長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

クラシックなお茶会

2010-08-14 07:31:45 | Weblog
今日は、18時からクラシックコンサートをやる。
メンバーは、「長屋茶房天真庵」のHPに紹介した面々。
だからお店は15時で閉店。ピアノの調律やリハーサル。

昨日は、前夜祭のように、メンバーの人たちが、珈琲を飲みにきた。
ピアニストの赤松林太郎くんのところで、リハーサルを
やる前。一流の人たちは、毎日飽きずに、自分を磨いていく
練習をやり続けていける人たちだ。芸術全般にいえるし、スポーツ
でも実業でも同じことがいえる。

今朝蕎麦を打って、道具を二階にしまった後、いつものように
畳の上で、しばらく座って、床の間の軸を眺めていた。
今は、亀田窮楽の「研精窮本原」という字が掛けてある。
かの煎茶道の祖である、「売茶翁」(ばいさおう)と交流があった京都の書家。

お茶といえば、千利休が有名だが、煎茶をひろめていった人で「売茶翁」
という人がいた。佐賀県出身で禅僧で57歳の時にその身分を捨て
上洛、東山や下鴨神社の糺の森などの景観地にいき、茶を売りながら禅の世界を
説き、その人柄に、池大雅、伊藤若冲、田能村竹田たちがほれ、煎茶を
親しみ、彼らはみな売茶翁の肖像画も残した。
いわゆる文人墨客たちが、煎茶を楽しみながら、世情を批判したり憂いたり
して清貧にあけくれた時代が京都にあった。
その清貧の売茶翁を生前、いろいろ手助けをした書家が亀田窮楽だ。
売茶翁の偈にも、「生前私を助けてくれた」と、窮楽の名前がでてくるほどだ。

その名前の一文字が入った「研精窮本原」
精しく研いていけば、本原(根本)を窮める、
つまり、井戸(水)は深く掘れ、といったような意味だろう。
名を残したわけではなく、美術館にあるような字ではないが、
彼の書を見ていると、彼の生きた時代の京都の景色や、彼の生き方、
信条などが、伝わってくる。お茶道具もしかり。今生きている自分たちと、
昔生きていた人たちが、静かに対話する「道具」なのかも知れない。
だから、残ってきたものは、「道が具わっている」のだと思う。

そして、天真庵で開かれるいろいろな音楽会は、ぼくにとっては
大切な「お茶会」みたいなものだ。演奏する人たち、お茶(蕎麦)会を
やる人、それを聴いたり、食べたり、お茶を飲む、お客さんたちが
「共に楽しみを窮める」、お互いに「本原を窮める」、そして日常の生活
の中に、お茶会で得た何かを、生かしながら、生活をする・・・
そんな風になっていくヒントがここにあればいいな、と思う。







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