昨日も「珈琲ドリポット」のフィーバーが続いている。
ぼくの珈琲のお弟子さまで、勝手に「横に卒業」した女子が
ひょっこりと珈琲を飲みにきた。カウンターの上の「珈琲ドリポット」で
入れていると「久保さんの新作?」と叫ぶ。珈琲ドリポットの前身の黄瀬戸のドリッパー
をもっているのに、「これください」ということになった。
今年天国に召されたお父さんの仏壇に毎日珈琲を手向けているらしい。確かに、今回の「珈琲ドリポット」
は仏壇の前あたりで、入れるのにいい風合いだ。茶室でもいい。
11月6日に長崎の島原のお寺で「蕎麦会」をやることになった。蕎麦はもともと「寺方蕎麦」とかいって、
精進料理みたいな感じで産声をあげた。奈良にちょっとしられた奇僧がいて、いちどお邪魔したら、サイフォンで
モカをいれてくれた。お経を唱えながらやると美味くなる、といいながら珈琲をだしてくれ、そらが終わったら
「レント」とかいう黒糖焼酎を空いた珈琲カップに注いでいっしょに飲んだ。さしずめ「般若湯」といったところだろうか。
島原には、地産地消の精神で、地元で調達する素材を大事にしている若いイタリアンのシェフがいる。最近、業界筋に
よく話がでてくるお店だ。小さいお店なので、ここで名前を出すのはやめとくけど、そのシャフも蕎麦会にきてくれるらしい。
とても楽しみである。蕎麦と彼の料理を楽しみ、締めは石臼で挽いた珈琲を「珈琲ドリポット」で入れ、みんなで
合掌しながら飲む・・・そんな不思議な蕎麦会。南島原に今年移住した「なつきくん」も参加してくれることになった。
蕎麦の「つなぎ」が、いろいろな縁を紡いでくれ、一期一会の刹那を珈琲がうるおいをあたえてくれる。
その瞬間瞬間の「今」に感謝する。日本人は昔からそんなありがたい時を「喫茶去」(きっさこ)といった。