彦四郎の中国生活

中国滞在記

ロシア・プーチン大統領、世界の「非民主勢力」の巨頭になりはてた男―政敵は暗殺か拘束、権力の座に

2021-01-24 12:00:02 | 滞在記

 2020年8月、ロシアの隣国・ベラルーシ(人口950万人、首都・ミンクス)では、大統領選挙結果の不正(偽造)を巡って国民の大規模な抗議活動が全土に広がった。これに対しルカシェンコ大統領は一日1000人超を拘束・逮捕し、抗議活動を弾圧。政権批判に対する集会・表現の自由なども禁止した。さらに、ロシアのプーチン大統領(政権)からの強力な支援(後ろ盾)を得て、この弾圧政策の強化に自信を得てきている。

 ルカシェンコ大統領は、1991年のソビエト連邦崩壊にともなうベラルーシ独立後の大統領となり、以後30年間にわたって政権の座に座り続け、「欧州最後の独裁者」とも言われている人物だ。ロシアのプーチン政権とベラルーシのルカシェンコ政権は、中国と北朝鮮の関係に似たところもある。

 ベラルーシの反政府活動に対して、「サハロフ賞」(人権問題への取り組みを評価する賞)を授与することが昨年12月に決まった。弾圧をくぐりぬけてのさまざまな形での反政権活動が続けられている。

 ソビエト連邦崩壊後のロシア連邦では、1991年に初代大統領にエリッイン大統領が就任した。ソ連崩壊後から2005年頃まであたりの15年間あまり、ロシアの人々の暮らしは大変だった。私は2001年から2008年までの間にロシアを4回訪れた。このうち3回はロシアの西にあるサンクトペテルブルク(旧・レニングラード)、そして一回は極東ロシアのウラジオストクやハバロフスク。サンクトペテルブルクへは夏と冬に訪れたが、冬はバルト海沿岸が氷結していて、凍結した海の上を初めて歩いたこともあった。湾にはロシアのバルチック艦隊が停泊していた。ロシア極東の不凍港ウラジオストクの湾にはロシア極東艦隊が停泊していた。

 3週間ほど、サンクトペテルブルク文化大学にロシア語の学習で短期留学をしたこともあった。この時は、斡旋されたロシア人の家に3週間のホームスティ。アパート群の一角にあるその家の建物内部階段は暗く、まるでドストエフスキーの『罪と罰』の舞台そのものの世界だった。2000年代初頭であってもロシア経済や人々の暮らしはいまだ大変で、「ダーチャ」と呼ばれる郊外の別荘(小さな小屋だが人はそこでも住める)の畑で採れる野菜が人々が生きる生活を支えていたような感があった。(※「ダーチャ」はロシアの都会の人たち家族の多くがソ連崩壊以前からもっている小屋と畑地だった。)

   そんな時代のロシアで、1999年8月にエリッイン政権の第一首相に任命されたのがプーチン氏だった。そして、2000年の大統領選挙で第2代ロシア連邦大統領に就任した。国民に呼びかけた彼の政治スローガンは「強いロシアをつくる」だった。それから20年間、政権を維持し権力の座に座り続けている。プーチン氏は1952年生まれ(サンクトペテルブルク出身)の、私と同じ68歳。サンクトペテルブルク大学法学部を卒業後、特にソ連邦でのKGB(保安委員会)にて勤務を続けていた。いわゆるKGB官僚の出身だ。(※米国のCIAに対抗する組織KGBは秘密警察的な面も強い。)

  2000年代初頭から2010年ころまでにかけて、プーチン氏は「強いロシア」を"石油・天然ガス輸出"などにより経済的にもかなり実現し、国家の崩壊的混乱状況から国民を救った英雄として、国民のプーチン支持率は80~85%を維持し続けた。私もロシアに行き、そのロシア国民のプーチン支持への気持ちはかなり理解できた。しかし、一方で、2000年~2006年の時期でも、政敵や政権批判をする者に対しては容赦はなかった。(※この2000年からの6年間だけでも、政権が関与したとみられる暗殺は128人にも上っている。)

