彦四郎の中国生活

中国滞在記

険阻な「天生峠(標高1290m)」を越えて、製糸工場工女たちも来ていた白川郷(村)へ―映画「あゝ野麦峠」の主人公・政井みねの墓

2024-08-09 16:45:26 | 滞在記

 7月25日(木)の朝、飛騨古川の町から、北西方向にある河合町に入る。この河合町の中心的な地区になる角川(つのかわ)が、映画「あゝ野麦峠」の主人公となった政井みねの生まれ育った、そして家族が暮らす故郷だった。

 山本茂美著『あゝ野麦峠—ある製糸女工哀史』には、「明治42年(1909年)11月20日午後2時、野麦峠の頂上で一人の飛騨の工女が息を引きとった。名は政井みね、二十歳、信州平野村山一林組の工女である。その病女を背板にのせて峠の上までかつぎ上げて来た男は、岐阜県吉城郡河合村角川の政井辰次郎(31)、死んだ工女の兄であった。

 角川といえば、高山からまだ六里余(約二十四キロ)、奥飛騨と、越中(富山県)との国境に近い、宮川沿いの小さな部落である。ここから信州岡谷まで七つの峠と三十数里の険しい山道を辰次郎は宿にも泊まらず夜も休みなしで歩き通して、たった二日で岡谷の山一林組工場にたどりついた。‥‥‥」と書かれている。

 映画では、野麦峠の「お助け小屋」の婆さんが、みねに死に化粧をしてあげる場面がある。その政井みねの墓はこの角川にあり、今年2024年の春に、墓のある寺の境内に政井みねの像がつくられもしていた。(※宮川沿いの集落である角川で、道は大きく分岐して、東北方面に行けば宮川沿いに越中(富山県)方面へ、西方面に行けば小鳥川沿いに飛騨山地の天生峠を越えて白川郷に向かうこととなる。午前11時頃、角川から天生峠に向かった。

 途中、小さなガソリンスタンドに立ち寄り給油、「天生峠の道は通れますか?」と聞くと、「あの峠道は、11月上旬から5月上旬までの7カ月間は、険阻で積雪も多くて、通行止めになるんですが、がけ崩れも頻繁にあってしよっちゅう通行止めになりますわ。でも、今は、通行止めの連絡はないですから、大丈夫だと思いますわ‥」とのことに安堵する。飛騨山地の山々に雨が降り始めた。(「天生峠」の読み方は、「てんしょうとうげ」ではなく「あもうとうげ」であることを、このガソリンスタンドの人に教えてもらった。)

 天生峠に向かう山岳道路の国道360号線。合歓(ねむ)の木の花がこの時期に、まだ美しく咲いていた。峠に向かうにつれて、山々が高くなつてきた。けっこう車の運転が怖い。カーブが多く、傾斜も急な険阻な峠道だが、高速道路を使わずに飛騨高山や古川から白川郷に至る道は、これしかない。

 ようやく昼過ぎに「天生峠(標高1290m)」に到着した。峠を下ると白川郷(村)の➡標識。「泉鏡花『高野聖』由縁の地 天生峠」と書かれた木製標識も置かれていた。そして峠を下り始めると「白山連峰」が見えてきた。

 道のそばに大きな写真看板が設置されていて、天気が良い日の白山連峰の山々(1700m~2700m)の一つ一つの山と標高が記されていた。今日は、あいにく雨雲などに少し山々が覆われ、白山連峰の最高峰の山々は山の煙に覆われて見えなかった。ここからはるか下の麓には白川郷も見えるようだ。

  白山連峰の地獄谷がここから見えた。ここは、1993年と95年の二回、夏の8月に行われていた石川県の恐竜化石発掘チームの一員として、この地獄谷周辺(標高2000m余り)などで調査に参加したことがあった。地獄谷辺りは真夏でも寒かった。恐竜の足跡化石などを発掘し調査した。ここではトリカブト(毒草)の紫色の美しい花がたくさん咲いていたり、熊にも遭遇したりした。延々と続く峠道を下っていくと、ようやく午後1時過ぎくらいに白川郷の村らしき里に到着したようだった。

 世界遺産の白川郷萩地区が見渡せる高台に行く。外国人の観光客がとても多かった。ここは、2013年の8月に妻とともに初めて来ていたので、通り過ぎて、石川県側の白山連峰の麓、白峰村に行くため白山スーパー林道に向かうことに。

 先ほど越えてきた天生峠方面の山々を望む。「すごいところから山を下ってきたんだなあ‥」と改めて思う。合歓の木の花が、ここでもまだ美しい。

 ここ白川村や、その南方にある庄川村などからも、天生峠を越えて、飛騨古川に至り、さらに野麦峠も越えて信州岡谷などの製糸工場に働きにきていた工女たちも少なくなかったようだ。私の今回の「あゝ野麦峠」に関連する「工女」たちの旅路の道のりはここまでとなった。


 


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