天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

角館へ・・・

2021年04月19日 18時15分41秒 | 日記
 今回の旅行の2日目、15日には秋田県の角館に行って来ました。
 角館は、2005年から仙北市になっています。
 角館には2015年11月に、紅葉の時期に行った事があります。
 桜で有名な所ですから、やはり春も行きたいと思っていました。
 因みに「みちのく3大桜名所」の1つが角館です。

 15日は天気が良いとの予報でした。
 そのため、前日濡れた傘を持って行こうかどうかと悩みました。
 しかし、何が起こるか分からないのが世の中ですから、持って出かけました。
 前日と同じ午前6時53分発の新幹線に乗って仙台に行き、
 そこで後ろからやって来る秋田新幹線の「こまち号」に乗り換えます。
 この間5分ほどですが、1服出来るので有難いと思っています。
 宇都宮を出る時には晴れていましたが、
 北上するのに従い、次第に雲が多くなって来ました。
 それでも天気予報を信じて、晴れると思っていました。

 午前9時35分に角館に着きました。
 観光案内所に行ったら、大人の休日俱楽部チケットの利用者には、
 色々な特典を用意している店の一覧を渡されました。
 何か景品が付いていたり、一定の金額以上で何%引きなど様々です。
 帰りに駅のコンビニでコーヒーを飲みましたが、
 チケットを見せると100円が90円になりました。
 新幹線を降りた人も、年配の旅行者が多く
 そのほとんどがチケットの利用者のように感じました。
 観光地を抱える地域には、大人の休日俱楽部チケットは一定の影響があるようです。

 観光案内所を出たら雨が降って来ました。
 少し驚いたのですが、まだその内上がるだろうと思っていました。
 まずは武家屋敷通りに向かう事にしました。
 市内の各所に桜が咲いていて、期待して行ったのですが、
 武家屋敷通りの枝垂桜は、一部に咲いている所もありましたが、
 まだ余り咲いていませんでした。
 
 その内雨も強くなって来ました。
 止んでは降ると言う状態です。
 角館のもう1つの桜の名所、桧木内川のほとりの桜並木に行ってみましたが、
 やはりまだ早くて一部咲いているだけでした。
 
 角館では、15日から桧木内川のさくら祭りが始まっているようで、
 堤防上の遊歩道は上流から下流への一方通行になっていました。
 逆に歩こうとした人が、ガードマンに止められていましたが、
 遊歩道を歩いている人は、ほとんどいなかったのですが。

 雨は依然として降ったり止んだりの状況でしたが、
 天寧寺、松庵寺と行ってみました。
 松庵寺には、秋田蘭画の創始者で、解体新書の挿絵を描いた
 小田野直武の墓があるとの事でした。
 顕彰碑は分かったのですが、墓は分かりませんでした。
 雨が降っていたし、他に人がいないので訊く事が出来ませんでした。

 その内、雨に雹が混じって来ました。
 寒くなったので、近くにある新潮社記念文学館に入って休もうと思ったら、
 展示替えのために休館していました。
 ついてないなぁと思いながら、
 その近くにある小料理屋に麺類のメニューが出ていたので、入ってみました。
 店に入ると、靴を脱いで上がります。
 カウンターが踏み込み式になっていたので、そこに座りました。
 ママさん1人でやっているようで、他に客はいません。
 店内にグッチ裕三さんとママさんの2ショット写真がありました。
 グッチさんは、3年連続で来ていたようです。
 料理が得意な人が連続して通っているので美味しいのでしょう。
 ママさんは、マスクをされていましたが、写真は綺麗な人でした。
 比内地鶏を仕入れたばかりとの事で、
 それを沢山入れた肉うどんを食べました。
 比内地鶏は、しっかりした歯ごたえで美味しかったですし、
 その出汁が出た汁も美味しかったです。
 その内に、顔馴染みらしい老婦人が入って来て、ママさんと話をし始めました。
 聞くとはなく聞いていたのですが、
 角館を「かくのだて」と普通呼ぶと思うのですが、
 お二人は「かくだて」と言っていました。
 尋ねてみたかったのですが、話の腰を折るようなので止めました。
 調べてみると、地元の人は、やはり「かくだて」と言っているようです。