 ロシア憲法では大統領の3選は禁じられているため、2008年~2012年までは第一首相だったメドベーシェフが大統領に就任、いわゆるプーチンの傀儡(かいらい)大統領政権となる。再びプーチンが2012年から大統領に就任し、この間、憲法を変えて「大統領の任期を4年から6年」した。3期目は現在の憲法下でも禁じられているため任期は2024年までとなっている。さらに、2020年には「大統領の権限を国家評議会にかなり移譲する」法案を成立させ、2024年以降は「国家評議会議長」として政権の中枢を握る予定とされる。

 そんなプーチン氏の支持率は2018年大統領選挙時にはまだ75%もあったが、最近は下降減少が起き始めている。いわゆるプーチン独裁政治への批判への高まりだ。一昨年2019年に行われた首都・モスクワの市会議員選挙で大規模な不正選挙結果(偽造)に対する大規模な抗議活動が行われた。その先頭に立っていたのが、野党指導者のナワリヌイ氏(1976年生・現在44歳)だった。

 昨年2020年8月、シベリアからモスクワに向かうロシア国内線の飛行機に搭乗して、暗殺計画による毒物(猛毒の神経剤ノビチョク使用)によって意識を失う。暗殺者集団にとって計算違いだったのは、機長判断で途中、飛行機はもよりの空港に緊急着陸し、その地の病院に緊急搬送され一命をとりとめた。その後、ナワリヌイ氏はドイツへの移送を許可されて、ドイツの病院で治療にあたっていた。

 この暗殺未遂事件は、英国の調査グループによって2020年12月に、「襲撃はロシア連邦保安局(FSB)の工作員が関与・実行した」との報告がされた。プーチン大統領はこの報告に対し、暗殺事件への関与を否定し、「もし毒殺したいのなら、最後までやっていただろうし、ドイツへの移送は許可しなかっただろう」と年末恒例の記者会見で述べている。

 そのナワリヌイ氏は1月13日にドイツからロシアへの帰国の意向をソーシャルメディアに表明。17日夜にモスクワ近郊のブヌコボ空港に到着予定となった。空港周辺には約1000人もの支持者たちが飛行機の着陸を待った。しかし、飛行機は首都空港のシェレメーチェヴォ国際空港に着陸地を変更し着陸した。ここでも大勢の支持者たちが帰国を待ち構えていた。そして厳重な警戒にあたる警察隊。

 妻とともに帰国し、空港での入国審査を終えたところで拘束された。拘束の直前、同行した報道陣に「当局の拘束理由となる 私へのすべての刑事事件は捏造(ねつぞう)。何も恐れていない」と語った。

 拘束されたシェレメーチェヴォ空港は、私がロシアのサンクトペテルブルクへ行くたびに、乗り継ぎのために往復時にそれぞれ4〜8時間あまり床などでごろ寝しながら滞在したロシアで最も大きな首都空港だ。拘束の情報に、帰国を待ち構えていた支持者たちと警官隊との間で衝突が発生し、支持者たちの多くも拘束された。

 ロシア当局は21日、ナワリヌイ氏の陣営主要幹部たちを「違法デモ」を呼びかけたとして、(ソボリ氏・上記写真右端など)一斉に拘束した。昨日23日、ロシア全土100都市でプーチン政権批判とナワリヌイ氏らの即時釈放を求めての抗議集会とデモが行われた。首都モスクワでは4万人が参加したと伝えられた。この全国的抗議活動の中、3000人超が拘束された。日本に近い極東ロシアのウラジオストクでは4000人あまりが抗議活動に参加と報道された。

 ナワリヌイ氏が主宰する団体「汚職との闘い基金」は、1月19日、「プーチン大統領が秘密裏に大宮殿を保有している」と告発する動画をユーチュブに投稿した。動画は22日までに5000万回以上再生され、大きな反響をロシア国内に呼んでいる。(※ロシアの人口は1億4500万人で世界第9位、日本は11位。ロシアのGDPは世界第13位。12位は韓国。)

