彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本共産党の米朝首脳会談絶賛に疑問を呈する❸―党の歴史的外交政策とは①

2018-06-30 18:35:59 | 滞在記

 日本共産党は、歴史的にどのような「外交政策」を掲げてきたのだろうか?また、「日米安全保障条約(日米安保条約)」や「憲法九条」、及び「自衛隊」に対してどのような政策を持っていたのだろうか?また、最近の「中国」「北朝鮮」などに対してどのような見解をとってきているのだろうか?

 日本共産党の元外交部長で、現在はジャーナリスト・編集者の松本伸幸氏の2018年6月27日付の記事に、上記のことが詳しく述べられている。(A4版10枚の内容)  まずは、1950年代から1980年代の「外交政策及び自衛権」について①②③④⑤‥‥など、以下その松本氏の文章の要旨を紹介したい。

① マスコミの中には不勉強な人がいて、護憲派というのは昔も今も「非武装・中立」政策をとっていると考える人がいる。しかし、少なくとも1990年代半ばまでの日本共産党は違った。日本共産党はみずからの安全保障政策を「中立・自衛」政策と呼んでいたのである。この二つはまったく異なる。というより、日本社会党が掲げていた「非武装・中立」への徹底的な批判の中で生まれたのが、「中立・自衛」政策だった。

 なお、この二つの政策は、「中立」という点では一致している。ここでいう「中立」とは日米安保条約の廃棄と同義語であった。安保条約があるから日本の安全が脅かされるのであって、それを廃棄して「中立」の日本を建設することが日本の平和にとって大事だという考え方は、いわゆる「革新派」にとって昔も今も変わらない。「安全保障政策」といった場合、この日米安保をめぐる問題が主張の基本に置かれているが、本稿で論じるのはそこではなくて、「それでもなお侵略されたときはどうするか」という意味での安全保障政策であることをあらかじめ断っておく。

②社会党の政策は、ある意味、何の矛盾もなかった。憲法九条が戦力を認めていないわけだから、その九条を守って自衛隊をなくすというものだ。政策的にも「非武装・中立」が日本の平和にとって大切だという考え方である。攻められたらどうするのだということへの回答は、「近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図る」ということであった。それでも日本に侵入されるような場合は、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネスト」などで抵抗するという。その程度では侵入した軍隊に勝てないという批判に対する回答は、「降伏した方がよい場合だってある」ということであった。(社会党委員長・石橋正嗣『非武装中立論』社会新報新書・1980年)。憲法への態度と安全保障への態度は一貫していたわけである。すごく単純だったといえるわけだが。

 これに対して、日本共産党は、憲法を守ることも大事だが、国民の命を守ることも大事だと考えた。そして、その両者(憲法九条と国民の命を守ること)は簡単には合致することではないので、政策的にはいろいろな矛盾を抱え込むことになったのである。

③日本共産党は、日本が対処すべき危険は二つあるとした。一つは、社会党と同様、安保条約があるから生まれる危険であるが、それだけではなかった。「もう一つは、これはいま現実にある危険ではないが、世界にはなんらかの不心得者があらわれて日本の主権をおかす危険、この両方に対して明確な対処をしないと安全保障の責任ある政策はだせません」(不破哲三書記局長<当時>の日本記者クラブでの講演・1980年)という立場をとったのである。

 それでは、日本の主権が侵された場合どうするのか。まず、国家というのは「自衛権」を持っており、日本国憲法のもとでも侵略された際に自衛権を行使するのは当然という立場を、半世紀も前に明らかにした。「(自衛権は)自国および自国民に対する不当な侵略や権利の侵害を取り除くため行使する正当防衛の権利で、国際法上も広く認められ、すべての民族と国家が持っている当然の権利である」(「日本共産党の安全保障政策」1986年)

  よく知られているように、憲法制定会議において、新憲法では自衛権が否定されたとする吉田首相に対し、日本共産党は自衛権の重要性を主張した上で、憲法九条の内容である「自衛権の否定」に反対した唯一の政党である。国家が自衛権を保有しているという立場は、誰よりも明確だったと言えるだろう。

