彦四郎の中国生活

中国滞在記

故郷へのようやくの帰省❷—今年の越前水仙は、雪に埋もれてほとんど開花できず—山けむる鯖街道

2021-01-27 07:28:49 | 滞在記

 私の故郷、越前海岸は、冬の季節は越前水仙(日本三大水仙郷)と越前ガニが有名なところ。1月に帰省した時には、海沿いの山の中腹にある実家の水仙畑の水仙や沿道で売られている水仙をたくさん買って、京都に持ち帰っていた。毎年かかすことなく。ところが今年は開花している水仙はポツポツとあるくらいで、ほとんど開花せずになぎ倒されていた。

 帰省した翌朝に、水仙郷の中心地である越前岬周辺の地区に向かい、水仙がいつも売られている集落(左右・玉川)に着いたのだが、いつもたくさんの水仙が売られているところには一本の水仙もなかった。おばさんに聞いてみると、「今年はぁ、水仙がぁ、ほとんどないんやって。今年は特別にぃ、12月10日ころから大雪がここらでも降ってぇ、それからぁ、毎週毎週 雪が降ってぇ、水仙が成長できんでえ、開花もできんかったんやて‥‥」とのことだった。特に、1月9・10・11日の三連休の時の降雪が多かったようだ。

 越前水仙の多い越前岬灯台のあたりの山に登るとまだ残雪がかなりあった。水仙が雪に覆われ、その重みでなぎ倒されていた。開花している水仙はわずかだった。

 ここ何十年、もっと雪が多い年はたくさんあったが、それでも雪の中で水仙が開花していたのだが‥。今年は12月のかなり早い時期からの度重なる降雪のためこのような光景になったようだ。

 日本三大水仙郷とは、越前海岸と淡路島の黒岩水仙郷と伊豆半島。なかでもここ越前海岸の水仙郷は、30kmをこす日本海沿いの山肌に自生(群生)していて最もその規模が広くて大きく、しかも野生の水仙だ。

  上記3枚の写真は私の実家の畑。水仙が自生している。(2009年1月、積雪の中で花を咲かせている。)

  越前水仙は毎年11月上旬頃に地中の球根から地表に芽を出し始める。12月上旬頃になると かなり茎とともに葉も成長し大きくなる。12月中旬ころには蕾(つぼみ)が出始める。この頃には水仙の茎や葉は60%くらいまで伸びる。そして、1月上旬から1月中旬すぎまでにはほぼ成長が完了し、白い色に黄色の高貴な香りの水仙の群落となる。だから、1月中旬以降に大雪となっても茎や葉はあまり折れず、雪の中に花が咲いている光景となる。しかし、とても珍しく成長途中の12月中旬に大雪が降った今年は、水仙は雪に埋もれて倒されたり折れたりして その後の成長ができなかった。

   越前岬灯台の近くに作家水上勉の石碑がある。

 その石碑には、「水仙—越前岬という日本海にのぞんだ断崖に咲く水仙は、野生水仙である。  剣型の細い葉と、白または黄色のかわいらしい花を咲かせるこの草は、数少ない冬の花の中でも清楚な感じがして愛好家も多いのであるけれど、越前水仙といわれるものは、野生のためか、都会地の温室咲きの同種の花より、一見して強靭に見える。葉の色も濃緑を心もち増していた。  波のうち騒ぐ強風の丘で育ったためか、強靭にみえても野生であるだけにいっそう可憐にみえぬでもなかった。」(水上勉『日本海辺物語』)と文字が刻まれている。

   今年のように水仙の花がほとんど開花できなかった年は、私の記憶には数回はある。カニは子供の頃の冬の食卓には毎日のように出された。(主に小さなメスのコッペガニ[セイコガニ]) 「ばあちゃん、またカニか‥」という毎日だった。私の子供時代にとって冬といえば、①カニ、②竹で毎年作った竹スキーでのスキー、③水仙、そして④父や祖父の「半年あまりの出稼ぎ(伏見や灘の酒造会社)」。

