アルタンボラグのツーリストキャンプ・ゲルで出迎えてくれたモンゴル犬。目の上に2つの模様があり、四つ目のワンコという典型的なモンゴル・ワンコだ。
実はこのワンコ。キャンプのじゃない。近所のノマド(遊牧民)の犬だ。キャンプに遊びに来て以来、家に帰るのも忘れて遊び惚けている。たまに仲間がやってきて、2匹になったり3匹になったり。
牧羊の仕事があって飼い主が困っているだろうと思うのだが、モンゴルの人たちはおおらかだ。犬の好きにさせてるらしい。
やさしいキャンプ長のモチコにおしいいエサをもらえるもの、飼い主の元に帰らずに居座る理由だろう。
飼い主のノマドのゲルは、キャンプ・ゲルから、かなたに続くスロープの丘の上にある。昔のノマドのゲルは、吹き抜ける草原の風を嫌って丘と丘の間に設置されてたそうだが、最近は、携帯電話の電波をキャッチするため、丘の上にあることが多いという。
朝日に向かって丘へ続く道を散歩してたら、ワンコが散歩に付き合ってくっついてきてくれた。しかし、丘へさしかかるとそれ以上は行こうとしない。ワンコなりに、飼い主の元を離れてキャンプに遊びに来ていることに罪悪感を覚えているのかもしれない。
モンゴルではこうした大型のモンゴル犬が姿を消しつつあるらしい。モンゴル犬は、体が大きく、毛が長く、尻尾が太くて長い。厳しい寒冷な環境にも適し、性格は穏やかだが、オオカミなどの天敵には勇敢に立ち向かう。家畜を守り、主人に誠実で、昔から馬と共に、モンゴル人の最高の友だった。
しかし、遊牧の衰退に加えて、オオカミがほぼ絶滅状態になりつつある今、牧羊犬としての役割がなくなり、ノマドに飼われるモンゴル・ワンコの数も激減しつつあるという。
モンゴルのチンギス・ハーン空港への到着は夕刻。タラップを降りると熱気が押し寄せてくる。
空港の建物の先にはきれいな虹が見えた。
夕闇迫るウランバートルの街を抜けると景色は一転。見渡すばかりの草原だ。地平線に太陽が沈み、西の空はその残光で赤く染まっている。対面交通の高速道路はラッシュ・アワー。HYUNDAIのトラックがよたよたと走る傍らをトヨタ・プリウスが追い越していく。
日本では2003~11年に作られていた第二世代のモデル。その中古車がリビルドされて輸入されているらしい。バッテリーをすべて新しいものに交換するので価格は高いが、粗悪な中国車や韓国車に比べて日本車は壊れないし燃費がいいから大人気とのこと。
1時間ほど走り、ダートへ。ハイビームにしたヘッドランプがわだちを照らしているものの、はるかかなたの地平線は漆黒たる暗闇。空には満天の星だ。
車の灯りに驚いたトビネズミがぴょんぴょん飛び跳ねていく。
4輪のわだちこそあるものの、チンギス・ハーンの時代となにひとつ変わらない、ワイルドで原始的な大草原だった。
暗闇のはるか向こうに、灯台のように一つだけ灯りが見える。かなり走って、その灯りが対向するオートバイのヘッドランプとわかったのは、10分以上走ってのことだ。くねくねと曲がるダート。ところどころに大きな水たまりがあり、そのそばは車がスタックしそうなほど掘れている。
「あっ、ゲルだ!」
草原の奥にぽつりと白いゲルが見えた。ノマドって本当にゲルに住んでる。その当たり前のことに妙に感動する。
ダートでもみくちゃに揺られて1時間。アルタンボラグのツーリストキャンプ・ゲルに到着。キャンプ長モチコ(本名:ムンフツェツェグ)さん、以下、総勢10名の現地スタッフ、プラス、2匹のでかい牧羊ワンコのお出迎え。
そしてウェルカム・ドリンクのミルクのおもてなし。めちゃくちゃ濃い味。
10軒ほど連なるゲルは、それぞれが12畳ぐらいある大きなもので、六角形の一辺に入り口、ほかの4辺には4つのベッドが壁沿いに配置され、一番奥には文机が置いてあった。天頂部には明かり取りと薪ストーブの煙突のための穴があり、壁面はすべて羊毛を固めたフェルトで覆われている。ゲルは必ず南向き。
モンゴル草原の夜は、風が冷たくそして静かだった。当然のことながら、トイレはゲルから出てほかのゲル伝いに50mほど行った先。新月のこの夜は、懐中電灯なしでは前に進めない。ワンコが心配してくっついてくる。
太陽で充電した電池で明かりがともるゲルの中は実に気持ちよく、ぐっすり眠った。大自然に包まれた気分で最高だった。
翌朝、空はすっかり明るいのに、まだまだ太陽は顔を出さない。朝露に濡れた草原には丈の短い何種類ものハーブが力強く自生。優しく、遅しい、心身を丸ごと潤すような香りに包まれる。
モンゴルは、ここ数年雨が少なく、渇水状態だったらしい。今年は7月にけっこう雨が降り、草が戻ってきたのだそうだ。場所によってはエーデルワイスの白い花が咲き乱れている。まさに大草原。
なんか絵葉書のなかに入っちゃったみたいだな。
ユーラシアの歴史を描いたのは、モンゴルの馬たちもまた然り。
これもまた元遊牧民だったプジェーから聞いた話。遊牧民たちは馬を愛し大切にするが、馬たちもまた飼い主を愛する。
時はベトナム戦争時代。モンゴルはロシアの勢力下の共和国だった。
ロシアは、フランスからの独立支援の名の下に、中国との宗主権争いのためベトナムへ軍事支援を行なっていた。