 では、侵略されたらどうするのか。まず、抽象的に言えば、「可能なあらゆる手段を動員して戦う」ということである。「憲法九条を含む現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存が危うくされたとき、可能なあらゆる手段を動員して戦うことは、主権国家として当然のことであります」(「民主連合政府綱領提案」1973年)

  このように、日本共産党の安全保障政策の基礎となる考えの一つは、何としても「国民の命を守る」ということであった。社会党のように、「デモ、ハンストから種々のボイコット、非協力、ゼネストで抵抗するとか、降伏した方がよい場合だってある」などというものではなかったのである。「非武装・中立」に対する「中立・自衛」には、そのような意味がこめられていたわけだ。

④「国民の命を守る」ということに加え、日本共産党が安全保障政策を立案する上で基礎となる上で基礎となるもう一つの考えがあった。それは「立憲主義を守る」ということだ。憲法に合致した手段で戦うということである。そして、この二つの考え方の両方を貫こうとするため、「可能なあらゆる手段」ということの内容に、いろいろな制約が課されてきたのだ。

 まず、侵略された場合、実力組織なしに対抗できないというのが日本共産党の考え方なわけだから、戦力の保持を否定した憲法九条のままではダメだということになる。今ではそんなことを覚えている共産党員は皆無だろうが、当時、日本共産党にとって、憲法九条というのは自衛権とセットであるべき「平和主義」に反するものだという認識であった。「将来 日本が名実ともに独立と中立の主権国家となった時に、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約を加えたものであり、憲法の恒久平和の原則を貫く上での制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」1975年)

  9条では恒久平和(自国と国民を侵略から守るという)を貫けないというわけだ。その結果、当然のこととして、憲法九条を改定することが展望されていた。「(日本が)軍事的に意味でも、一定の自衛措置をとることを余儀なくされるような状況も生まれうる」(したがって)「必要な自衛措置をとる問題についても、国民の総意に基づいて、新しい内外情勢に即した憲法上の扱いを決めることになるであろう」(「日本共産党の安全保障政策」1968年) こうして名称は決められていなかったが、戦力としての自衛戦力をつくるとされていた。徴兵制ではなく志願制とすることなども打ち出されたこともあった(「共産党政権下の安全保障」1979年)

  こうして9条を改正するというなら、それはそれで矛盾はないということになる。社会党の「非武装・中立」とは反対の意味で、すっきりした単純なことだった。しかし、日本共産党は、「九条の改正は将来のこと」と位置づけ、当面は変えないという態度(方針)を取る。その理由は主に二つある。一つは、自民党が九条を変えようとしていて、改憲問題が焦点となっていたわけだが、自民党の改憲目的は、現在では誰の目にも明らかなように、「集団的自衛権の行使(日本の領土・領海を守る自衛権の発動だけでなく、アメリカなどと協同して集団的に海外などでも行動できることを目指す)」にあったからである。このため、当面は「憲法改悪阻止」という立場が重要との判断をとった。二つ目は、日本共産党が連合政権(政府)の相手として想定していたのは、いうまでもなく「日本社会党」であった。その社会党は九条を変えるつもりはなかった。そういう事情もあったので、当面めざす連合政府は、憲法の全体を尊重する政府という判断をしたのである。社会党との連合政府のもとでは憲法改正に手をつけず、自衛隊は縮小し、やがては廃止することになるということだった。そして、さらに将来の政府においては、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力を作るという展望だった。これらの過程を「国民の総意」で進めるとした。

 (※以上1950年代から1980年代までの政策)

◆元日本共産党外交部長の松ほ氏の文章を読んで、初めて知ることも多かった。それは、❶「日本共産党は憲法制定会議において第九条の内容に反対していたという事実」。❷「自衛権とそれを保証する戦力保持の必要性を日本共産党の党方針として持っていたという事実。このため、1980年代までは、憲法九条の改正が必要と判断していたこと」だった。私も勉強不足のマスコミと同じように勉強不足で、「護憲派」というものは昔から「非武装・中立=憲法九条を守る」だと思っていて、日本共産党も昔からそのような政策をとっていたものだと勘違いをしていた。(ブログ筆者・寺坂)

 ※次号に続く

 

 


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