長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

♪うちのテレビにゃ色がない 隣のテレビにゃ色がある・・

2011-06-07 08:37:49 | Weblog
昔昔、世のなかにカラーテレビが誕生したころ、テレビCMでエノケンが
そんな歌を歌っていた。♪さんよー カレーテレビというオチがついていた。

昨日から始まった林太郎くんの「クラシックの寺子屋」は、そんな感じだった。
寺子屋といえば、「読み・書き・そろばん」というイメージだけど、
それに、「音楽」がつく。まさか、あの吉田松陰の「松下村塾」でも、
こんな素敵な勉強はできなかっただろう、というくらい充実した勉強が
できた。

朝一番で大分の「こば」からお米が届いた。また大分とは深い縁がひとつできた。
チャリンコにのって、林太郎くんが「TKG」(卵かけごはん)を食べにきた。
彼も大分生まれだ。大分といえば、広瀬淡窓の咸宜園。「かんぎえん」という。
「みなよろし」という意味だ。身分や家柄、男女に関係なく受け入れた。
高野長英や大村益次郎なども輩出した。

先日「ねっと31」の会をやった。昔昔「二十一世紀情報産業ネットワーク
共同組合」というのをやっていた。
「無門塾」という勉強会を10年以上やった。今の「文花的な寺子屋」も
その流れにあるのかも知れない。自分が当時書いた文がのっていた。

「文」
明治維新の時にあれほどの人材が排出した理由として吉田松陰の「松下村塾」広瀬淡窓の「咸宜園」などの私塾の存在が大きかったといわれる。青雲の志に燃える青年たちが、先生と膝を突き合わせるかたちで、共に学び合った。(まさに教育ではなく共育である)私たちも21世紀を目の前にして、何か目標もなく、生き場を失った感のある日本の行く末を案じ、 「人づくり」を根っこから考えていくような私塾をつくりた いという思いで自然発生的に誕生したのがこの塾である。 「無門塾」という名は、禅の言葉の「大道無門」から命名した。大道には門はいらない。どこからでも、どんな人でもいらっしゃって結構。共に学びあって人格を、陶治(とうや)していきましょうという意味である。

広瀬淡窓にこんな有名な詩がある。

鋭きも鈍きもともに捨て難し。錐と鎚とに使いわけなば。

人はみな、それぞれに、役割がある。


明日は「ダメ中」
この勉強会も、塾頭は女性だが、なかなか充実した会だ。
勉強の後の飲み会も、豪快だ。