長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は秋のクラシックコンサート 16時閉店

2013-09-13 08:19:00 | Weblog

昨日は午前中は「卒啄珈琲塾」、午後は「無茶しいの会」だった。

すみだ珈琲さんにいただいたパナマを焙煎してみた。ありのままの自分を「ただ」咲かせる

ような梅や桜みたいな作為がない自然な感じがよい。オリンピックがきまって、ざわざわしてきた。

自然は「ただ」が多いけど、人間がやることは「作為」があって、ぷんぷん臭うこと多し。

今日はヨーロッパ演奏から帰国したばかりのN響のやまねさん、中竹さんがきてコンサート。

ピアノは松岡さん。素敵な演奏になりそうだ。洒落ではないけど、昨日のお茶会では「円相」の話で盛り上がった。

お坊さんや書家が、「○」を書く。あれを円相という。仏教の「空」でもあるし、それより根本の「無」でもあるし、

仙崖和尚は円相の横に、「これ喰うて、茶飲め」と賛を入れた。まるを饅頭にみたてた。くすっ、と笑えるような彼らしいユニークで酒脱な

感じもするけど、「まんじゅうでもお米でも、いただくものは、喰いつくす。飲むものは飲みつくす。なんでも徹底的にやりなさい」ということだろう。

「喫茶去」も訳せば「まあ、一服」。ただそれだけのことだ。その「ただ」の中に、いろいろな味わいや教えがつまっているところが、いい。

無茶しぃの会に、若い青年がまじめに通ってきている。彼のおじいちゃんは、700年も続く、岐阜の山の中のお茶の生産地で

茶畑をやっていた。みな高齢であるのと、「やぶきた」などの人間の都合で改良された品種がはびこってきて、本来の在来種が苦戦を

強いられているのを知って、なんとかそのお茶を蘇らせようとがんばっている。小さな一歩だけど、なんか見ていてほそえましいし、

彼ら若者がそんな動きに躍起になる姿に、清風を感じる。「歩歩起清風」。小さな一歩一歩だけど、その一歩が、清らかな風に

なる。来年の茶摘みの時には、その村にいって「蕎麦会」をやる約束をした。

日曜日は「蕎麦教室」   月三回にしているけど、間に合わなくなりそう。

敬老の日の16日は上原英里さんの「シャンソンのライブ」があるので16時閉店。19時から4000円(そば会付き)

 

 


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