 肉うどんで体も温まりましたし、雨も上がったので、
 菅江真澄の終焉の地と言われる神明社に行ってみました。
 菅江真澄は江戸時代の旅行家で多くの著作を残しています。
 津軽藩や久保田藩に雇われていたので、北東北を旅すると頻繁に名前を聞きます。
 6年前に行った時は、菅江真澄を名前程度きり知りませんでした。
 神明社は中々立派な神社でしたが、人はいませんでした。
 そこから、醸造業を現在も営んでいる安藤家により、
 蔵座敷などを見せてもらいました。

 桜が期待外れだったので、時間が余ってしまいました。
 それで、新幹線を1本早いのに変更して帰って来ました。

 写真を今日もアップしましたので、宜しければご覧ください。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708
 
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北上市へ・・・

2021年04月18日 17時36分28秒 | 日記
 13日に書きましたように、14日から3日間出掛けていました。
 昨日も出掛けるつもりではいたのですが、
 どこも天気が悪いと言う事もあり、疲れたので止めてしまいました。

 今年は桜などの花が早くなっています。
 そこにもって来ての臨時の大人の休日俱楽部パスです。
 桜を見に行くのが良いかと思いました。
 どこに行こうか調べていて、「みちのく3大桜名所」を知りました。
 その1つが岩手県北上市の展勝地の桜でした。
 展勝地、僕は初めて聞く名前でしたが、開園100周年との事で、
 15日からさくら祭りが始まるとの事でしたので、行ってみる事にしました。

 14日午前6時53分、宇都宮駅発の新幹線に乗りました。
 天気は曇でしたが、車窓から新緑が見えて綺麗でした。
 北上するに従い色が淡くなる感じです。
 福島県に入って雪を被った安達太良山や
 宮城県に入って蔵王山などが見えました。

 北上駅に着いたのは9時前でした。
 駅から展勝地までは直線距離はそれほどではありませんが、
 間に北上川が流れているので徒歩で20分程度掛かります。
 北上川の畔には新緑も出ていて、
 「やはらかに 柳あおめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」の啄木の歌を
 思い出しました。
 僕は啄木の歌の中でも屈指の名歌だと思っています。
 詠んだのは、もっと上流でしょうが。

 展勝地は、北上川左岸に、1920年(大正9年)に植えられたもので、
 約1万本の桜があるとの事でした。
 桜のトンネルになっていて、ほぼ満開の感じでした。
 天気が良ければ、もっと綺麗に見えたと思うのですが、残念です。
 朝早かったからでしょうか、地域の方々が清掃などをしていました。
 高齢のご婦人方の話が聞こえて来ましたが、生粋の東北弁なのでしょう、
 よく分からない部分もありました。

 展勝地の端に、サトウハチロー記念館がありました。
 サトウハチローは東京都で生まれていますが、
 記念館を作るのに、政治的な問題があったようで、
 館長のサトウハチローのご子息が、北上市に開設したようです。
 サトウハチローの愛用した品々や交流のあった人との写真など、
 充実した内容のような気がしました。
 僕の好きな岡鹿之助の絵や舟越保武のデッサンもありました。

 記念館から、北上市で運営している「みちのく民俗村」に行ってみました。
 20棟以上の江戸時代から大正時代の建物を移築している野外博物館です。
 入場無料なのですが、検温などの受付がありました。
 そうしたら、14日は旧暦3月3日との事で、ひなあられのプレゼントがありました。
 だからと言う訳ではないのですが、ここは素晴らしい所です。
 国の重要文化財になっている江戸時代中期の旧菅野家住宅、
 登録有形文化財になっている旧岩手県立黒沢尻高等女学校校舎がありました。
 何となく女子高に入ると言うのはワクワクしますね。
 展示の1つに歴代の制服もあり並んでいました。
 そして南部曲り家の農家も2棟ありました。
 曲り家は、ご存知の方も多いと思いますが、
 L字形の家で、母屋に馬小屋が付いている建物で、
 江戸時代南部藩が推奨した事もあり、南部地方を中心に岩手県全域で見られます。
 それだけでなく、福島県でも見ました。
 