 ⑤荒波で弱って岸に打ち上げられたモンゴルイカ(全長1mほどのかなり大きなイカ)を中学校まで45分間ほどの海岸沿いの道での登下校中に歩きながら探すこと。一冬に一匹、多い年で2匹ほど見つけたこともあった。当時一匹2000~3000円ほどで売れた。今で言えば2万~3万円くらい。田舎の中学生にとってすごい大金だった。

 このモンゴル烏賊(イカ)だが、のちに「紋甲(モンゴウイカ)」(別名:「雷烏賊・カミナリイカ」)というのが正式名であることを知った。イカの背中に丸い紋(もん)があることから名づけられているらしい。私にとって海の向こうにはロシア(ソ連)やモンゴルの国があると、子供の頃からずっと思っていたので、「モンゴルの国」近くの海から冬の日本海の荒波に押されて日本海沿岸まで来てしまい、疲れ果てて岸に打ち上げられた巨大なイカと思い続けていた。海岸の波打ち際で見つけるモンゴル烏賊は、まだ息があり、ひーひーと切ない音を出していた。

 私の故郷の南越前町に隣接する越前町のいくつかの漁港には、カニ漁をする大中の船舶が60隻ほど停泊している。カニの解禁日は11月6日~3月末だが、メスの「セイコガニ」は資源保護のため最近では12月31日までとなっている。オスは「越前ガニ」呼ばれる。山陰地方では「松葉ガニ」と呼ばれる。

 昨年から今年のカニの季節、GO-TOキャンペーンでカニを食べにくる人たちを招致するための宣伝もしていたが、12月下旬からGO-T0は一時停止となったので、旅館や料理屋・食堂などはかき入れ時だけに打撃だろう。しかも、今年は水仙もだめだ。ちなみに、カニ料理を提供しGO-TOキャンペーンの対象となっている旅館・料理店・食堂は、越前町には約70軒、南越前町には約20軒がある。

 一日雨の予報の中、京都への帰路、敦賀の「さかな街」に立ち寄った。ここは日本海側では最大の魚市場。海産物を扱う店や食堂など60店舗あまりがある。福井県は全国でも1.2.3位を争うコロナ感染者の少ない県、緊急事態宣言の対象外の県だが、店舗の3分の2ほどは2月7日まで臨時休業をしていた。セイコガニや油ののった鯖の干物などを買って車に積む。

 敦賀の町外れにある疋田地区まで行くと積雪が多くなってくる。織田軍の侵攻で2度の落城悲劇の城「疋壇城址」も雪に覆われていた。西近江路(街道)を山中峠まで登る。豪雪が廃屋の屋根から滑り落ち1階は完全に雪に埋もれている。

 山中峠は小雨がふぶいていた。滋賀県に入る。高島市マキノ町の田園風景。冬枯れの景色、800m級の県境の山々が冠雪している。

 マキノのメタセコイアの並木を通る。あたりは一面の雪景色。喫茶店「並木カフェ メタセコイア」で軽食とコーヒーを注文し休憩。

 日本海魚市場で買ったセイコガニや鯖の干物を、京都市岩倉地区の親戚や銀閣寺近くの娘の家に届けるために、若狭路(鯖街道)を通って滋賀県高島市朽木町に。ここもまだ積雪が多い。鯖街道を安曇川沿いに京都市方面に向かう。この鯖街道(国道367号)の渓谷は、東は比良山系(1000m~1200m)、西は丹波山系(800m~900m)に挟まれた長い渓谷だ。

    安曇川上流域の葛川地区にはかやぶきの家が多い。雨が少しあがり始め、かやぶき集落の背後、霧が山々にかかる(山のけむり)光景が美しい。このあたりまで来ると積雪はほぼなくなっていた。滋賀と京都の県境の花折峠や途中越えをすぎると京都市大原地区が近くなる。

 大原や八瀬を通り、岩倉地区に立ち寄る。息子の妻の実家がそこにあるので、カニや鯖を届けた。コロナ禍のこともあり、久しく親戚の伊佐さんたちには会えていなかった。岩倉から銀閣寺近くの娘の家に行き、海産物を少し届けた。