   このことは日本のテレビでも報道されていた。報道テロップには、「ロシア・プーチン大統領の宮殿 ナワリヌイ氏側が公開―ナワリヌイ氏の調査チーム"プーチン大統領はロシア南部に約1400億円相当の宮殿を所有"」「プーチンのための宮殿」「建設に関わった業者なとからの情報を元にCGで再現した内部映像も公開」「公開から1日も待たずに1500万回超の再生」「調査チーム、"世界最大の賄賂だ"と批判」。「これに対してペスコス大統領報道官は"プーチン大統領に宮殿がないことの説明はしてきている"と」。

 映画007に出てきそうな宮殿だった。主要な建物以外にも体育館や芝生の広いグラウンド、プールなども併設されている。ロシア南部の保養地でもある黒海沿岸にあるこのプーチンのための宮殿は、三方を海の断崖に囲まれた警備的にも条件のとても良い立地条件をもっている。劇場、カジノ場、飲酒バーなども建物内部にあり、なるほど1000億円はかかるかもと思える、まさに宮殿だ。これだけのお金、巨額な世界史上最大の賄賂のお金を使ってという報道も納得できる。

 朝日新聞や毎日新聞でも「プーチン大統領"汚職実態"公開 ナワリヌイ陣営 反撃火ぶた」(朝日)、「プーチン大統領の"宮殿"とされる建物=2021年1月19日にユーチューブで公開される―露反体制派"プーチン宮殿"暴露動画を公開、黒海沿岸に1400億円の豪邸」(毎日)。

 1月24日朝刊「朝日新聞」には、「ナワリヌイ氏の解放要求―23日、ロシア全土でデモ」の報道記事。

   この日23日、ドイツからともにロシアに帰国したナワリヌイ氏の妻も拘束された。今年9月にはロシア下院議員選挙が予定されている。この選挙での民主勢力の躍進を怖れているプーチン氏のなりふりかまわぬ弾圧がロシアでは進行中だ。「プーチン宮殿」の暴露動画が公開されたインパクトはロシア国民にとっても大きいものがあるかもしれない。今年、ロシアの政局はどうなっていくだろうか。世界の「非民主」の巨頭となりはてた感のあるプーチン氏の敗退と民主派躍進を期待したいが、プーチン氏もしたたかだ‥。まずはロシアの方が中国よりもはるかにはるかに「民主台頭」は可能性が高い。

◆「私の愛するロシア」である。福井県の敦賀に近い漁村で生まれ育った私は、敦賀の港に子供のころから主に木材を積んで入港するロシアの船を海沿いにある段々畑から祖父母とともに見てきている。そのためかロシアという国をかなり身近に感じ育った。一度ロシアに行ってみたいと思い続けてきた。

 外国の大学で教員として仕事をしてみたと思い始めた50代のころ、最も行って仕事をしたい国はロシアであった。4回ロシアを訪問し、国民性的にも相性があった。そんな国が私にとっての「愛するロシア」だ。まずは両国の公的な機関を通じての大学教員採用が中国であったので、「2年間ほど、まずは公的な採用で中国にでも行ってみるか。その後ロシアに‥」と考えてもいたが、ついに中国で8年目となっている。

 

 

 

 


100年前の1920年代は「20世紀の民主主義の台頭」を位置づけた—100年後の2021年、今 "分水嶺"に

2021-01-24 06:28:20 | 滞在記

 2021年1月1日元旦号「産経新聞」のトップ一面記事は「民主主義が消えてゆく―中国型の権威主義で猛威」という見出し記事だった。「2021年の幕が開けた。コロナ禍で加速した世界の軋みに対峙して21世紀の形を決める分岐点となる。100年前、第一次世界大戦後の1920年代は、米国の興隆や大恐慌、ソ連成立など20世紀の姿を決定づけた。

