「絵地図にあった琉球館は一体どこにあるのだろう?」探し始めて2時間。「もう30分だけ捜してみよう。」と思い、洋館などの古い建物が壊されかけて空き地になっている場所に、再び行ってみた。しばらく空き地にたたずんでいると、これ以上は行き止まりだという場所を女の人が通り抜けて行った。「ああ、抜けれられる細い道があるんだ。」と思い、女の人が通り抜けた道(人が1人だけやっと通り抜けられる)を出たら、突然「琉球館」らしい建物があった。「これだ!」
建物の前には、「柔远驿」という石碑があった。現在のこの建物の名前だ。そして隣の石碑には「琉球館」と刻まれ、「中日友好」の文字も見られた。この琉球館は、新しく建て直されたものらしい。中は小さな博物館として利用しているようだ。開館時間が書かれていた。「朝9:00~11:00、午後3:00~5:00」まで。何曜日が閉館なのか書かれていない。「今日は日曜日だから開館しているだろう。」と思い、1時間半後の3時に再び来ることにした。
3時に戻って来た。建物の扉がまだ閉まっている。ドンドンと扉を敲く。しばらくすると中年の男が扉を少し開けて、「今天閉馆日了」と言う。「我从日本来的。请进我。」と頼むが、「不能不能」とそっけない返事。この日は入館をあきらめて、絵地図に書かれている古橋を探すことにした。
琉球館を少し南に行くと大きな道路(工业路)に出る。いつも通勤で通る道だ。道端でおばあさんが果物を売っていた。昼食を兼ねて、「山桃」を買った。食べてみると美味しい。少し疲れがとれてくる。近くの運河のような川沿いに古橋があるはずだ。琉球と福州を行き来する大型帆船は、海から大河「閩江」に入り、30kmあまり河を遡り(さかのぼり)、この近くの旧福州港に停泊。小舟を利用して荷物や人を支流の小さな川伝いに琉球館近くにある「万寿橋」まで運んだり積み込んだりした様子が絵地図には描かれていた。
小さい運河のような川沿いに古街を南に下ると、古い石橋が見えた。「この橋かもしれない!」。行ってみると、やはりこの橋だった。「万壽橋」と刻まれていた。相当古い歴史のある橋だ。
1400年代から琉球の人たちは、この橋のたもとで生活していたんだと思うと感慨深い。橋の小さな「獅子」も人が何百年もなでてきたせいか、すり減っていた。舟形の石の橋脚が美しいと思った。
橋の近くには、「天后宮」の建物があった。船の安全を祈願する「天后宮」は、女神(仏)を祀っている。この福建省と台湾に多い「天后宮」は、「媽祖(まそ)信仰」とも言われている。
上の写真や絵は1800年代(清の時代)の福州の古写真と写真からの復元絵である。左の写真のほぼ中心に当時の福州の港や船が見える。真ん中の写真は、福州城のあった付近の写真だ。大きな門がある。1840~1842年のアヘン戦争にイギリスなどに負けた中国。この敗戦後、福州は貿易港として、広州・厦門(アモイ)・寧波(ニンポー)・上海とともに西洋列強国に開港された。この開港により、琉球は「中国・日本・アジア」の貿易中継地としての存在意義を急激に失うことになった。
※ブログの前号で、「明治維新後の1970代」は、「明治維新後の1870年代」の間違いでした。