1975年、4月17日。シアヌーク率いるカンボジア民族統一戦線がプノンペンを占領しクメール共和国が崩壊。 この日から3年8か月と20日、狂気と破壊、殺戮と憎悪の嵐がこの国に吹き荒れることになる。
「誰もが立ち止まって、トラックが何台もプノンペンの街に入ってくるのを眺めている。やがて泥だらけの古いトラックがわが家の前を、がたがたしながら通りすぎていく。緑やグレー、黒い色をした輸送用トラックは、つるつるになったタイヤで泥をはね上げ、エンジンから黒い煙を吐きだしながら前に進んでいる。荷台には洗いざらしの黒いズボンと黒い長袖のシャツを着て、赤い布を腰にきっちりと結び、額にクラマーを巻き付けた男たちがぎっしり立っている。彼らはこぶしを宙に突き出して歓声をあげている。ほとんどが若くてやせていて、おじさんの水田や畑で働いている人たちのように肌が黒く、脂っぽい髪を肩まで伸ばしている。カンボジアでは女の人が何日も洗っていないような髪の毛をしていたら、だらしがないと思われる。長髪の男は軽蔑されるし信用されない。何か秘密を持っていると見なされてしまうのだ。
そんな外見をしているのに、街の人は拍手と歓声で迎え入れている。男たちも身なりは汚いのに、心からうれしそうな顔つきをしている。長いライフル銃を手に持ったり肩にかけたりしながら、ほほえみ、笑い、王さまみたいに群衆に手を振っている」
「最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて」 ルオン・ウン (著) 小林 千枝子 (翻訳)
の一節だ。
この日、彼らは、トラックに乗って首都プノンペンに入って来た。彼らは、すべて、十代かそこらの兵士で、黒の農民服姿のまま銃を片手にしていた。
内戦が終わったと信じたプノンペン市民は、歓声を上げて彼らを迎える。しかし、彼らのしたことは都会人の農村への強制退去。200万人いた首都プノンペンは、わずか数日でゴーストタウンに。
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