彦四郎の中国生活

中国滞在記

飛騨古川は、鯉が泳ぐ白壁土蔵群と、なにげない日常の町だった—飛騨の製糸女工たちがこの町に集まった—アニメ映画「君の名は。」のモデルとなった町でもあった

2024-08-09 09:40:57 | 滞在記

 飛騨高山からJR高山線で北方に20分余りのところに「飛騨古川」の町がある。車でも30分くらいのところだった。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』(第29巻)の「飛騨紀行」には、この飛騨高山と飛騨古川のことを次のようにも書いている。「飛騨の高山を、小京都という。このことは、印象としてまぎれもない。ある町角では、ふと京都よりも京都ではないかと思ったりもする。規模が小さいだけに、品格のある作りも、その磨き方も入念なのである。‥‥‥‥‥

 さて、高山の北方の古川町のことである。―ひよっとすると古川町こそ、室町の姉小路文化の余香が沈澱している飛騨の古都ではあるまいか。‥‥‥‥ともかくも古川町の町並には、みごとなほど、気品と品格がある。観光化されていないだけに、取りつくろわぬ容儀や表情、あるいは人格さえ感じさせるのである。町としては古川がふるく、高山はあとでできた。‥‥‥"蓬莱"とか"白真弓"とかといった板看板の出ている造り酒屋の家などは、格子美の傑作かと思われる。‥‥」

 7月25日(木)の朝9時ころ、高山市街から流れ来る宮川に架かる橋を渡り、古川の町を初めて訪れた。(※この宮川は、日本海側に向かって流れ、神通川となって富山湾の海に流れていく。今は、古川町、河合町、宮川町、神岡町の四町が合併し飛騨市となっている。『あゝ野麦峠』の製糸工女たちの多くは、この飛騨地方の農村の出身者が多かった。)   飛騨市役所、飛騨市図書館前の広い駐車場は、無料駐車場となっているので、ここに車を停めて古川の町を散策することにした。

 駐車場近くに飛騨古川散策ガイドマップの冊子(自由にお取りください)が置かれていたので、それを見ながら散策する。マップ置き場近くには、「飛騨古川の戦国武将と山城」と題された歴史資料館展示(4月13日~3月31日)のポスターが貼られていた。この日はあいにくの休館日。この古川は、飛騨地方の中心地として室町時代には姉小路氏が城を築き支配していたが、戦国時代末期になり三木氏が支配するようになっていたようだった。そして、三木氏が金森氏によって追われ(飛騨松倉城の落城など1585年)、金森氏の支配が100年間余り続いた。(その後は幕府天領支配)。

 駐車場から少し歩くと「飛騨古川まつり会館」の建物やまつり広場。古川祭(4月19・20日)の屋台行事もまた、飛騨高山市の山車行事とともにユネスコ無形文化遺産登録のようだ。まつり広場の水路(瀬戸川という名の清流)には、錦鯉がたくさん泳いでいて、アジサイの花がまだ美しい。

 若山牧水の詩碑があった。「ゆきくれて ひと夜を宿る ひだのくにの 古川の町に 時雨ふるなり」。「瀬戸川と白壁土蔵街」と書かれた白い説明板には、「今から四百年余り昔、金森氏が当地を治めた時代に、新田開発のためにつくられた瀬戸川は、今も住民の生活、防火用水として利用され、その清らかな流れにはおよそ千匹の鯉が優雅に泳いでいます。造り酒屋の酒蔵をはじめ三十棟余りの白壁の土蔵が建ち並び…」と書かれていた。

 鯉が泳ぐ瀬戸川の水路と白壁土蔵群の古川の町。円光寺という寺をぐるりと囲む石垣は、人の腰ほどまでの高さしかなく、それもまた町の温かみを感じる。石垣にはアジサイの花が美しい。そのそばに水路とたくさんの鯉、そして白壁土蔵が並ぶ。

 町の町名には「壱之町」「弐之町」「三之町」「殿町」「向町」などがある小さな町だ。町内ごとに飛騨古川祭の屋台山車を格納している土蔵も見える。ノスタルジックで生活感のある普段の人々が暮らす小さな町並みが続く。あまり観光地化されていない印象の町。「きつね火まつり」のポスター。飛騨古川に古くから伝わる「きつねの嫁入り」の伝承。このまつりは、町の青年部により平成2年(1990年)より開催されることになった行事だそうで、毎年9月の第四土曜日に行われ、今年は9月28日(土)。(※町の御蔵稲荷神社の例祭と合わせた日)

 町の人も観光客の多くもきつねに変身する化粧やメイク(無料)を施したりきつねの面をつけ、「きつねの嫁入り」行列が町をゆく。嫁入り行列の中心となる「嫁と婿」は、全国公募から毎年1組が選ばれ、白無垢姿で人力車に乗せられて行列を行く。

 町中の「壱之町」の通りに造り酒屋の土蔵や格子づくりの酒屋。酒造りの杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)の像が酒蔵の前に立っていた。像の石台には、司馬遼太郎の「杜氏酛摺り像—杜氏殿の 心澄みゆき 魂きはる いのちの酛(もと)は 生まれ初めける」の言葉が刻まれていた。

 この酒蔵から造られる飛騨の美酒「蓬莱(ほうらい)」という銘柄の清酒(日本酒)は、「世界酒蔵ランキング第一位」になっているようだ。そのことが書かれた幟(のぼり)が蔵の前に。まあ、日本一、世界一の銘酒となっているようだ。