 曲り家も含め、広々とした敷地の中に点在している感じで、
 江戸時代の村に行った感じもしました。
 見ている途中で、にわか雨が降り出しました。
 慌てて、曲り家に入り雨宿りをしましたが、良い体験だと思いました。
 更に、村内から展勝地の桜が一望出来る陣ケ丘に登ってみました。
 ここでも雨に降られましたが、とても良い眺めでした。

 村を出て、午後1時位になったので、
 展勝地のレストハウスでラーメンでも食べようと思ったら、
 すべてテイクアウトだけで、食べる場所がないとの事でした。
 それはないだろうと思ったのですが、コロナ対策なのでは、仕方ないですね。
 レストハウスの近くには、
 「匂いやさしい白百合の・・・♪」で有名な北上夜曲の歌碑がありました。

 展勝地から観光マップに載っていた立花毘沙門堂に向かいました。
 途中コンビニを見掛けたので、そのイートインでお昼にしました。
 立花毘沙門堂は、いかにも村のお堂と言う感じでした。
 国の重要文化財の木造毘沙門天立像があるのですが、公開されていませんでした。

 さらに北上市内を少し散策して、早目に帰って来ました。
 展勝地の桜などの写真をアップしましたので、
 宜しければご覧になって下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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北へ・・・

2021年04月13日 17時10分50秒 | 日記
 一昨日、昨日と用事が入っていましたので、
 日記などは休ませて頂きました。

 そして、明日からまた4日ほど日記などを休ませて頂きます。
 表題の「北へ」はご存知方も多いと思いますが、
 小林旭さんが「名もない港に桃の花はさけど・・・♪」で歌い出す名曲です。
 僕の数少ないカラオケの持ち歌でもありますが^^
 この歌とは何の関係もありませんが、北へ行って来ようかと思っています。
 今回、JR東日本の大人の休日俱楽部で、
 4日間新幹線乗り放題で、15270円の臨時のチケットが発売になりました。
 大人の休日俱楽部に入って6年ほどになりますが、
 この季節に発売になったのは初めての事だと思います。
 長くお付き合い下さっている方はご承知の通り、
 このチケットが発売になると、いつも各地に日帰りで出掛けています。
 昨年は、初めて山形県の酒田で泊りましたが。
 そして、今年は例年になく桜が早く咲いています。
 東北の桜を見て回るのも良いかと思いました。
 4月は、色々な行事があるのですが、
 たまたま明日からの4日間は、何も予定がない事もありました。

 どこに行くかは帰ってからご報告します。
 小林旭さんの曲の1番は「俺は明日もまた 北へ流れる♪」で終わります。
 そんな感じになると思うのですが、どうなるでしょうか?
 
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パン・・・

2021年04月10日 18時20分56秒 | 日記
 僕はパンが好きです。
 毎朝、6枚切りの食パンの1枚をトースターで焼いて、
 バターを塗って食べています。
 同居人がいた頃もほとんど同じで、よく飽きないねと言われていましたが、
 今もって飽きていません。
 朝食は、リンゴかバナナなどの果物に、食パン1枚、ソーセージ1本、コーヒーです。
 バターを塗ったパンを半分位まで食べて、
 残りのパンにトースターで温めたソーセージを挟んで食べていますが、
 これが、とても美味しいと思っています。
 6枚の食パンの内1回はとろけるチーズを載せて焼いて、
 バターなしで食べていますが、これとソーセージの相性も良いと思っています。

 食べている食パンは、大手メーカーの物で、
 賞味期限を見て、最長の物を買っていますので銘柄は決まっていません。
 それでも、大体1斤で150円前後です。
 6枚切りを1日1枚食べると、賞味期限を1日か2日過ぎますが、
 焼いて食べればそれほどの違いはないかと思っています。

 1年に1度か2度、ホテルなどに泊まった時の朝食は和食にします。
 これが美味しいですね。
 泊りで出掛けた時の楽しみです。
 ご飯も嫌いではないのですが、朝は簡単な方が良いかと思っています。

 菓子パンも好きで、アンパン・クリームパン・チョコレートパンいずれも好きですが、
 特に好きなのがウグイスパンです。
 菓子パンは、たまに朝食で食べる時もありますが、
 ほとんどは昼食だったり、おやつだったりしています。
 
