長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

石臼を積んだ変な車がとまった?

2016-10-23 08:54:46 | Weblog

「長崎ナンバー」の不思議な車がやってきて、中から日焼けした若者がおりてきた。

なつき君だ。この春に、南島原に移りすみ、「くちのつ巷珈琲焙煎所」を

準備中。近所の漁師に誘われて、船にのり、ビギナーズラックで、ヒラマサを

釣りあげた写真を見せてもらった。なかなかのもんだ。

彼は、天真庵を改装するメンバーのひとりで、その縁で、キラキラ橘商店街の

「ぶんかん」の店長になりこの街を盛り上げてくれた。開店前に、焙煎道具をかかえ、勝手におしかけて、

焙煎の極意を伝授した。いい迷惑だったと思うけど、名にしおう焙煎師になった。

蕎麦打ちも二年続けて、大みそかと、旧正月のおおみそかに伝授した。都合5度ほど

やったので、なんとか自分で楽しむくらいのレベルにはなった。

珈琲の石臼にも興味をしめしたけど、天真庵の石臼をつくってくれた名人さんは、311の震災で

体調をくずし、その後復帰しなかったため、かなわなかった。天草に名人がいる、というウワサを

きいたので、それを伝えると、さっそく何度か通ってゲットしたらしく、今回はそれの披露をかねて

関東の何か所かで「珈琲会」を催したらしい。天草は昔から陶器の釉薬に使う長石など、「石」

の産地として名高い土地である。立派な墓石になりそうな黒光りする石臼だった。

11月6日に、島原のお寺で「蕎麦会」をする。そこで今話題のイタリアンのシェフとコラボ

の形になったが、なつきくんも石臼をもって参加することにあいなった。昨日は「珈琲ドリポット」

も購入してくれ、ぼくより10日ほどはやく、関門海峡を珈琲ドリポットが渡ることになった。

珈琲を日本ではじめて飲んだのは、鎖国時代の唯一の港、長崎の出島の遊女ということになっている。

煎茶と禅を日本に伝えた隠元和尚が、最初にきたのも長崎で、興福寺にしばらく滞在し、お茶とか、禅を

ひろめた形跡がある。普茶料理が「しっぽく料理」として定着したのも、その縁である。

蕎麦も大陸から長崎の対馬を経由して日本に伝わった。そういう意味では、長崎は原点である。

こないだ紹介した南画家の釧雲泉や、木下逸雲なども、長崎出身であり、煎茶に造詣が深かった文人

である。そんな土地に縁あって移住した人と、いっしょに「蕎麦会」ができるなんて夢のようである。

今朝は、もっていく釣り竿と、のし棒を磨いた。感謝。

今日は、日曜日なので16時。それから「日曜蕎麦道場」

女性のワークショップも2階であります。