南島原の夜は最高だった。雲仙の温泉で俗の汚れを長い荒し、天草の見える
座敷で宴会。地元のよか男の「やっさん」が昼間釣った「カンパチ」と「水いか」をもってきてくれた。
土産にもっていった宗像の地酒と島原の地酒で、釣った魚と釣りの話をつまみに、やまんごと飲んだ。
わざびは「有東木」のものを、なつき君が用意してくれていた。わさび発祥の静岡のものだ。
押上界隈のカフェは「硯水泉」という富士山の湧水を使っているところが多い。なつき君が毎月
汲んできてくれた奇跡の水。その水源の近くに、わさびのふるさと「有東木」(うとぎ)がある。
新東名から山登りをするように走っていく場所だ。「うつろぎ」という地元の人たちがやっている食堂
は桃源郷みたいなとこ。(話が島原から静岡に脱線している)奇跡の水は、なつきくんからぼっちゃんに
バトンタッチされ、天真庵のそばや珈琲にかかせないものになっている。
あまりに、居心地のいい場所なので、こんな民泊を、都会の人たちにも紹介したいと思い、来年の
3月ころ、口之津の「からふね蕎麦倶楽部」にて、蕎麦会をやることにあいなった。
次の日は朝早く起きて、蕎麦会の準備をして、♪右手に有明海 左に雲仙 馬上ゆたかな美少年 ヨサホイヨサホイ
と島原のお寺に向かう。初めての場所で蕎麦を打つのは、即興、めいていてウキウキするものだ。
お茶もそうだけど、自分のところでやるのは道具や掛け軸や花器など、使い慣れているけど、よそでやる
時は、いろいろ融通無碍の世界を自由自在にこなさないとうまくいかない。そこがおもしろく風狂である。
蕎麦打ちを真剣に見ている親子がいた。島原の地産地消のイタリアンのシャフのIさんだ。
今回の縁をつくってくれた若きカリスマシェフ。(そばのお弟子様が東京からわざわざこのお店にいった時、
お寺の住職が隣に座った、という奇妙な縁)
手つくりのハムと「いぎりす」を持参してくれた。福岡の「おきゅうと」みたいな、海藻でつくったそげなもの。
蕎麦会の後は、島原を散策して、カリスマシェフのお店へ。どうせばれるので、いうけど「ペシコ」というお店。
東京にあったら、超繁盛店になること間違いないが、地産地消の精神が筋金のように一本背中に通って
いるので、「ここにあるからよろし」と思う。早川の「ながや」に似ていると思っていたら、ながやくんからメールが
きた。(きっと、におったに違いない。うちのお客さんがきた、というお礼メールだけど・・)
東京からきたIT時代からの親友が、5本空にしたワイン代を、かっこよくおごってくれたので、信じられない
ようなお得な「わりかん」になった。彼はこの店も、なつき君とこも気にいって、3月の蕎麦会にも
くるハメになった。もつべきものは、いい友達で、こんな人と旅をするのは、また格別である。
次の日は、ぼくの一番古くて熱心なそばのお弟子さまを空港までおくって、その後たらたら車で
走っていたら、佐賀の鹿島にいった。今年の一月に旅立った「佐賀のがばい鮨職人」のふるさと。
お墓は聞いていないけど、彼のお葬式に献花された小学校の同窓生のことを覚えていたので、そこに
立ち寄って、一礼。末期ガンにもかかわらず、二年もの間、天真庵で月一度、元気な鮨をにぎってくれた。
たくさんの人のこころに残る一刻をありがとう、である。 感謝。