 最近、我が家の近くに食パン専門の店が出来ました。
 全国で店舗を展開している、兵庫県に本社があるパン屋さんです。
 美味しそうだなぁと前を通る度に思うのですが、
 種類によって、1.5斤で700円から800円以上しています。
 普段食べる食パンの3倍以上の値段になりますので、
 とても貧乏人の僕には手が出ません。
 たまに食べる物ならば、時には食べてみようかとも思うのですが、
 毎日食べる物ですから、
 美味しい物から質を下げられなくなったら大変だとの思いがあります。
 
 つましい生活をしているのを恥ずかし気もなく書いてしまいましたが、
 今日のネットのニュースを見ていたら、
 読売オンラインに、食パンの消費が増えている、との記事がありました。
 従来の「高級食パン」ブームに加え、
 外出自粛の広がりで家庭向けの需要が高まり、
 2020年の消費支出は前年と比べ4%ほど増えたとの事です。
 一方、外出先で食べられることが多かった
 総菜パンや菓子パンは落ち込んでいるとの事です。
 コロナ禍によって、パン業界も明暗を分けているのですね。

 明日と明後日、それぞれ所用により日記などは休ませて頂きますので、
 ご承知おき下さい。

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ストレス発散・・・

2021年04月09日 18時23分50秒 | 日記
 現代社会はストレスを受ける機会が多くなっていると思っています。
 成果主義の導入、人員削減による負担の増大、経済状況の悪化など、
 強いストレスを受けて来たように感じています。
 そこに加わったのが、新型コロナウイルスの感染です。
 他人の誤りなどを許せない非寛容な社会が進み、
 インターネットの炎上や自粛警察など、
 他人を攻撃する事が多くなっているように感じています。
 逆に言うと、多くの人が他人に批判を受けるのではないか、叩かれるのではないかと、
 ビクビクして過ごすようになっているようにも思っています。

 これまで、ストレスを発散するため、人それぞれ色々な方法が取られて来た訳ですが、
 その中で友達や同僚などと飲んだり話をしたりして発散する事が
 手っ取り早い方法でした。
 しかし、新型コロナウイルスの感染防止のため、その手段が出来なくなりました。

 そうした中、3月から4月の年度替わりに伴い、
 国や地方自治体での送別会などが行われていて、
 ニュースになる事が、ここのところ目につくようになりました。
 一昨年までは、送別会があったり新しく異動して来た人との顔合わせがあったり、
 解散式とか団結式などとの名目で酒を飲んで、親睦を図り、
 職場での気心を通じさせる重要な催しだったはずです。
 昨年は、初めての非常事態宣言の中、闇雲に自粛したのか、
 余りそのようなニュースはなかったような気がしますが、今年は目立ちます。
 2年目となり、我慢が出来なくなっているのか、
 自分たちは大丈夫との正常性バイアスが働いたのかも知れません。
 あるいは、政治家の会食が批判を浴びた結果、
 監視の目が公務員に向けられるようになったのか分かりませんが。

 こうした報道に関して、国民や住民に対して自粛を求めていながら、
 自分たちがそれを守らないとは何事だとの批判があるのは承知していますが、
 僕は、余り批判する気になれないでいます。
 民間企業など、表面的には飲み会を許可している所はないようですが、
 少しずつ飲んでいる話は聞こえています。
 自分たちで制度を作る政治家は別としても、
 公務員と言えども労働者であり、
 特にコロナ対策の中で、ピリピリした環境で働いているのだから、
 多少は大目に見ても良いかなぁと思います。
 そこでコロナが広まるかどうかは、結果論のような気がしています。

 今朝、21人の新型コロナウイルス感染が確認された自衛隊のジブチ拠点で、
 3月28日に約130人の隊員が参加したスポーツ交流会が開かれ、
 飲酒を伴う親睦会もしていたとの報道を読みました。 
 日頃からストレスの多い職場での多少のストレス発散は
 仕方ないのではないかと思いましたが、
 多くのマスコミは否定的に取り上げている感じですね。

 いずれにしても、これまで進んで来た清く正しい社会が、
 新型コロナウイルスによって、益々進みそうです。
 どんどん住みづらい世の中になるのだろうなぁと感じています。