 この酒蔵の造り酒屋は「渡邊酒造」。店内の売り場に入っていく。「蔵元の隠し酒—番外編」と書かれた一本(1300円余り)を買うことにした。どんな酒なのだろう…。

 「三寺めぐり朝市」の店には、近在からの野菜や花々が売られていた。「三寺めぐり」とは、この飛騨古川の町の三つの寺(円光寺・本光寺・真宗寺)に参ること。古くからこの町では、毎年1月15日の夜、特に娘たちは着飾って三つの寺をめぐり、🕯ろうそくに灯りをともし、良縁を祈願する。近在の村々からも、娘たちがこの「三寺めぐり」に訪れた。正月休みで、野麦峠を越えて村の家に戻っていた製糸工女たちもこの「三寺めぐり」を楽しみにしていたようだ。この日はまた、男女の出会いや嫁選びの場でもあった。

 信州の製糸工場に工女として行っていた飛騨の農村の娘たちの村々から最も近い町がこの古川町だった。町の中を流れる「荒城川」に架かる霞橋を渡ると向町という町名になり、「八ッ三館(やつさんかん)」という料理旅館がある。(創業は安政年間、江戸時代末期の1855年頃の老舗)  この料理旅館は、「あゝ野麦峠ゆかりの宿」として知られている。飛騨の農村の村々からこの旅館などに集まり宿泊、そして野麦峠方面に向かっていた。また、信州の製糸工場・会社の男衆がこの旅館に宿泊・拠点として、工女たち獲得(工女争奪戦)に各社ともにしのぎを削っていた。そしてここで、一人でも多くの工女を獲得するために、村々の有力者や年長の工女たちを各社はもてなしていた。このことは山本茂美著『あゝ野麦峠』にも詳しく書かれている。

(※この飛騨古川の町に集まった製糸工女たちの故郷は、飛騨の農山村の奥地、数河(すごう)、稲越、天生(あもう)、月ヶ瀬、さらに天生峠を越えた白川郷や庄川郷あたりまでに広がっていた。この飛騨古川にいたるまでに、険阻で雪深い天生峠、神原峠、小鳥峠などを越えてやってきた。私の旅路ルートは、この飛騨古川から天生峠を越えて、白川郷方面に向かうことになる。)

 旅館から荒城川向こうの壱之町にある本光寺のわきには、野麦峠文学碑と工女の小さな像が立つ。その文学碑には、『あゝ野麦峠』(山本茂美著)の一節から「二月なかばを過ぎると、信州のキカヤに向かう娘たちが ぞくぞくと古川の町へ集まってきます。みんな髪は桃割れの、風呂敷包をけさがけにして、"トッツァマ カカマ 達者でナ"。それはまるで楽しい遠足にでも出掛けるように、元気に出発して行ったのでございます」と書かれている。(「キカヤ」=製糸工場)

 この飛騨古川町は、2016年に公開され、日本のみならず中国など世界各国でもヒットとなったアニメ映画「君の名は。」(新海誠監督作品)で、主人公の一人・三葉(神社の巫女)が生まれ育った町「糸守町」のモデルとなった町だった。この「糸守町」は、主に飛騨古川町をもとにして、信州・諏訪湖の光景もとりいれた町が映画の舞台となっている。そして、もう一人の主人公・龍が暮らす東京。

 映画が2016年8月に公開されて以来、「君の名は。」の聖地巡礼として、たくさんの人がこの飛騨古川町に突如訪れることとなった。中国でもこの映画が大評判となりヒット。大勢の中国からの聖地巡りの人の姿も見られたそうだ。2018年頃までこ、の「君の名は。」聖地巡礼ブームが続いた。「君の名は。」の映画の場面に出てきたところは、JR飛騨古川駅や気多若宮神社、味処古川(食堂)、飛騨古川図書館など、町内各所にある。

■『外国人が熱狂するクールな田舎の作り方』(新潮新書/山田拓著)という新書本。この新書の内容紹介は次のような文章、―岐阜県最北端の飛騨市に、世界80か国から毎年数千人の外国人観光客を集めるツアーがある。その最大の売りは「なにげない里山の日常」だ。小学生のランドセル姿に、カエルの鳴き声の広がる田んぼに、蕎麦畑の中に立つ古民家に、外国人観光客は感動する。なぜ、なにもない日本の田舎が「宝の山」になりうるのか。地域の課題にインバウンドツーリズムで解決を図った「逆張りの戦略ストーリー」を大公開—。

 ツアーは、白壁の美しい飛騨古川かの町からスタートし、途中、蕎麦畑の中ら立つ古民家を見たり、道端の湧き水を汲んでお茶にして飲んだり、田んぼのあぜ道を走りながらカエルの鳴き声を聞いたり、飛騨牛農家の方と立ち話をしたりと、日本の田舎のどこにでもある「なにげない日常」をゲストにお見せすること‥。(※自転車などでツアーをすすめるようだ。)日本人の感覚からすると「そんなものがウリになるのか?」と感じられるかもしれない。しかし、著者でこのツアーを企画運営している山田さんによると、この「なにげない日常」こそが「最高のコンテンツ」だと言う。

 ここ飛騨古川の町は、あまり観光地化されていない「なにげない日常」を感じる町でもあった。私の旅路は、この飛騨古川の町をあとにして、奇しくも、飛騨市の「河合町」(※映画「あゝ野麦峠」の主人公である政井みねさんの故郷であり、彼女の墓もある角川地区など)方面に向かっことになった。

 

 

 


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