とあるモンゴル馬がロシアへの協力ととしてベトナムへ供出された。
数年後、飼い主は見覚えのある馬と再会することになる。
馬は脱出して戦火をくぐり抜け、山河を超え大陸を縦断してかつての飼い主の元へ帰り着いたのだ。
どんなルートを馬は通ったのだろう。ベトナムーモンゴル間、直線距離にして約3,700km。地球の円周の1/10の距離だ。大都会の北京を避けたとしても、途中には揚子江がある。
中国の西の遊牧の伝統を持つ地域、チベット、ウイグルを通ったのだろうか。
そのすぐ西にはキルギス、カザフ、トルクメニスタンといった国々。そしてトルコ、アラブ世界。
人種も宗教も異なるが、遊牧文化を共有する世界。
司馬遼太郎の草原の記によれば、
「ハノイを去って、ソンコイ川沿いの道を北へめざし、ヤオ族居住の山中に入ってゆく。やがて中越国境を越え、はるかに崑崙大山塊にまでつながる山地のふもとを駈けて雲南省昆明に入るのである」
ゴビを越えてあるじのもとへ・・・
あるじは馬と再会し馬の健気さに感動。種馬として大事にして暮らした。
こんな時、一家にとって大切な馬が亡くなった時は、「オボー(石で積んだ山)」を作り、手厚く埋葬するという。精霊が降りてくるための目印だ。
日本でいう道祖神のようなもの。
旅人は道中の安全を祈願して時計回りにこのオボーを3周する。そして1周するごとに1つ石を積んで祈りを捧げるのがしきたり。
もともと草原には神も仏もいなかった。
騎馬民族は文字を持たなかったから仏典や聖書も伝わらず、定住しないから寺院や教会もない。土着的な占いやシャーマンによるまじないはあったが、無宗教だった。彼らは今でも天を崇拝し、モンゴル人は天の子孫であり、モンゴルは永遠の青空の国と信じている。
遊牧民に生まれたというガイド、プジェーがなんかの折に「スーホの白い馬」の話をしてくれた。
なんでも、日本の小学校の教科書にも載ってて、有名な話のようだ。その話、小学校で習ったという日本人女性ゲストもいた。
小学校の教科書の記憶なんてほとんどない。馬に関して言えばスタインベックの「赤い仔馬」が高学年の国語の教科書に載ってたとかすかに記憶しているぐらい。それも、話の内容なんてこれっぽっちも覚えていない。まあ、当時から頭悪かったし。。
wikipediaで調べたら、『スーホの白い馬』は、モンゴルの民話だ。
大塚勇三が1967年に中国語のテキストから採話し、赤羽末吉の絵とともに福音館書店から絵本として出版。ほぼ同時期に光村図書出版の小学校2年生の国語教科書に採録。
あらすじは、遊牧民少年スーホが倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てる。
領主が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開き、そこでスーホは成長した白い馬に乗り優勝を果たす。
領主は貧しいスーホとの結婚を承諾せず、さらには白い馬を横取りしてしまう。
一方、白い馬は隙を突いて逃げ出すも、矢で体中を射られてしまったため瀕死の状態。スーホの必死の手当も空しく、白い馬は死んでしまう。
ある晩、スーホの夢枕に立った白い馬は自分の体を使って楽器を作るようにスーホに言い残す。そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)。
モンゴル語で「モリ」は馬のこと。やっぱ、どんな大事な馬でも名前は付けないんだなあ。
そいで白い馬だから「ツァガーン モリ」かな。。
実は、モンゴルで「白い馬」はストーリーが上の日本のものとは少し違うとのこと。プジェーが説明してくれたが、聞いた元祖白い馬のストーリーは思い出せないでいる。
・・・またモンゴルに行く口実ができたようだ。
モウコノウマ。
ロシアの探検家ニコライ・プルツェワルスキーによってモンゴルで発見されたことから、プルツェワルスキー馬(Przewalski's wild horse)とも言う。現在地球上に存在する、唯一の野生馬。
モンゴル語では「タヒ」。絶滅の危機に瀕していたのを動物園などにいた馬を使って、数を増やしたそうだ。
アメリカのムスタングやオーストラリアのブランビーは、もともとが家畜馬。家畜馬が野生化しているため、遺伝子はサラブレッドやポニーなどと同じ種類らしい。
モンゴルの冬は寒い。場所にもよるのだろうが、寒いときで氷点下40℃にもなる。
夏の間、乗馬で酷使された馬たちのなかには、極寒の冬を越せない馬もいるという。日本人の旅行者が馬と接するのは夏の間。彼らがどんなつらい日々を送るのか知る由もない。
往々にして馬のコントロールだけに気がいってしまいがちだが、馬にできるだけ負担をかけないように乗る方がカッコイイと思う。バイクのアクセルの吹かせば、草原でもどこでも望むだけのスピードが得られるこの世界でもある。
馬たちの幸せってなんだろう。決して人間と共生することじゃないと思う。それでも騎乗するのも何かの縁。馬の小さな動きに気を配って、彼らが発しているサインをできるだけ見逃さないように注意しようと思う。馬と互いに信頼感を持てるようになれば、言葉が通じなくても気持ちはわかり合える気がする。