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第4波・・・

2021年04月08日 18時14分51秒 | 日記
 新型コロナウイルスの感染の第4波が来ているようです。
 ここのところ、全国的に急速に感染が拡大しています。
 昨日は、緊急事態宣言の解除後はじめて3000人を超えました。
 第2波と呼ばれる昨年7月からの増加では、
 1日の新規感染者は1500人を超える程度でしたが、
 第3波の時は、3000人を超えていました。
 政府は、第3波の時はGOTOトラベルなどの関係でしょうが
 素直に第3波を認めませんでしたが、今回は認めているような感じがします。
 幾らかは学習能力があるのかも知れません。

 しかしながら、打ち出す対策は、
 飲食店の営業時間の短縮や3密の回避、リモートワークの要請などで、
 目新しいものがありません。
 病気が変わらないのだから、対策も変わる訳がないとも言えますが、
 感染の拡大に慣れ、自粛や巣ごもりに飽きた国民は、
 ずるずると同じ対応に終始しているように感じるのではないかと思います。

 一方で、東京オリンピック・パラリンピック開催の方針を撤回せず、
 3密が発生している聖火リレーを続けていては、
 国民には、切迫感が感じられないのではないかと思います。
 ここは、政府も本気度を示す意味からも、
 オリンピックの実施を決断すべきではないかと思いますが、どうでしょう?

 東京都は、今日、
 特別措置法に基づく「まん延防止等重点措置」の適用を政府に要請しました。
 悪評が高かった「まん防」は、マスコミも使わなくなったようです。
 まん延防止措置は、既に4月5日から5月5日までの1か月間、
 宮城県、大阪府、兵庫県の1府2県に出されていますが、
 これに東京都が加わる事になるのでしょう。

 緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の違い、
 表などでネット上も報じられているのですが、
 効果の点で、今もって分かりません。
 まん延防止措置は、緊急事態宣言に準ずるものとの認識があって、
 受け止める側として、深刻さが伝わって来ません。

 今日の下野新聞によると、栃木県内では、
 保育所でもクラスターが発生したとの事でした。
 低年齢者にも感染するとされる変異株なのかどうか分かりませんが、
 先日も小学校でクラスターが発生していますので、
 新型コロナウイルスは、
 低年齢児には感染しづらいとの認識は改めないといけないようです。

 政府がほぼ唯一頼りにしているのがワクチンの接種です。
 高齢者向けの接種が始まるとされている4月12日も近づいて来ましたが、
 宇都宮市からは、何らの通知もありません。
 当面は、施設入所者などからなのでしょうか?
 それはそれで良い事だと思いますが、
 やはり、スピード感がないような印象です。

 いずれにしても、今の政府のどっちつかずの対策では、
 いつまでもコロナ感染が収まりそうもないような気がします。

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桜吹雪・・・

2021年04月07日 18時28分03秒 | 日記
 今日は、いつものように鬼怒川温泉の少し先まで行って来ました。
 宇都宮から国道119号の日光街道を北上し、
 日光市内で脇道に入って、
 旧今市市から鬼怒川温泉から福島県の会津若松市に向かう国道121号に抜けます。
 宇都宮市内の日光街道は、道路の両側に桜を植えてあって、
 その桜が散り始めていて、桜吹雪の中を走る感じでした。
 もうだいぶ前の事ですが、
 宇都宮市内から
 日光市(現在の日光市ではなく旧日光市です)に通う知り合いがいて、
 宇都宮から日光まで、
 1か月近く桜を眺めながら通勤できると言っていたのを思い出しました。
 東照宮などがある旧日光市の桜がまだ咲いているのかどうか分かりませんが、
 鬼怒川温泉まで、結構桜が咲いていて綺麗でした。
 中には、大きな木もあって、車を停めて眺めたかったのですが、
 残念ながら時間の関係もあり、それは出来ませんでした。

 1時間余りで用事が終わり、帰って来ましたが、
 同じ道を帰るのもいかがかと思い、
 帰りは、国道461号に入って塩谷町を抜けて帰って来ました。
 この道路沿いでも桜が残っていましたが、
 農家の敷地に植えてある芝桜などが綺麗に咲いていました。
 それ以上に、山の木に新芽が出て薄い緑色になっていたのが綺麗でした。
 常緑樹の濃い緑色と、新芽の薄い緑色とパッチワークのような感じになっています。
 既に何度か書きましたが、僕はこの景色を眺めるのも好きです。
 お昼少し過ぎには帰宅しましたが、気持ちの良いドライブになりました。