 今の私たちはどんな世紀を築いていくのか。その根幹として譲れない自由と民主主義の価値を、露骨さを増した中国型の権威主義、強権的な振る舞いが脅かす。その最前線のインド太平洋で"米国一強"は揺らいでいる。日本は、自ら先頭に立って価値を守る行動と覚悟が問われている。」と前文に記し、記事は続く。

 記事によれば、①「新型コロナ禍で民主主義・人権状況が悪化した国・地域」の数は80。②「民主主義的な国・地域の数が減少し、"非民主"が過半数に」―(2010年「民主国98」、2019年「民主国87」vs「非民主国92」)と示されていた。

 ―「民主主義」が後退してきている要因とは何なのか―私なりに考えるには

◆主としてアメリカや欧米諸国によって民主主義は理想的な制度として多くの国で認識されるようになり、アメリカを中心とする各国が2000年代初頭まで振興を続けた結果、世界の主流となった。(特に1991年のソ連邦崩壊、ベルリンの壁崩壊からの2010年頃までの15年間は)  しかし、アメリカは世界各国への民主主義の振興から手を引き始める。(※前政権のブッシュ政権への反動もあり、2009年1月~2017年1月までのオバマ政権は手を引き始めた。) 

 これととも中国の台頭やIT技術革新での金融資本主義の隆盛、格差の拡大、ポピュリズムの台頭などが加わり、世界的に民主主義国の数やスコア(民主主義指標)は減少し、2006年をピークとして民主主義の後退が始まってきた。資本主義が充分に発達し、金融資本主義へと移行し、民主主義に悪影響を与え始めたことが要因として最も大きいかも知れない。コロナ禍によってさらに後退は加速している。

◆2020年10月に刊行された『民主主義とは何か』(宇野重視、講談社新書)では、序で民主主義の危機として、「ポピュリズムの台頭」、「独裁的指導者の増加」、「第四次産業革命とも呼ばれる技術革新」、「コロナ危機」などが挙げられている。また、さまざまな書籍やレポートでは、はっきりと中国(場合によってはロシア)を名指しし、その台頭が民主主義を脅かしているという論法も多い。私が特に「民主主義」の衰退の要因として思えることは①「資本主義」のゆきづまりだ。特にITの発達により、資本主義は2000年代より完全にグローバリズム「金融資本主義」に変化し所得格差が大きくなりすぎ、中流階級が減少。日本においても、2000年代に入って、小泉・竹中の政策により「非正規労働者」を法的にも拡充した。

 グローバリズム金融資本主義における5%の富める者が、世界の富みの50%を占めるという社会現実が先進資本主義国でもポピュリズムを生んでいる。また、発展途上国に生産拠点を移動する「国内産業の空洞化」が先進資本主義国のポピュリズム隆盛に拍車をかけ、アメリカではトランプ大統領が2016年に誕生。国内の人々の民主主義分断を引き起こしてもきた。

 もう一つは②非民主主義国・全体主義政治体制「中国の台頭」だ。中国が ロシアやイランとともに非民主の政治体制の世界への拡散を経済政策とともに牽引(けんいん)している。特に国土面積や軍事的には中国とロシアは大国だ。ロシアはまがりなりにも「民主主義」の条件の根幹でもある「選挙制度」はあるにはあるのだが、なぜ「非民主国」の巨頭の一つになっているのか。20年間あまり続いているプーチン政権。このロシアでのプーチン政権のゆくえが、この「民主主義」の世界的危機を乗り越える一つ一里塚ともなっていくだろうが、プーチン大統領も20年間も政権を維持しているだけにしたたかだ。

 また、5%の者が50%の富みを独占するという「金融資本主義」の克服をどう進めていく道筋があるのかということもまた、最も重要なことだ。2006年を始まりとして、2020年、21年は世界の歴史の決定的な転換点・分水嶺にまでなってきている。現在人口75億人の世界の歴史はどう流れていくのかの。