彦四郎の中国生活

中国滞在記

福州と沖縄❹―第一回福建省大学「エイサー」チャンピオン大会―於:福建師範大学

2015-06-13 10:39:01 | 滞在記

 5月23日(土)、第一回福建省大学「エイサー」チャンピオン大会が、私の勤務する大学に近い福建師範大学の新キャンパス(大学城キャンパス)を会場に開催された。出場する大学は、福州大学・福建師範大学・閩江大学・華僑大学の4大学である。この中で、福建師範大学は沖縄県の琉球大学と提携関係を結んでいるので、交換留学が行われている。

 会場に入ってパンフレットをもらうと、大学のエイサー4チームだけでなく、沖縄の「世界エイサー大会チャンピオンチーム」の他、音曲・武術・舞踊など、様々な団体の出場が記されていた。大学の「文化・学芸ホール」は、たくさんの人が入っていた。閩江大学の同僚の先生や学生達もけっこう来ていた。福建師範大学の藤田さんや津田さんも来ていた。藤田さんの隣の席に座り開会を待った。

 午後1時すぎに、一人の学生の「昴(すばる)」の熱唱が始まった。そして、男女2人の司会が開会の挨拶を中国語➡日本語の順にした。主催者代表の挨拶なども中国語➡日本語の順に行われる。そして、4大学の「規定曲演技」が行われていった。

 次に、福建師範大学武術部の演技披露、華僑大学の伝統的音曲の発表、沖縄の音曲の披露が行われた。

 そして、大学エイサー4チームの「自由曲」演技が行われる。その後、福州の民族音曲団による演奏、福建師範大学の舞踊部による演技などがくりひろげられた。

 最後の演技披露は、「世界エイサー大会」で、3年連続チャンピオンチームとなっている団体の演技が行われた。沖縄県のチームだが、すごい迫力があった。
 いよいよ、「福建省大学エイサー大会」の結果発表。4位:華僑大学、3位:福州大学、準優勝:閩江大学、優勝:福建師範大学という結果だった。チャンピオンとなった福建師範大学は、沖縄で行われる「世界エイサー大会」に出場することになった。
 中国の福州と沖縄の那覇を結ぶ「航空直行便」が新しく就航することが決まったことが、主催者側から発表された。いままでなかったので、「沖縄」と「福州」はより関係が今後深まっていくことだろう。
 最近、沖縄の経済は好調だ。経済の多くを米軍基地に依存してきた沖縄だったが、それをより脱却して新たな沖縄の経済基盤を作ろうとしている。最近は、中国からの観光客もかなり増えているらしい。再び、沖縄がアジアの中で、魅力ある観光・文化の場所として輝きを増す日がやってきたようだ。
 これをより確かなものにするために、沖縄の米軍基地問題に関する翁知事などの日本政府への政治的要求は、一歩も引かない姿勢がみられる。日中米の政治的緊張の関係もある中、なかなか「沖縄の基地問題」は難しいが、基本的には「日中友好」がより進めば、基地問題も解決に大きく前進するのだか一筋縄ではいかない。


福州と沖縄❸―福州「琉球館」(閩江に至る)その②―

2015-06-13 01:34:39 | 滞在記

 5月14日(木)、この日は大学の授業が無い日だったので、再び「琉球館」に行った。扉が開いていた。開館しているので中に入ったら、無料だった。ほとんど見学者が来ないようで、展示室の電気が消されていたが、職員のおばさんが電灯を点けてくれた。こんな小さなほとんど人が来ないような「琉球館」にも、職員が3人いた。展示案内をする様子も話しかけてくる様子もない。来館記録者名簿を見たら、私の前に来た人は、半月ほど前の来館記録だった。(※中国は、少し大きな店に行ってもやたら店員が多く、商品コーナーごとに店員がいておしゃべりや携帯電話を見ていて、客にほとんど関心を示さない場合がかなり多い。)

  一階と二階に展示室があった。電灯が点けられても、部屋は薄暗い。先日行った「万寿橋と琉球館が描かれた絵地図」、「閩江から琉球館に至る間の川と小舟」や「琉球の船」などの古写真があった。

 琉球国の首里城がある那覇市には、久米村という地区がある。そこは、中国の福建省から来た閩人(福建人)が居留していた中国人街があったようだ。今もその子孫たちが沖縄に暮らしている。姓(名字)は、36姓あった。その中に「翁(おきな)」という姓があった。現在の沖縄県翁知事の祖先は福建人だったようだ。この福州に居留していた琉球人の墓石(銘板)も展示されていた。「渡嘉敷」という姓が刻まれていた。
 このような歴史的関係から、「福建省と沖縄県」・「福州市と那覇市」は、「友好省県」・「友好都市」の締結関係にある。また、福建省と長崎県も提携関係があるようだ。

 15分間ほど二階の展示室を見ながら写真を撮る。一階の展示室内の写真を撮ろうと思い降りていくと、なんと電灯はすでに消されていた。呆れて、「電灯をつけて下さい。」という気も起らなくなった。
 琉球館を出て、琉球館から閩江までの小さな川の流れを探して(たどって)みようと思った。先日行った「万寿𣘺」に行く。そこから川に沿って下流をたどる。途中から川沿いの通路が行き止まりになる。迷路に迷い込んで、ようやく再び川の流れを見つけると古橋があった。かなり歴史的な石橋だ。「路通𣘺」と刻まれていた。この橋の起原は、1200年代の「元」の時代のようだ。橋はカジュマル(榕木)が根を張っていた。歴史を感じる𣘺だ。橋のたもとには、媽祖信仰(船の守り)の「天后宮」があった。とても大きな「線香」が立てられ、煙が出ていた。

 さらに、閩江に至るため川沿いに歩くと「台江街」という繁華街に至る。ここは、福建省最大の「衣服街」である。数千件の大中小「衣服店」が軒を連ねる地区だ。小さな川の流れは、地下にくぐってしまう。ようやく水路の出口を見つけると、近くに古橋があった。「三通橋」という名前の石橋は、これも歴史を感じる橋だった。
 ようやく閩江が見えてきた。解放大橋という名前の橋がかかった向こうの小さな中州には、洋館の建物が見える。この辺りが、「旧福州の港」だった場所だ。はるばる海を越えて中国に来た「琉球の船」や「他国の船」は、此処で停泊したのだろう。

 5月16日(土)に、福建師範大学の藤田さんと竜岩大学の鶴田さんが私のアパートに来た。かなり激しい雨が降ることもあった日だったが、琉球館から台江街に至る迷路のような「古街」を案内した。(※上記の写真は、「万寿𣘺」近くの「天后宮」)