歌声で満員の観客を魅了された。私も無理して聞きに行ったが、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贈呈式

2010年09月12日 | 展覧会・講演会
 


福武文化振興財団の「平成22年度 文化活動助成贈呈式・文化発表会」に参加

 昨日は、福武文化振興財団が主催する「平成22年度 文化活動助成贈呈式・文化発表会」に参加させていただいた。昨年度と今年度の助成を受けた団体からの参加者であり、会場である「岡山プラザホテル」の広い部屋は、とてもたくさんの参加者によって埋め尽くされた。私も存じ上げているたくさんの方々に、ご挨拶させていただいた。
 福武財団の素晴らしいところは、助成金にあまり高いハードルを設けないで、多くの団体に助成していることだ。
 そして、助成しっぱなしにしないで、昨日のようにしっかりとその成果を「ステージ発表」で報告させ、かつしっかりとした「報告書」(助成を受けた全団体の報告書を掲載、約200ページ)も作成し、みんなのものにしょうと努力しているところが素晴らしい。
 加えて、今日は「展示発表会及び交流会」が設定されており、軽くアルコールも入れながら、みんなが交流できる場が設定されていることだ。岡山の文化関係者は全て集まっているという感じで、みなさん交流しあっている。これが、何より素晴らしい。
 こうした「福武教育文化財団」の助成を受けて、この岡山の地での文化活動がさらに豊かに発展することを願った。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅家利和さん

2010年09月12日 | 展覧会・講演会
 


足利事件の冤罪被害者・菅家利和さんのお話しを生で聞くことができて感動だ

 厚労省・村木元局長が無罪に判決が下された一昨日、18時からの岡山弁護士会主催のシンポジュウム「足利事件・菅家さんと裁判員裁判を考える」に参加した。17年間も冤罪で苦しめられた菅家さんの生の声で、怒りや思いをお聞きしたいと思ったからだ。

 そのシンポの前には、17時から「司法修習生の給付費維持を求める9.10緊急市民集会」が開催された。そのためか、事前にハガキでの申し込みを受け付け、「参加できる場合は、特に返事は差し上げません」とチラシには書かれていたが、直前に「座席確保のための出席票」が送られてきた。私の番号は「2」番だった。

 直前に、「緊急市民集会」を入れ込んだのでの措置と理解した。自然申込者には会場の前5列(95席)が確保されていた。しかし、その席に座ったのは6割程度であったであろうか。

 ともあれ、昨晩のシンポジュウムが「足利事件」をも題材としながら、「裁判員裁判」を考えようという内容であった。それ故と言ってよいか、菅家さんについては、テレビなどで聞いた発言しか聞くことができなくて、少しだけ残念な気がした。もう少し、17年間冤罪で獄中に閉じ込められた、その重い怒りをお聞きしたかった。菅家さんは私と同年齢であり、その頃の17年間を奪われたらどうであろうかと、自問自答した。

 ともあれ、「やっていないのに何故自白したのか」が、問われたりもした。「多い時は10数時間密室の中で、足蹴りされたり髪の毛を引っ張られるなどもして、取り調べのプロによって『証拠はある。おまえがやった』と延々と問いつめられる。眠くて、怖くて、裁判になってから言えばいいと、目の前の拘束や暴力から逃れたい一心で、自白してしまった。一度自白すると、それまで怖かった取調官が、とても優しくなった。だから、それ以後は恐怖から逃れるために、取り調べの方に合わせるようになった」と語られた。納得した。

 シンポジウムでは、「裁判員裁判」導入による前進面も語られたが、私には良く理解できなかった。ただ、「密室での取り調べを、全面的に可視化する(一部ではダメ)。そして「疑わしきは被告人の利益に」「推定無罪を貫いて、一人の冤罪被害者も出さない」ことが大切との言葉は今も私の胸に残っている。今日の裁判で、確立しなければならない原則だと思う。

 正直菅家さんの生の声をもう少し聞きたかったという不満は残るものの、たくさん学ばせてもらったシンポジウムだった。学び多き会であった。弁護士会が主催する行事は、いつも時宜にかなった企画が多い。そして、いつも無料で参加させてもらって、とても感謝している。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無罪判決

2010年09月12日 | ひとりごと
 


無罪判決が出された村木厚子厚労省元局長の強さと言葉の美しさに感動した

 「郵便不正をめぐる厚生労働省の偽証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚労省元局長・村木厚子被告(54)(起訴休職中)が10日、大阪地裁で無罪の判決を言い渡された」(読売新聞)

 予想通り、一昨日、村木厚労省元局長の無罪判決が出た。判決以前から、無罪がこれほど明白だった事件はあまりない。昨日発売の雑誌「文藝春秋」10月号には、村木元局長の独占手記が掲載されている。また今週号の週刊文春には、江川昭子さんの「村木厚子厚労省元局長 検察に屈しなかった壮絶な454日 でっあげ、歪曲、虚偽の自白・・・」が掲載されている。裁判長は、判決で「犯罪の証明がない」とまで言い切っている。

 この事件の報道に最も熱心で、詳しく伝えたのは朝日新聞だ。一昨日の朝日にはこんなやりとりも掲載されている。

 検事「今回の罪は大した罪ではない」
 村木氏「大した罪とはどんな罪ですか」
 検事「殺人や傷害だ」
 村木氏「(偽の証明書を発行したとする)恋に狂って相手の男を射した方がましです」
  否認を続けると、この検事は「私(村木氏)の指示がきっかけで、事件が起こってしまった」という供述調書を勝手に作って読み上げ、「署名しますか」と迫った。

 「恋に狂って相手の男を射した方がまし」との発言には驚いた。村木元局長の厚生官僚というその立場と、その発言のミスマッチに驚くとともに拍手喝采だ。厳しい取り調べの中で、よくあのような発言が出てきたなと思う。

 さて、この村木元局長の判決について、弁護団は「『密室の取り調べで迫真性のある調書をつくり、複数の調書を組み合わせて有罪にする特捜部の問題点を指摘した』と評価」している(朝日新聞聞より)。まさにその通りだ。

 裁判所から、事件の構図をことごとく否定された特捜部。自白のねつ造など未だにこうしたことが行われているのかと、ショックでもあり怒りを禁じ得ない。

 昨日のNHKテレビ「追跡!AtoZ」で、「村木元局長“無罪”」が取り上げられている。その中で、村木元局長は次のように語っている。「捜査ができるのは警察と検察だけ。そこが“やった”と決めつけたら、真実を探し出してくれる人がいなくなる」と。

 村木元局長は、「無罪判決」後の記者会見では、「これ以上、私の時間を奪わないで」と語っている。切実で、素敵な言葉だ。村木元局長の夫も、「控訴は絶対にしないでほしい。もし控訴となると、妻の職場復帰がまた遅れる。妻は50代半ばで、時間があまりないのです」と語っている。50歳代、まさに仕事の仕上げの時期であり、この言葉は重い。絶対に控訴しないで欲しいし、決してするべきではない。

 今回の件を教訓に、特捜部は今後絶対に冤罪を出さないように厳しく反省し、努力して欲しいと願う。と同時に、密室での取り調べを全面的な可視化し、さらに言えば他の諸国に例があるように、弁護士を立ち会わせる等の導入を急ぐべきと考える。裁判員裁判の前になすべきことのように思われてならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする