tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

クメール民族の不幸(1)

2011-10-15 22:19:08 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

ラオス、ベトナムとともに、フランスの植民地だったカンボジア。1946年に、それらの国々の独立運動が起こり、フランスとの間で独立戦争が勃発。
1953年にフランスはこの第一次インドシナ戦争で敗れ、カンボジアの独立を承認。カンボジアは、ノロドム・シアヌーク王が国家元首となって政権を握り、やや左寄りの路線を歩みだす。
一方、第一次インドシナ戦争のメイン舞台であるベトナムは、共産党の指導する北と、親米派の南に分断され、政権争いを始めていた。1965年には、南からの援軍要請を受けたアメリカが参戦し北爆を開始すると、今度は、北を中国やソ連が膨大な軍事物資支援で後押し。このベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)は、その後、激化の一途をたどる。一国の共産化が周辺国にまで波及すること(ドミノ理論)を危惧したアメリカは、それを防ごうとして、どんどん泥沼に足を踏み入れて行くことになる。   
 
左よりの路線を歩むシアヌークのカンボジアは、対米断交に踏み切る。カンボジア領域内には、北ベトナム軍、および南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の補給基地ができた。
一方、アメリカはベトナム戦争を優位にするため、カンボジアに親米的な政権を作る必要があった。 
かくして、苛烈化するベトナム戦争は、カンボジア国内まで広がる。 


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村