彦四郎の中国生活

中国滞在記

6月7日、四回生たちが卒業していった:「卒業論文」発表会―中国滞在2年間、一つの区切りかな―

2015-06-15 05:43:49 | 滞在記

 ここ福州は、梅雨明けが近いのかもしれない。「しとしとと」降るかと思えば、「ザアザア、ピカ、ドドッ」と降ったりする雨が少なくなってきた。気温は連日35度を超える暑さになってきたが、やや湿気が少なくなり、本格的な夏近しを感じる。宿舎近くには、7~8本の「泰山木(たいざんぼく)」の大木が繁っている。次々に白い花(抱葉に似た)が開花し、部屋までその匂い(芳醇で香しく、高貴)が 微かに漂ってくる。中国生活の孤独感や疲れをかすかに癒してくれもする香りだ。

 6月7日(日)、4回生たち40人が大学を卒業していった。この日は、「卒業論文」の発表会が午前9時から始まった。8時半ころには、4回生全員が、控えの教室に集まっていた。久しぶりの再会だった。彼らは私にとって、2013年9月4日、初めて中国の大学で授業に臨んだ時の学生たちだ。
 1月中旬から、故郷や企業実習の都市に行っていた4回生たちは、久しぶりに大学に数日前に戻っていた。(※中国の大学では、4回生の後期は授業がない。この期間、ゼミ担当教員と連絡を取り合い卒業論文を作成したり、企業実習を2か月間あまり経験する。この企業実習の証明書がないと卒業できない。大学院進学を希望する学生は、この証明書の代わりに「ビザなど、大学院進学に向けて準備中」の証明書提出を求められる。)

 「本科卒業論文」発表は、一人10分間程度。2つの教室会場で発表が行われた。5分間あまりの発表のあと、5分程度の教員と発表学生との質疑応答。「卒業論文」冊子は、中国語で書かれているし、発表や質疑応答も中国語だ。ただ、論文の最初に「日本語」で論文概要が書かれているので、何が書かれているのかはほぼわかった。ちなみに、「卒業論文のテーマ」は次の通りである。(※私なりに日本語訳にすると)
 ①「日本語の反論、拒否、断り行為表現の中での、礼節的表現」②「と・ば・たら・なら用法の表現の違い」➂「日本語の禁忌表現」④「日本語の授受動詞と中国語への翻訳の問題」⑤「日本語と中国語における量詞の対比研究」⑥「中国語の(存在文)の意味的考察」⑦「日本語のことわざと中国語への翻訳の研究」⑧「試論 現代日本女性」⑨「中日両国、結婚の現状の比較研究」⑩「宮崎駿の作品における精神」⑪「中日民族の禁忌の対比研究」⑫「日本料理にみられる、日本人の価値観と自然観」⑬「日本の漫画アニメーションに見られる日本人の精神」⑭「発明と創造にみられる日本人の精神」⑮「日中同形異義語」⑯「日本語と曖昧表現」⑰「人間関係における謝罪・感謝表現の中日対照」⑱「(いる・ある)と(ている・てある)の関係性論」⑲「(そうだ・ようだ・らしい)の異同論」⑳「(あらかじめ)と(まえもって)の異同論」

 21、「小説:『一人日和』にみられる日本女性の恋愛・結婚観」22、「島田庄司作品の本格派推理小説論」23、「村上春樹作品における比喩表現論」24、「星新一作品の中の人間性を探る」25、「川端康成の『伊豆の踊子』『雪国』における女性形象」26、「贈答における中日比較」27、「衣服における日本人の細やかな思想」28、「日本人の曖昧表現から以心伝心という言葉の日本人を探る」29、「2013年流行語と日中翻訳」30、「東京の地下鉄網設計と日本人の綿密思想」31、「熟語における中日語への相互翻訳論」32、「日本の漫画アニメーションの発展様式と中国の漫画アニメーションへの影響」33、「中日の感情表現語の違いの研究」34、「日本語中国人学習者の(ている・てある)の習得状況調査」35、「会話において不安定―日本語の人称代名詞表現」36、「日本の若者言葉の変化と発展」37、「日本の少子化問題と中国の一人っ子政策」38、「外来語の増加と日本語への影響」39、「日本語の典型的な使役動詞と成立条件」40、「中国語と日本語の時制に関する比較研究」
 以上、40人の卒業論文。3回生も10名あまりが発表会を聞きに来ていた。40人の発表者の中から、優秀論文3人が選考され、その中から最優秀論文が1編選ばれたが、その選ばれ方には疑問を感じた。

 ※卒業生たちが卒業服に身を包み記念撮影。なお、大学全体の卒業式は、各学部・学科の優秀卒業生だけが参加して6月25日頃にとりおこなわれる予定だ。

 「午後6時すぎから東門の店で、日本語学科卒業生のお別れ宴会をします。ぜひ来てください。」と連絡が入った。行ってみた。36人余りが参加していた。

 一人一人と、個別に「乾杯」したので、小さな中国式コップでビールを100杯ばかり飲んだ。彼らの多くとは再び会うことはもうないだろう。再び会うだろうと思うのは10名~15名くらいの学生たちだけだろうかとも思う。彼らの中から4名は、日本の大学院を目指して7月から留学生活のため来日することになっている。支援をしていきたいと思う。
 私が、2013年9月に中国の大学に初めて赴任して、初めて授業をした学生たちとこの日別れた。2年間あまりの歳月が過ぎて、中国での大学教員生活も一つの区切りがきたと思った。