tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

クメール民族の不幸(3)

2011-10-17 22:44:53 | プチ放浪 都会編

 
 

1970年にカンボジアに侵攻した南ベトナムとアメリカの連合軍は、圧倒的な兵力を背景にカンボジア領内の北ベトナム軍の拠点を短期間で壊滅させたものの、2ヶ月あまりで早々とカンボジア領内から撤退する。
このため、同年末には、中華人民共和国(とソビエト連邦)からの北ベトナム、及び、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)への物資支援ルートとカンボジア領内の北ベトナムの拠点は早速と復旧。

このような状況の中、アメリカの支援を受けたロン・ノル率いるカンボジア政府軍と、中華人民共和国の支援を受けた毛沢東思想の信奉者であるポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の間でカンボジア内戦が勃発。かくして、カンボジア国内は、熾烈な戦闘が至る所で繰り返され、5年に渡る内戦に突入することになる。
内戦によって、首都プノンペンは物や食料の不足は深刻化し、大混乱に陥った。国土の6割が解放勢力の手に落ち、主要幹線はいたるところで切断された。
1972年1月。アメリカはロン・ノル政権支援のために再度、カンボジアへ侵攻。これによってベトナム戦争は第2次インドシナ戦争へ。

しかし、その翌年の1973年にアメリカは、莫大な戦費と戦場における士気の低下、国内外の反戦運動、各種メディアによる反戦的な報道など米国内外の世論に押されてベトナムから完全撤退。
当然のことながら、後ろ盾を失ったロン・ノルは追い詰められる。
1975年4月、ロン・ノルは国外へ亡命。クメール・ルージュが首都プノンペンを陥落させ、1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布し、国名を民主カンボジア(民主カンプチア)に改称。隣国ベトナムでは南ベトナムのサイゴンが陥落し、北ベトナムが勝利をおさめてベトナム戦争が終結。

歴史には、「もし」というのはあり得ない。アメリカの介入がなければ、中国の支援がなければクメール・ルージュよりは、まだましなシアヌークでカンボジアは安定していたのかもしれない。暴力は更なる暴力を、憎悪は更なる憎悪を産み出す。かくして、クメール民族の悲劇ドラマの火ぶたは切って落とされたのだ。


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