長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は順受の会

2010-07-26 07:45:58 | Weblog
今日は「順受の会」・・・通称「論語の会」だ。月一の「儒学カフェ」。
前半は中江藤樹をやった。月曜日から二学期。「伝習録」をやる。
いっけん、むずかしそうだけど、みんなで気もちを整えて勉強すると、
なんとかなるもんだ。すぐに、売上があがったり、お金がたまったりするような
ものでもないし、人生がすぐに好転するものでもない。でも、ものの見方とか、
こころの持ちようが変ってくると、未来は確実ちがったものになる。
人生という旅の途中に、「!」ということがあれば、いい、ぐらいの気持ちで
参加されるといいのでわなかろうか?
最近、よく電話で、この会のことを質問される。まず、門をたたくことだ。
「大道無門」・・・大きな道、学びの道には、門など無い、誰でもいつでも
入ってきていいよ、という禅の教え。この会も、無門の会。

教科書は
「新書漢文大系 22 伝習録 」明治書院22  近藤康信【著】/鍋島亜朱
華【編】

『伝習録』陽明学の王陽明の言行録であり、陽明学の本質を著した基本書である。知行合一(知識と行いは一つのものであり、それによって道理に適うこと)・致良知(良知は人が生まれながらに持っている完全なもので、これを発揮すればすべての道理に適うこと)を唱えて空論を排除し徹底的実践を説いた。
「良知」は、「天真」と同じようなようなものだ。生まれながらにしてもっている
天真爛漫なこころ。それが発見できないのは、人が大人になるにつけ、私利私欲が
でるからだ。

そして、陽明学には、「万物一体」という言葉がよくでてくる。
「奇人」とは何をもって奇人というか。
俗人から見れば、奇人変人に見える人が、天のものさしでみると、
自然の理法と同じ、絶対的な存在の人を奇人という。
「論語」や「孟子」にも「狂者」というのがでてくる。尊敬の念をこめた
総称で、「狂禅」ともいわれた。
狂ったような面々が多いが、あくまで「自然と一体になる」という
ことが前提だ。

江戸時代以降に日本に入ってきた学問、陽明学。まだまだ奥深いもので、
こらから、この星で、いろいろな生き物や自然と生きていく人たちに
とって、非常に役に立つ学問だと思う。自然体で、気楽に学べば、の話では
あるが。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