 日光市と言うと、一昨日の5日、大嶋一生市長がお亡くなりになりました。
 体内リンパ組織の異常に伴う病気のためと報じられていましたが、
 悪性腫瘍のようなものなのでしょう。
 まだ56歳の若さで、2018年の選挙で当選したばかりでした。
 昨年8月に、体内リンパ組織の異常が確認されたため、治療を受けていると公表し、
 その後、県内の病院で化学療法を受けるなど
 定期的な通院治療を続けて来ましたが、
 今年3月11日、体調不良に伴い検査入院していたと報じられています。
 大嶋市長とは、病気の公表前の昨年6月にお目に掛かる機会がありました。
 少し話したのですが、ざっくばらんな人だと思いました。
 これから力を発揮しようとする時期での急逝は、
 ご本人も周囲の方も、とても残念な事だったと思います。
 ご冥福を祈ります。

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体験・・・

2021年04月06日 17時54分11秒 | 日記
 今日、お昼に馴染のスナックにお昼を食べに行きました。
 女将さんが和服に白い割烹着姿の店です。
 他に客がいなかったので、世間話をしていて、
 聖火リレーを見た話しになりました。
 僕が見た話をして、意外と空いていた話をしましたら、
 女将さんは、前に来た客が、
 密が気になるほど混んでいたと言っていたとの事でした。

 そして、4月8日号の週刊新潮の写真を見せてくれました。
 それは、栃木県庁前の写真で確かに人が何重にもなって混んでいました。
 栃木県庁が栃木県の最後の到着場所で、
 ブレックスの竹内公輔選手から田臥選手に聖火が引き継がれる辺りだと思います。
 僕は、混んでいる場所は避けたので、空いていると感じましたが、
 混んでいる場所もあったのですね。
 僕は、エープリルフールの日記のように嘘をついた訳ではありませんが、
 宇都宮での聖火リレーは空いていたと書くと、誤りになるような気もしました。
 自分の体験きり書けませんので仕方ないのですが、
 それは全体を見渡した結果ではない事に気を付けないといけないのでしょうね。

 それに似た話を学生時代に聞いたのを思い出しました。
 友人の先輩が、ウィーンに留学した時の話です。
 ウィーンで生活を始めたばかりの頃、
 市電に乗ったら、
 運転手がルモンドのような硬い新聞を買って持っていたとの事です。
 ウィーンでルモンドを売っているのかどうか分かりません。
 あるいはルモンドは誤りなのかも知れませんが、
 ともかく、その先輩は、市電の運転手が、硬い新聞を持っていた事に、
 「さすがにウィーンだ。文化水準が高い。」と痛く感激したとの事です。
 その時は、感激してしまったのですが、
 その後、2年間のウィーンにいた中で、
 市電の運転手が硬い新聞を持っていたのを見た事はなかったとの話です。
 この話、若干差別的なニュアンスもありますが、
 要するに、自分が体験もしくは目撃したからと言って、
 それがすべてに通じる訳ではないと言う事ですね。
 聖火リレーの話と同じ構造ですから、
 その辺、自戒しておかないといけないと思いました。
 
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ミイラの行列・・・

2021年04月05日 17時45分38秒 | 日記
 ニュースなどでご存知の方も多いでしょうが、
 3日夜、エジプトの首都カイロで、古代エジプトの王や王妃のミイラが、
 古代の行列を模したパレードで市内の新しい博物館に移されました。

 移されたのは、カイロ中心部の考古学博物館で展示されていた
 古代エジプトの王や王妃のミイラ22体で、
 新たに完成した市内の国立文明博物館に移すために行われたものです。
 パレードは「ファラオの黄金の行進」と名付けられ、
 王18人、女王4人のミイラが、
 金色と黒色に塗られ、古代エジプト風の装飾を施した車両で、
 1体ずつ、時代の古い順に並んで移送されました。
 車列の先頭は、紀元前1600年ごろにエジプト南部を治め、
 勇敢な王として知られるセケンエンラー2世で、
 最後尾は紀元前12世紀のラムセス9世でした。
 戦士として名高く在位が67年に及んだラムセス2世、
 最強の女王と呼ばれるハトシェプスト女王らのミイラも移送されました。
 
