彦四郎の中国生活

中国滞在記

『武漢日記』出版への批判の嵐―中国"強まる愛国"―「一つの声しかない社会は健全な社会ではない」

2021-01-04 09:45:28 | 滞在記

 「昨日、友人と食事に出た時、マスクを忘れるほど街は平穏を取り戻している。その一方、ネット上では"中国の負の面を西側諸国に売り渡した"と私への批判の暴風雨が吹き荒れている。私はただ、自分が見聞きし、心が感じたことを書いただけなのに。」(2020年6月10日 朝日新聞記事より)

 世界で最初に新型コロナウイルスの感染が拡大し、2カ月以上にわたる都市封鎖が続いた中国湖北省武漢市。封鎖下の街で、日々の暮らしや社会への思いを綴った日記をネットで日々発信した地元の女性作家、方方(ファンファン)さん(65)が、4月中旬ころから、中国国内で激しいバッシングにさらされ続けている。

 ―「武漢日記」の内容の一部―

2月2日—「今日一番つらかったのは、霊柩車を大声で泣きながら追いかける女の子の姿だった。母親が亡くなったのに、見送ることもできない。」 2月5日—「私が日常の小さなできごとを記録するのは死者や感染者だけが今回の人災の被害者ではなく、全ての人々が代償を払っていると伝えたいからだ。」 

2月24日—「一つの国が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さや、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や、芸術が多彩とか、さらに派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。唯一の尺度(基準)は、弱者にどう接するか、それは弱者に接する態度である。」 3月24日(最終回)―日記に寄せられる投稿を読むたび、こんなにたくさんの人が私と同じ考えを持っているのだと思えた。だから孤独を感じることはなかった。」

 武漢封鎖から2日後の1月25日から3月24日までの日々を毎日SNSに投稿した日記(ブログ)は全60編からなり、これを毎日閲覧する人々から、「武漢日記」と呼ばれるようになった。前例のない都市封鎖の中で何が起きていたのか。日記には、政府発表やメディアが伝えない市民の不安や悲しみが綴られた。「深夜0時、いつもワクワクして日記を待っている。あなたの日記がまるで良薬のように、われわれの焦燥と苦悩を和らげてくれる」—。

 日記は武漢の市民の生活を支える地元政府関係者、警察、ボランティア、そして全国から支援に駆けつけた人々の、命を懸けての活動と辛苦に対しても、感謝の気持ちをも記述している。「政府関係者、警察官、ボランティアの皆さん、感染されるリスクを負いながらも第一線で頑張っている。警察はパトカーで患者を病院に搬送している。救急車が足りないからだ。そして、彼らは、病院や隔離場所、各幹線道路で24時間の警備もしなければならないので多忙だ。そのため、多くの警察官が職務を遂行しているうちに感染してしまう。われわれを支える人々に感謝の気持ちでいっぱいだ。」と綴っている。

 毎晩、多くの中国全土や海外在住の中国人たちが注目し、真夜中の0時になると、たちまちアクセスが集中して多くのコメントで溢れるSNSのカウントページ。なぜ、深夜0時にアクセスが集中するかといえば、理由は2つあった。まず、方方さんが決まって深夜0時に投稿すること。そしてもう一つの理由は、投稿の多くが、翌朝には中国の政府当局によって削除されてしまうからだった。この方方さんのSNS投稿は、読者・閲覧者数は億単位となった。そのうちに、彼女の日記投稿自体も内容によって即座に中国当局から削除されるようにいった。

 このため、毎晩、日記が更新されると30分もたたないうちに、閲覧する読者数は5000万を超え、コメント欄もまた数えきれないほどの反響であふれた。「お願いだからペンを置かないで!書き続けてください、あなたの日記が必要です!」「集団的な沈黙は一番怖い。一つの声しかない社会は健全な社会ではない」「今回のコロナウイルス騒動で、すべてのメディアが1人の女性に負けた。大の男たちが沈黙を続けて情けない!」などなど‥‥。

 武漢の封鎖が解除された4月8日、米国の出版社から英語版の出版が予定されていると発表されたのを境に、方方さんへの批判が中国のSNS上にあふれるようになった。「武漢の悲惨な面が強調され、誤ったイメージが国外に流れる―。」批判する人々はこのように主張し始めた。米中の対立が増す中、「売名と米国の利益のために中国をおとしめている」「売国奴」「この人に国を思いやる気持ちはあるのか」など、攻撃的な投稿が相次ぐようになった。

 方方さんの日記の国外出版に強い批判がわき起こった背景には、新型コロナウイルスをきっかけに中国でより高まる愛国ムードがある。米国に留学中の学生が2月、SNS上に「危険な中国に帰りたくない」との一節を投稿したら、中国国内のネットには「中国を侮辱している」と批判が溢れ、この留学生の両親の勤務先なども暴露された。

 中国の初期対応への疑問が国際社会で根強く続くなか、方方さんの『武漢日記』も、「国内の団結に水を差す」というようなたぐいの「愛国心」が中国では人々の心に広がっているようだ。ただ、この方方さんへの批判コメント激増問題で気をつけなければいけないことがある。それは中国政府が2014年ほどから強化し始めた「ネット規制対策」。中国政府寄りのネット投稿をしている要員が1000万人くらい存在していると推定されている。そして一つの投稿につき、現在では3元(50円)程度の報酬を受け取る。私が教えていた学生にもこのような投稿要員登録のバイトをしているものもいた。このようにして、中国政府は世論を形成しているんだなあと思う。だから、方方さん批判の嵐もこのことを留意しておく必要がある。これらの要員が多くの投稿を占めている可能性が大きいからだ。

 中国国民が過半数が方方さんをはたして全面的に批判しているのかのという疑問である。おそらくそうではないだろう‥。だが怖いことは、このような批判投稿記事を毎日なにげなく見続けると、そのうち「そうなのか‥」という同調思考になっていくことである。中国では、あることについての批判キャンペーンを始めると、少なくとも半年から1年あまり、連日、そして中国全土の至る場所で批判キャンペーンを集中する。いやでも目にすることとなる。「政府からの一つの声」に国民を指導・統制していくのだ。このような指導を共産党運動では「前衛」という。

 2016年ころから始まった「邪教(政府非公認のキリスト教など)」キャンペーンは2年間あまり続けられていた。(大学内でも)それはものすごかった。また、2014年ころから始められた「黒社会」(日本で言う暴力団とはちょっとちがう。中国で伝統的に続いてきた絆(きずな)、一族・血盟的な仲間社会の団体や組織・集まりで「パン」と言われる。)撲滅のキャンペーンも数年間続いた。中国共産党の統制から外れる組織・団体の撲滅キャンペーンだった。

 昨年の秋、日本の書店でもこの『武漢日記』が置かれ始めた。「文明の唯一の尺度は、弱者にどう接するか。どのような態度をとるのかだ。」との日記の一文、「一つの声しかない社会は健全な社会ではない」との読者コメントの一文は、日本においても中国においてもとてもとても重く投げかけられた言葉だった。言葉の力というものをとても感じる一文だった。 (※「方方」は彼女の作家としてのペンネーム。本名は「汪芳(ワン ファン)」。)

◆この方方さんの『武漢日記』に関することだけは、2020年内に書いておきたかったのですが、年をこしてしまいました。