 車両には、それぞれの王の名前が書かれ、
 ミイラは、温度や湿度が管理されたケースに入れられ、
 車両には、路面の凹凸による影響を防ぐために
 衝撃吸収材が取り付けられていたとの事です。
 車列は、古代の王の行列を模して当時の衣装をまとった人たちや、
 当時の戦車のような馬車などに先導され、
 5kmほどの距離をゆっくりと進み、新しい博物館ではシシ大統領が出迎えました。
 
 このパレードの外に、オーケストラなどによる演奏も行われていたようです。
 先ほどからYouTubeで色々な映像を観ていましたが、
 壮大な催し物で、報道では経費は数億円との事ですが、
 それで出来るのかな?と思いました。
 色々な映像があり、中には2時間を超えるものもありましたが、
 雰囲気がよく分かる8分ほどのものがありましたので、
 宜しければご覧下さい。
 https://www.youtube.com/watch?v=ZY3qLGeRwEY

 ミイラのコレクションは、
 エジプトの考古学博物館や、イギリスの大英博物館が有名ですが、
 東京国立博物館にも1体のエジプトのミイラがあり、公開されています。
 ご覧になった方も多いのではないかと思いますが、東洋館にあります。
 パシェリエンプタハと言う人のミイラで、エジプトのテーベで出土されたもので、
 第22王朝 紀元前945年から紀元前730年頃とされています。
 東京国立博物館に行かれる機会がありましたら、ご覧になるのも良いかと思います。

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高梁市・・・

2021年04月04日 17時56分42秒 | 日記
 僕は、NHKののど自慢が好きで、時間があれば観ています。
 出場する人の歌を聴いていると、歌の上手さが分かりますね。
 鐘2つとか、合格とか聴きながら自分なりに判断していますが、
 結構当たると思っています。

 今日ののど自慢は、岡山県の高梁市からでした。
 高梁市は、岡山市から、伯備線で入る山間の市です。
 僕は1983年だったと思うのですが、高梁市に行った事があります。
 高梁市は、江戸時代は、備中松山と呼ばれ、板倉家の城下町でした。
 幕末、ここに優れた民政家が出現し、板倉家の財政を立て直し、
 当時の藩主板倉勝静が老中として幕府で活躍するのを支えました。
 彼の名は山田方谷です。
 農民出身でしたが、家老職相当の地位まで昇りました。
 現在、伯備線で備中高梁から3つ目の駅に
 「方谷」と言う駅があり、彼の名前からとったもので、
 駅名に人名が使われているのは、珍しいと司馬遼太郎が書いていました。

 司馬遼太郎の小説「峠」の主人公は河井継之助ですが、
 継之助は越後長岡藩の重臣で、
 明治維新の際に、幕府にも新政府にも付かない、中立を画策して、
 結果的に戊辰戦争中でも北越戦争を惹起した人物です。
 その継之助は、方谷の所に寄宿して教えを受けた事があります。
 そんな事から、山口県に行った帰りに足を伸ばしました。

 山城としては、唯一天守閣が現存する備中松山城や
 小堀遠州が作った庭園のある頼久寺などを巡りました。
 城に登るのが大変で、予定した所を全部回り切れなかった覚えがあります。

 市内を歩いていた時、妙な既視感(デジャビェ)に襲われました。
 その場では全然分かりません。
 もちろん、高梁市に行ったのは最初でした。

 それからしばらくして、
 「男はつらいよ 寅次郎恋歌」をテレビで観て分かりました。
 寅さんの妹さくらの旦那さん、ヒロシ(前田吟さんがやっています。)の
 父親 (志村喬さんが演じていました。)が、住んでいた所が高梁市で、
 寅さんがそこを訪ねた作品でした。
 それを行く前に観ていたのですね。

 高梁市は、とても良い街だったと思っています。
 また行ってみたいと思うのですが、果たして行けるかどうか。

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